日々の瑣末なニュースに追われ、
「TSUNAMI」は国際語にすらなったのに
正直なところ、インパクトが薄れているのも事実。
私の身内がスリランカに移住、
津波災害復興の呼びかけを当ブログにて
行ったのは1月6日のことでした。
その身内から現地レポートが届きましたので
当人の許可のもと一部修正して
転載いたします。
オチとかは期待しないでくださいな。
長いし。
[訪問した地区]
コロンボから南に下って、
パナドゥラ→カルタラ→ベールワラ
<パナドゥラ>
旦那の友人のお父さんが亡くなったとのことで、
彼らが住むパナドゥラに行った。コロンボから車で
1時間半ほど南に下った海岸沿いにあり、比較的被害は
少なかった地区だという。
友人のお父さんは海のすぐ近くに新築したばかりの自宅で
奥さんと被災し、慌てて内陸へ逃げて命は助かったものの、
避難中に家財道具一式を盗まれ、義弟の家で仮住まい中、
心労から心臓発作で津波一ヶ月後に亡くなったという。
友人は奥さんとイタリアで6年間働いていたが、実家が
被災したと聞いて戻ってきた。(今回の震災で海外にいる
多くの出稼ぎ労働者が国に戻ってきている。中東のどこかの
国は違法滞在のスリランカ人を処罰なく出国させること
を認めた、とのニュースもあった)
自宅は新築だったこともあり、外観はかろうじて
残っていたが、壁には2M近くまで浸水した後が
くっきり残り、庭にきれいに咲いていたという植物は
跡形もなく、砂地だけになっていた。家の中は片付けた後で、
何もない。
泥棒よけに厳重にカギやネットが張り巡らされていて、
お母さんは弟の家に未だ避難している。周囲の家はほとんど
基礎のブロックしか残っておらず、避難先から昼間だけ
通ってくるのか、女性や子供達が何するわけでもなく、
家の跡地に座ってたむろっていた。
『あっちの椰子の木があるあたりには
たくさん家があったのよ。』と
側にいた女性が教えてくれたが、きれいな砂地しか
見えない。すべて流されたそうだ。この地区だけで23人が
亡くなったという。そう説明してくれた女性自身も2歳の子供を
亡くしている。言葉がない・・・。
津波の第一波が襲ったあとの引き波で、数十km沖合に
見える岩礁まで波が引き、すべて底がみえたそうだ。
地震大国の日本人からは信じられないが、スリランカで大学を
出たインテリ層の何人かに聞いてみても、「津波」という現象は
今回初めて知った人ばかりだった。
この地区で仮設テントが届いたのは津波の一週間後。
被災した家族への援助は毎日の食事と、一家族7500ルピー
(約9千円ちょっと)が被災一ヵ月後に一度渡されたきり
だという。
政府は今回の震災により、今後の予防策として海岸沿いの建設
を禁じたため、このあたりの人たちは移動しないといけない
はずだが、一体どこに移動するのか?家の再建費用は?
具体的な計画はまだなにも知らされてないとのことだった。
この地区の山側内陸部は住宅街で、首都コロンボへ通勤する
中流層も多数住んでいる。津波以降、住宅街では泥棒が頻発して
おり、警察や町内で大々的に注意、パトロールを行っているが、
『捕まえても、捕まえても、出てくる』状態だそう。
貧しい被災者が犯行をしていると聞いて、やるせない。
<Vol.2に続く>
http://www.imadr.org/japan/jc/newsletter/123/2.html