といってもPONも
「亡くなってから初めて知った」クチ。
自衛隊の前身「警察予備隊」の
立ち上がりから関わっていて
「防衛庁の天皇」と呼ばれていたんだとか。
(日本人、特に役所は
そんな呼び方が好きだな(苦笑))
自ら、先の大戦で過酷な
(現場として、無能な軍隊に振り回され
続けたどうしようもない)体験から
「シビリアン」コントロールの重要性を
知り尽くし、ともすれば出てくる
「制服組」の跳梁を抑え続けた人。
時代が変わっても、奴ら(軍服組)の
本性は一緒だ。
「計画の至らない点は、
現場の努力でどうにかしてみせる」なんて
平気な顔で「企画書」あげてきやがる・・
よく、そんな苦笑いをしていたとか。
彼の「至言」抄録
(あの戦争は)
「都合の良い条件が選ばれて計画が作成され
髪一筋の可能性に賭けられた」
「物的戦力の不足は精神力で補うものとされ
補給の重要性が認識されなかった」
「派手な作文が虚像を実像に仕立てあげる」
「願望が目標と定められ、目標に達する為の
方法は慎重に検討されることがなかった」
多少なりとも、あの戦争に関する
本を読んだことのある人間ならば、
当たり前の事柄だが、自分も含めて
結局読書による知識に過ぎない。
海原氏は、これらを実体験で学び
その時代を繰り返さないよう
要職にて支えていた方だったんだろう。
こういう方が櫛が抜けるように
知らないうちに亡くなってゆき
そしてまた気がつくと
戦争を知らないがゆえに
勇ましいだけの論議で
「忌まわしい時代」の復活も
なされてしまうのかもしれない。
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ラベル:海原治