2006年04月03日

世界を相手に

「禍福はあざなえる縄の如し」とか
「人間万事塞翁がひのえうま」??とか
申します。
本日、おめでたいことが
重なりまして。

・実弟に長男誕生
・元バイト先の同僚が国際結婚!招待状が届く
・前の会社の元同僚と後輩が結婚!招待状が届く
・今日は戌の日


逝く人もいれば
来る福もある。
それでもマスライは進みます。
進むのです。

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世界を相手に喧嘩した地域がある。
まあ、イラクも日本もドイツもイタリアもそうだけど。

PONのお膝元
「小田原」
1590年、ほぼ全国統一を成し遂げていた
豊臣秀吉は、残敵掃討というか
総仕上げとして小田原後北条氏を攻めた。
秀吉は全国から20万人以上を動員
なんと言ったって、あなた。
秀吉は、この戦いに参加しない大名は
すべて敵扱い
という、踏み絵の役割に
してしまったんだから。
小田原もなめられたものです。
なめられるには相応の理由があるのですが
それはまた後日。

参加した大名の名前を列挙するだけでも
豊臣配下の各家をはじめとして、
徳川家康、上杉景勝、前田利家、真田昌幸
長曾香部元親、伊達政宗、毛利水軍・・


WBCのオールスターVS楽天
って感じかな。
最初から終わりが見えていた戦いでした。
でも、小田原は全国を相手に戦い(というか会議?)抜いた
国であることに違いはありません!
・・と思います。

北条五代.JPG
左から
5代氏直、3代氏康、初代早雲、
2代氏綱、4代氏政、
5人揃って・・北条五代!

小田原の人間はこの5人の名前を
即座に言えないといけません。ええ。

「大阪」
徳川政権、そして長く続いた
戦国時代の終焉の象徴として。
1615年。「豊臣残存軍VS徳川家」
大阪(というか「城」)も全国相手に戦った国。

・・そうだ、もっとすごい国があった。
「薩摩」(鹿児島)
「薩英戦争」という言葉があるくらい
日本の一地域が、「イギリス」と
戦争してしまったんだから!
「モノを知らない」ってスゴイ。

>薩英戦争、1863年8月15日(文久3年7月2日))は、
>生麦事件の解決を迫るイギリスと薩摩藩の間で戦われた
>鹿児島湾における砲撃事件。
>薩英戦争の結果、
>薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、
>イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。
(Wikipediaより)

・・なんだか殴り合って友情を深めた番長みたいな話。

「長州」(山口)
同じ、戦争ならば長州はもっとすごい。
連合軍と戦ったんですから。
「下関戦争」
>元治元年(1864年)に
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ
>の4か国艦隊が下関を砲撃し、長州藩を屈服・・
(Wikipediaより)

熱いな〜。熱い。
まあ本来、笑い事ではないのだけれど。

神奈川県が日本国に黙って何故か
アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ
と戦争を始める姿・・
今だったら妄想でしかない。

けどそんな中で青春を過ごしたならば
明治維新、日清戦争、日露戦争を乗り切る
ことのできる人材に鍛えられるわけだよなぁ。

一般市民は大メーワクだが。

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いつか聞いた話・・
posted by PON at 12:51| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする