名軍師と言われた武将が二人いました。
秀吉の前半生を支えたのが「竹中半兵衛」
後半生を支えたとされるのが「黒田官兵衛」
そのなかの「竹中半兵衛」の話。少々浮世離れした
イメージがありそうな彼もやはり人の子。
自分の子の教育には大変「力」を入れていたようで。
彼の息子「竹中重門(しげかど)」も結構キビシイ
教育を受けたようです。
幼き頃の重門君は、ある日、お父様とマンツーマンで
「孫子」の講義を受けていました。急におしっこに
行きたくなって厠(トイレ)に駆け込んだそうな。
戻ってくると、親父がコワイ顔をしている。
「なぜ、お前は厠などに行ったのだ!
竹中家の長男が、受講中にションベンを漏らした
としたら、それは「恥」ではなく「名誉」なのだぞ」
・・・竹中さん、それはどうだろう(笑)
そんな教育を受けた重門君でしたが
関ヶ原をはじめとしてあんまり冴えない
武将人生でした。残念です。
もっとスゴイ教育を受けた武将がいます。
九州が生んだ名将「立花宗茂」です。
東の「本多忠勝」、西の「立花宗茂」と
豊臣秀吉に認められた武将。
(もっとも、国家的規模で何かを成し遂げた、もしくは
成し遂げようとする気骨をもった漢(おとこ)を
名将と呼ぶなら、秀吉にとってこの二人は単なる
戦闘屋であって、決してライバルにはなり得ず
だからこそ安心して持ち上げたのかもしれません。
彼らを持ちあげることで、秀吉自身も更に上級扱い
されるわけですし)
まあいいや。この「立花宗茂」は生まれからして
スゴイ。一時期、九州を席巻した大名、大友宗麟の双璧
闘将「高橋紹運」の実子であり、さらに名将「立花道雪」
の養子になった漢です。
なんだろう・・ロイエンタールの実子にして
ミッターマイヤーの養子?いやいや
ウルトラマンの倅にして、仮面ライダーに改造された男
(逆に弱くなってしまったかもw)
PONの錯乱が解っていただけるだろうか。
つまり、名将に成るべくして生まれてきた男なのである。
実父の「高橋紹運」は、大内家が傾きかけていた頃
南から怒涛のごとく数万単位で攻め込んできた島津家に
三百人ほどの軍勢で城に立て籠もり、大友家反撃までの
時間を稼いだ男。三百人という数字もどうせ自分は死ぬから
少しでも本家に兵がいた方がいいと判断した結果らしい。
壮絶な戦死を遂げたそうな。
養父となった「立花道雪」は、自らが若かりし頃
雷神と喧嘩(要するに「雷」にむかって剣を振り上げて
突撃して行った)男ッス。その後・・片足が不自由に
なったそうですが、それくらい熱いオトコに育てられた
んですからハンパではありません。
ウルトラマンレオに対するセブンのシゴキどころじゃない。
あるとき、「立花道雪」氏監督のもと、野山を裸足で
駆け回っていた、幼少時の「立花宗茂」くん。
イガグリを踏んづけてしまった!これは痛い。
「お父さん〜!痛いよ〜」と
父のとこへ向かってみれば、養父の「立花道雪」さん。
「イガグリがナンボのもんじゃい!」
(と言ったかどうかは知らんケド)
トゲが刺さる息子の足を更に踏みつけたそうな。
俺なら速攻で謀反か出奔するね。
平和になった時代に「立花宗茂」は、部下にしみじみと
語ったそうである。
「あのときが一番辛かった・・」と。
ほとんどの人には地獄だったハズの
戦国時代を生き抜いた彼が、そんなこと言うんだから
さぞ辛かったんだろうな。
そんな彼も関ヶ原では「ヒジョー」に残念でありましたが。
長くなったんで、後ちょっとだけ続けます。
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