いつもお世話になっております
るしは氏のお導きによりまして
左上にカウンターを整備させて
いただきました。ぱちぱち〜。
数字は、開始以来個人的に
エクセル管理でカウントしていたものを
そのまま使用しました。
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さて沖縄旅行最終日。
本日のご予定は
午前中観光の後、午後は飛行機で移動時間。
あいにくの曇空続きで
こうなったらせめて我々が飛行機に乗り込むまで
天気がもってくれればいいやという
あきらめの境地です。
寝ぼけまなこの社員軍団の半数
(後の半数は後発組なので帰宅は明日)
をバスに載せ、
ホテルを後にしたバスガイドさんは
そのまま沖縄自動車道を南下。
「首里城」へ向かいました。
「守礼門」。あの幻の「2千円札」の舞台?
となったところ。
(大きな声では言わないけれど
小さな声だと聞こえないので
言わせてもらうと
・・意外に「ちゃちい」ぞ)
さらに言うなら、沖縄は日本で一番
2千円札が流通していると聞いていたが
1回も見ることはありませんでした。
「邦之禮守・・礼(禮)を守る国(邦)」です。
礼には礼で返すならば、
戦争も起きることなく
重厚な門がまえである
必要も無いのだけれど
周りの国が皆、
話のわかる礼の国ばかりであるとは限らない
のが昨今の悲しい情勢。
首里城ご本尊。
中国の文化を縮小して取り入れていた
ことがよく解ります。
役人は階位に応じてこの広場で
ずらっと並んで土下座したわけですな。
学校の朝礼のようなものか。
「玉座」です。
文言の意味は調べてません。すみません。
しかし、沖縄は「鹿児島藩」が武力制圧するまでは
明らかに独自の文化を持った
別の国だったんだなあ。
いきなり世界の
「政治家」と「政治屋」達の写真。
2000年7月21日から3日間、九州・沖縄サミットで
「首里城晩餐会」が行われたらしいのです。
各国首脳からいただいたお土産や晩餐会メニュー、
彼らが晩餐会で踏んでいった「カーペット」とか
まあ、いろいろと展示されておりました。
「警備」大変だったろうなぁ。
当時の首相、森キロウ氏の政治パフォーマンスの産物
であったにしても、担当者の気苦労はいかばかりか?
その後、バスで移動すること20分。
「1マイルの奇跡」と世にうたわれた「国際通り」へ。
この通りこそは戦後の沖縄の奇跡的な復興の象徴。
沖縄で一番賑やかな通り。
商店、居酒屋、土産物屋など。
三越から県庁までの間のお店ならば
交渉次第では大変安くしてくれるから
是非ねばりなさい!とはガイドさんの弁。
いいのかな?そこまで断言して。
おっと時間だ!
すみません、後一回だけ続けます。
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