2009年10月14日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)壱

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)壱」

えー、早速ですが飛ばします。
ほとんど忘備録として自分に向けて書きます。
ごめんなさい。
(たしか小田原北条編も記事途中だったと思いますが
 あれクリアしちゃったしなあ・・苦笑)

天正5年9月23日(1577年11月3日)加賀は手取川
センゴク最強漢、上杉謙信の最晩年の戦い。

長篠の合戦で武田を滅亡の渕まで追い込み
イケイケだったはずの柴田勝家をはじめとする
織田軍がコテコテに叩きのめされた合戦。
手取川は織田家の兵士の血で赤く染まったとか。

弱兵(尾張の兵士は弱くて有名)を知恵と経済力で
ダマシダマシ運用していた織田軍団と
雪国で鍛え上げられた、精強を誇る越後上杉軍団の差が
存分にでた合戦だったらしい。

らしい、というのも、公式とされる歴史文書では、
上杉謙信がこの戦いに関して書いたとされる書状が
一通あるだけで、織田側の公式文書などには一切ないのだ。
ホントはそんな戦い無かったんじゃないの?とか
あっても小競り合い程度だったのでは?
なんて、学者の間では今でもケンケンガクガク。

仮に合戦があったとしても、450年という時の流れは
「合戦」という数百名規模で死亡する
一大ページェント(ちょっと違うか)が、
あっさりと歴史上「無かったことに」されてしまうん
だから・・時の流れは重い。記録って大事だ。

今回、信長の野望 烈風伝にて
いきなり「シナリオ4 手取川の戦い」を
開始した背後には国営放送の「天地人」が
あったことは明白だけども、それと前回
北条家の滅亡シナリオ(シナリオ9 北条家征伐)
をやったんですな。1589年スタートで
全国制覇は、戦国の終わり1615年。

綺羅星の如くの戦国武将のメジャーどころが
1615年ともなると皆、寿命で逝かれてしまって。
正直つまんないのです。最後の方は。
光栄ゲームに限らずSLGにありがちなことに
初代が偉大だと2代目は大概、ひとまわり
小さくなってしまうんですね。
それが何より寂しい。

・本多忠勝→本多忠政、忠朝
・片倉景綱→片倉重長
・黒田官兵衛→黒田長政 等々・・
数値イメージで言えば(戦闘力など)
親の90台が軒並み60台に低下といった具合。

今回はまだ戦国の巨星が現役の時代を
(それでも信玄さんはお亡くなりになってますが)
やることにしました。

さらにつけ加えるならば、信長の野望シリーズ
初期の傑作「武将風雲録」の存在。
あの頃のゲームシステムは一国一城制。
今みたいな城のネットワークがあって、
一国を制圧するに複数の城を潰さねばならん
なんてことなく、信州だろうと相模だろうと
その国の城を一ヶ所だけ制圧すればよかった。

今も昔も「上杉謙信」は強い。
越後中の兵をかき集め国を出撃した謙信集団は、
中国大陸を席巻するイナゴの大群のように
後先考えず他国へ突撃。
簡単に「越後→加賀→近江→山城→難波」と
ムラサキ色に染まります。
(越後国カラーはムラサキ)
その後のことはまったく考えていませんので
他国が順次侵入、またたく間に上杉王国は崩壊ケド。

それを再現したかった。

しかしながら最強謙信とはいえ、城がたくさんある
烈風伝で、そのまま再現はやっぱ厳しい。
タイマンでは確かに最強なれど
信長の野望も後期シリーズをもなると団体戦が重要。
結局、謙信ひとりじゃ天下は取れない。

・・というか、自分が歳を重ねるごとに、だんだん
めちゃくちゃなプレイをする自分が許せなくなって
きているようだ。自分もオトナになったのか?

