今回が最終回です。
[訪問した地区]
コロンボから南に下って、パナドゥラ→カルタラ→ベールワラ
スリランカは驚くほど寄付が身近な国。もし、一人あたり
の生涯における寄付回数を統計で出せるなら、きっとすごい
結果がでると思う。それぐらい、ごく一般的な当たり前の
習慣。
仏教国なので、寄付は功徳を積むことの1つとして
みんなに染み付いている。今回の震災直後も、毎日のように
各種団体の寄付集めが巡回してきた。このお陰で、同様に被災した
他国に比べると食料や衣料などの行き渡りが早かったと
言われている。
TVでも被災翌日からヘビーローテーションで救援物資を
呼びかけるCMが流れ、収集経路と場所が繰り返し放送されて
いた。寄付は決してお金だけではない。お米やダール豆、衣服や
ココナッツなどをトラックが通ると声をかけて渡す。
ある友人の家は、家中援助物資の袋でごったがえしていた。
聞けば、お母さんが近所に声をかけて集めたという。町内会長に
ついている人なのかと思ったが、まったくの個人的意思で
やっているとのことだった。一人の主婦が『だって可哀相じゃない』と
いう理由だけで、物資を軽トラ一台分集めてしまう行動力に
ただただ唖然。ちなみにその友人の家はTVも洗濯機も無いし、
決して裕福な家庭ではない。
ベールワラからコロンボに戻る帰路、メインロードの
崩れた家の前では、木製のタオルラックや、椅子などを並べて売る
女性達の姿が見えた。非常時でも(非常時だからこそ?)
商魂たくましい。
一面瓦礫だらけなったベールワラの海岸沿いには、時折、
拾い集めた木板を組み合わせた“掘っ立て小屋”を立てて
無理やり住んでいる人々を見かけた。
海沿いに張り付くように住んでいた彼らは、再開発の際に
政府により移動を余儀なくさせられるはず・・・。
それでも避難所の生活よりは、いつもの見慣れた景色で
つかの間の生活を選んでいる。家という生活基盤が無くなるという
その喪失感は無関係な人間には想像できない。
おわり
<WE SHALL REBUILD!>
・・終わりです。
ジャーナリストではないんで、文もまとまっていないし
淡々と書いています。しかし、現地を見た人間だけが書ける
事実がありましたので、ほぼそのまま記載しました。
これにより何がどうなるわけでもありません。
ただ、皆様にはアジアの同胞に何が起きたのかを
決して忘れないでくださればそれで結構です。