2009年03月28日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)壱

「信長の野望 烈風伝 プレイ日記 壱」

急に思い立ったので
信長の野望 烈風伝 プレイ日記を書きます。
かなり適当に。

その前に、事前説明をこれまた適当に・・。

西暦1590年。この年は小田原が
日本中を敵に回して戦った記念すべき年。
北条五代で関東を制覇、治世100年の末期のこと。

今でこそ「小田原ってドコ?静岡県?」という
暴言をあまんじてスルーしている
地方都市であるが
その昔はそんなこともあったのである。

北条五代とは
早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直
いまでも小田原では毎年5月に「北条五代祭り」
をやっている。

早雲(戦国の代表的下克上者。当時は伊勢と名乗っていた
   西国から流れてきた彼は60歳近くで伊豆をのっとり
   続いて小田原城を乗っ取ってしまったスーパージジイ。
   平均寿命が50歳の戦国時代、60代っていえば
   80歳で県知事初当選みたいなもんか?)
氏綱(早雲の後を継いで確実に3代目にバトンを繋いだ男。
   初代と3代目に挟まれあんまり有名ではないが
   二代目がしっかりしないと組織は長続きしない
   といわれるのでかなり有能だったと思われる)
氏康(北条、武田、上杉で関東を争っていた関東三国志
   では関東の獅子とか云われる。ちなみに武田は虎、
   上杉は龍。有名なのは戦国三大奇襲のひとつ
   10倍の敵を破った川越の夜戦)
氏政(四代目。結果的に言えば彼が北条家を滅ぼした。
   小田原攻めの時には引退、子の氏直に家督を
   譲ってはいたが、実権は握りっぱなしだった模様)
氏直(五代目。北条家最後の当主。和戦派で家康とも
   仲がよかった様だが親父様には逆らえなかった。
   小田原が滅びた後も殺されずに済んだので、
   豊臣側も戦争犯罪人者扱いしていなかった模様。
   その後若くして病死)

豊臣秀吉の言うところの「小田原征伐」の日本は
今の「地理感覚」で適当にざっくり書きますと・・

・東京、神奈川、伊豆、埼玉、群馬は北条氏。
・茨城(佐竹家・結城家)は敵
・千葉(里見家)も敵
・栃木(宇都宮家)も敵。
・その北、福島・宮城は新鋭、伊達政宗さんが
 気を吐いております。
・強敵、武田信玄の武田家も既に滅び
 山梨は徳川家康のもの。
 その家康も当時は豊臣に臣従。
・新潟にいた別の意味での強敵、上杉謙信も
 既に亡く、後を継いだ上杉景勝とその忠臣
 NHKでおなじみの直江兼継ペアが仕切る
 上杉家は豊臣家に臣従。

ありゃりゃ、北条家は四面楚歌だ。

ヨーロッパの城郭都市に匹敵する戦国最大の
城である小田原城攻防戦。
一応、小田原北条氏VS戦国武将オールスターズ
であったが「小田原評定」なんて言葉も生まれた
くらい、小田原城内では来る日も来る日も会議だけの
にらみ合いに終始、最後は裏切りもあって自滅。
ついぞ劇的なドラマは生まれにくかったようで。
今に至るまでNHK大河ドラマ化には至っていない。



「小田原評定」こそは、生き馬の目を抜き、
血を血で洗う戦国の世において、
生きるか死ぬかの瀬戸際に「話し合い」の精神、
初めて「議会制民主主義」を持ち込んだ先例・・とか
申す地元民もたまーにお見かけしますが
ええ、持ち上げすぎだと思います。

長すぎたのでプレイ日記は後日。
続きます。

************************
管理人モチーベーション維持のため
クリックしていただけますと助かります!
  ↓ ↓ ↓
e8c67347.gif

四代目氏政くん・・


posted by PON at 21:00| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。