とりあえず「烈風伝」プレイ。現況をざっと見回すと
新潟−富山−金沢(の一部)といった、横に細長い
謙信の最大版図が歴史どおりにある。
山が天然の壁になってはくれているが
峠を越えて武田あたりがいつ襲いかかってくるか
わからない。

東のはずれ山形の方は、最上家、伊達家、相馬家
いずれも今は攻めてくる気配が無いので放置。
ココは城の防御力だけを高めることに専念する。

また、武闘派ばかりの上杉家で、なんとか
政治力のありそうな奴らだけを二部隊に分け、
佐渡島の金山確保のため、のっけから城を作らせる。
同じ理由で富山城のそばにも金鉱があるので築城。
18ヶ月くらいかかりそうですよ?と部下の官僚が
好き勝手な見積もりを算出するも
ここは、勝手にしてくれと認可。
(政治力が高く、建築の技能のある武将、
 複数名で城を造ると5ヶ月くらいで完成する)
これで軍資金の確保は図られる。

南一帯は信州と群馬の一部。御館様亡き後の
武田勝頼さんの領土。よく見ると友好度90近い。
親父が死んで遺恨は水に流したらしい。
早速、同盟使節派遣→締結された。
これでひとまず南からの侵攻は防げる。

怖いのは岐阜→飛騨高山経由で富山が襲われそうなこと。
これは仕方ないので富山城の防御力をトンテンカンコン。
更に各城に時々訪れる商人から20〜30の鉄砲を
購入し続け、富山城に終結。鉄砲が500を越えれば
一部隊、まとまった戦力として期待できる。
問題は武闘派の上杉家、騎馬は得意でもメカ(火縄銃)を
扱える武将が皆無
なことだ。
でもこの問題はまあ、敵が「織田家」だから
誰かしら捕虜にできるだろう。
織田家なら、B級武将でも鉄砲技能「三段」を
もってたりするからな。
→実際、前田利家を捕虜にして防御専門要員とした

後は西だ。「そうだ京都へ行こう」気分の
PON謙信。
頼まれたら嫌といわない親分肌の謙信。
史実でも京都の将軍家やら宮廷やらから
お願いだから京都に来て治安維持を
図って下さいと何度も要請を受けていた。

史実では、謙信君。手取川で織田軍を撃破。
なんだ、昇竜のイキオイとされた織田家って
こんなもんなの?ヨシそれじゃあ大々的に・・と
改めて軍勢の召集命令をした矢先に
トイレで倒れてなくなってしまった。
享年49歳。死因は脳溢血。

余談だが、謙信は大酒のみで有名。
つまみは塩のみだとか。
これじゃあ倒れるわな。

実はゲームでの謙信も寿命が刻一刻と迫っている。
そのため、PON謙信が越後各地をランダムで
訪れる商人の商品一覧を眺めて、手に入れたのが、
もっとも安い「医学書」。
この「もっとも安い」ってのが重要。
このゲーム「医学書」類の値段に効果の差は
まったくナシなのだ。
「医学書」とは、死ぬ時期を史実よりも
若干遅らせることが可能になるというアイテム。

戦略のキモである、謙信が病気で死んでしまったら
織田家を叩く手段がまったく無くなってしまう。

さらに「西」のハナシ。実は西部戦線
正確には金沢の近くには、謙信は恐れないが、
信長−家康ラインをはじめ、世の戦国武将が
恐れるヤツらが存在する。一向一揆の総本山
本願寺である。

死兵」といって、死を恐れない兵士ほど、プロの兵士が
恐れるものは無い。「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とされたのはもっとずっと後の話で、
勇猛だろうが名将だろうが、生きてかえってこなければ
浮世の栄誉、富の恩恵にあずかれないのだ。
当然、死なないように戦わなければならない。

その一方で、死ぬことを恐れない、失うものが無い
退路を絶たれた兵士の強さときたら・・
太平洋戦争のカミカゼアタックなどいうまでも無い。

今直、世界に頻発する自爆テロもそうだが、そんな
狂気にヒトを狩りだたせる力があるとしたら、それはもう
何かに対する「狂信」だけである。
ヒトを幸福にするはずの「宗教」が、もっともヒトを
不幸にしている壮大な皮肉は今も昔も健在。

それはさておき、上杉謙信ってヒトは、
一応形だけとはいえ出家しており
基本的に権威に弱い(既存権力を守ろうとする)
ので幸いなことに本願寺勢と仲がいい(友好度90%)
早速、同盟を結ぶ。



スタートするにもこれだけの対処が必要。
とりあえず、上杉をめぐる周囲を固めることができた今
目指すは「京都」!

・・長くなりました。続けます。

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posted by PON at 21:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする