スリランカの今を
レポートする第三回目です。
[訪問した地区]コロンボから南に下って、パナドゥラ→カルタラ→
ベールワラ<ベールワラ> さらに南下してダイビングスポットや外国人向けのホテルが
隣接するベールワラ地区に向かった。メインロードには各国から
駆けつけたメディカルチームの診療所の案内旗が見え始める。
ここには旦那の友人がオーナーの小さなホテルがある。
被災してすぐ、旦那の会社の社員がホテルの片付けに駆り出された場所。
一ヶ月前は現地に行くにも道路は寸断、通行もやっとだったが、
現在はすべてきれいに片付き、バスも通常通り運行している。
入り口には津波で流されてきたという幅2mはある巨大な樹の根が
ぐにゃりと引き抜かれて横たわっていた。
破壊力のすごさを感じる。
津波が来た朝9時台、ちょうどチェックアウトの後だったので、
幸い宿泊客は出たあとだった。一階はすべて水浸し、スタッフは
全員逃げて無事だった。オーナーのティラック氏は
『一千万(ルピー)以上の損失だよ。
でも奇跡的にスタッフ全員が無事だった。
これは何ものにも換えがたい。お金はまた働けばいいけど、
人の命は戻らないからね。』
とおっしゃっていたのが印象的。
ここで被災時、海の中にいた人に会った。彼はティラック氏が
経営するダイビングセンターのマネージャ。
被災時、お客さんを連れてダイビングで沖合に出ていた。
(津波があった12月26日はスリランカで
ポヤ・デーと呼ばれる、
満月の日。月一回ある仏教徒の休息日だった。
また多くのクリスマス休暇を楽しむ
観光客で大忙しだった。)
『今日はやけに海が濁っているなと、思った。
でも満月の日はいつも濁りがちなので、
初めはあまり気にしていなかった』
『しばらくして、いつもの魚がたくさんいるスポットに着いたら、
たった5分ほどですぐに水が濁って何も見えなくなってしまった。
これは何かおかしいと思った』
その後、彼はすぐに水上に上がって、
近くにいた漁師に何かあったかのか訊ねると、
いつもの灯台の周囲数キロMの水がすべて引いているという。
『これはただ事じゃない』と思い、すぐにお客さんを安全な場所に
ボートで移動させた後、ダイビングセンターに駆けつけた。
ダイビングセンターは後ろが海で、向かいは入り江(ラグーン)に
挟まれた位置にあり、海から入り江に流れ込んできた
水は行き場がないため、ラグーン沿いにあるホテルや
ダイビングスポットを次々なぎ倒し、被害は他に比べ
大きかったそうだ。引き波の時はラグーンの底が
すべて見えたという。
このダイビングセンターは2年前に私(筆者)も来たことがある。
変わり果てた周囲の景色とは対象的に、
ラグーンや海の水だけは前と変わらず穏やかで、キラキラと
不思議な感じだった。
ボートもウォーターバイクもすべて流され、拾い集めたそうだ。
『初めはどこから手をつければいいか分からないほどだった』
という海岸は、家具やら車やら冷蔵庫などあらゆるものが
散在していたそう。
『クリスマス休暇で隣の別荘に泊まりに来ていた家族は、
新車のベンツが流されたよ。』と・・・。
老若男女、貧富、人種と関係なく、津波は押し寄せた。
これだけの被害を前に、日本人は「保険はかけてないの?」と
思われるかもしれないが、ビジネスや一部の富裕層を除けば、
十分な保険をかけている人はまだまだ一般的でないのが現状。
海沿いの漁民の生活ならなおさら皆無。
ここでも被災後の盗難に遭っていた。
被災「後」どころではない。津波が起きた“その日の夜”に、
引き上げておいたウォーターバイクが数台盗まれている。
泣き叫び、怯えた夜を向かえている人がいるその横で、
嬉々として泥棒たちが忙しく走りまわっていたと思うと、
言葉が出ない。津波による横転で、最悪の死傷者が出た
ディックウェッラの列車跡では、車体から投げ出された
乗客の死体から貴金属を盗む輩が、
指や耳などナイフで切り落としていったとも聞く。 ティラック氏のホテルは、先月はジャーナリストが
宿泊しただけだが、今月は既に予約が入っていて営業も
本格的に再開するとのことだった。2月から営業再開する
ホテルが8割とのニュースもあり、海の魚も前のように
獲れるという。しかし、観光客はそうすぐには戻らないし、
多くの漁師は船も網も失ったままだ。
そんな中、旦那の友人がマネージャをする旅行会社が、
オランダの旅行会社と連携して面白い義援金プログラムを
企画していると先日新聞に取り上げられた。
両社を通じてスリランカに来た旅行者に対し、寄付を募り、
集めた資金で漁船を購入、参加者の名前を船に刻み、
漁師に寄付するというもの。
『自分が援助した船を見ようと、またいつか旅行者が
この地を訪れてくれるという二次効果もある』と友人。
先月、その関係者がバティッカロア(東海岸)に
救援物資を届ける途中に、我が家に寄ったのだが、3台の車には
薬やミネラルウォーターなどがぎっしり。
決して大きな旅行会社ではない一企業が、津波から3週間足らずで
救援物資を用意し(義援金コンサートをオランダで開催した)、
自社のスタッフを送り込み、現場に届ける、という迅速な行動力には
ただただ驚き。
年間何万人もの日本人が訪れるプーケット島(インドネシア)
に対し、日本の旅行会社はどんな態度を示したのだろうか?
と考えが及ぶ。
以前、旦那の友人で、オランダ人のツアーリーダーの女性と
食事をした時、彼女がツアーで訪れた村のある家族に寄付を
願い出ていたことを思い出す。
彼女はこうやっていつも仕事で訪れる度に、どこかしらの家族を
援助している。いつもの申し出に、なかば呆れ気味で
やや乗り気でない現地ツアーガイドに対し、彼女は
『彼らは困っている。ここに1万5千ルピーがある。
使ってもらって構わないお金です。ただそれだけです。』とたばこをふかしながら、言ったものです。
(いやいや、当たり前に出来ることじゃないですよ・・・)と
私は大変感心しました。
自己満足かもしれない。偽善と取られるかもしれない。
けれどもやらないよりはやったほうがイイ。
<VOL.4(最終回)に続きます>