路線がある。単純にいえば、神奈川県を南北に
縦断する線路だが、こいつがもう、実に使えない。
つい20年前まで、神奈川にある路線
にもかかわらず非電化線(要するにディーゼル)
だった。そして未だに「単線」である。
また、単線であるからというわけばかりでも
ないけれど「快速」とか「特急」などの
優等列車もない。橋本〜茅ケ崎間を1時間以上、
ちんたらちんたら
走っているのだ。
し、か、も・・終着駅「茅ヶ崎」のひとつ前の駅
「北茅ヶ崎」駅なんかで
いきなり「5分停車しま〜す」とか
平気で言ってくる。寒空にドア開放して。
そこまで来たら・・・行けよ!茅ケ崎に!
茅ヶ崎駅では天下の大動脈「東海道線」に
接続できるんだぞ!マッタク。
JRのやる気のなさの最たるもんである。
ぷんぷん。
PONは、相模線に対するJRのやる気のなさと
神奈川中央にでーーんと鎮座ます
「米軍」関連の施設・・
「基地」「キャンプ」「補給廠」の三点セットが
神奈川の発展をめちゃめちゃ妨げていると
思っている。
思ってはいるが、米軍基地の方は
まあとりあえず今日のところは置いておいてw
「相模線」について続ける。
相模線は、せっかく神奈川を東西に横切る大動脈
「小田急線」ともクロスしているのに
まったくと言っていいほど
やる気を見せない路線だが
相模線は、関東最後のローカル私鉄といわれる
「相模鉄道(相鉄)」が、かつて所有していた。
それを戦争中(それもう少しで敗戦が決定しそうな頃)
戦争遂行協力のために軍部に買収(強引に買い取った)
されてしまった。
ところが戦争も終わり、軍部も逃げ散ってしまったんで
「さあ、日本政府よ、相模線を返してくれ!」と
相鉄は当然の要求をしたのだが、軍は無くなったとしても
あれは正当な「取引」の結果だからってことで国は拒否。
結局、軍(国)→国鉄→JRと、相模線は相模鉄道の手に
戻らないまま、現在に至っているのだそう。
今でも、相模鉄道のOB達は
「いつになれば国(JR)はあの路線を
返してくれるのだろうか?
俺たちが持っていたらなあ・・
(もっと発展させたれた)」と
OB会などで悔しがるそうである。
JRもそんなにやる気がないなら、
相鉄に返してあげればいいのに。
少なくとも相鉄が持っていたら、
複線にはなっていたと思う。
そんな話をどこかで仕入れたとき
PONの脳裏に急に浮かんできたのは
江戸時代の「毛利家」の話。
関ヶ原の戦いで西軍についてしまったがために
中国地方8ヵ国の太守だった毛利家は、
家康により2ヵ国に減らされてしまった。
いきさつはどうであれ、
西軍の大将を名乗りながら、
取りつぶしにならなかっただけ
儲けもんじゃん、とPONなんかは
思うのだが、毛利家の連中は
そうは思わなかったらしい。
実際には毛利家も一枚岩ではなく、
関ヶ原の戦いでは身内に裏切り者がでて、
不戦(家康軍と戦わなかった)をすることで
消極的に家康に協力したため、結果、
2ヵ国が残ったともいえるのだが、
彼らは家康が騙して6ヶ国を
持って行ってしまった!と
ずーーと思い続けたらしい。それこそ幕末まで。
その不満が250年後に爆発、
倒幕運動につながったともとれる。
江戸時代の毛利家には
ある「秘密の儀式」があったらしい。
正月になると、毛利本家に親戚が挨拶に来るが
そのとき、本家のボスが分家筋の家老などに
こうささやくのだそうだ。
本家「来たか?」
分家「来たらずのようで」
本家「そうか」
間違っても江戸の将軍家(徳川幕府)の
耳に入ったらエライこっちゃになってしまうが
これは
本家「(江戸を討つ時期は)来たか?」
分家「(いまだ)来たらずのようで」
本家「そうか(無念じゃ)」
という意味らしい(多分に意訳)
長くなりましたが、相鉄OBさんは
OB会のごとに言い続けているのではあるまいか。
それが言いたかった。
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