名前のとおり、発展途上国へ赴き
戦争ばっかりに明け暮れ、農業や工業や教育など
立ち遅れている分野について
コツコツと指導する方々。
一度行けば、数年単位で帰れない。
それでいながら、時々、
理念なんかくそ食らえの
近視眼な地元武装組織に誘拐されたり
時には命まで落とすことになったり・・と
やってらんねーだろう。
志願者はほんと立派だと思います。
世が世なら名が残る行為だ。
日本も明治維新後、立ち遅れた産業を
盛り上げるべく海外から次々とあらゆる道の
第一人者を招聘した。
おかげで今もいろんなところで
「日本の○○の父」とか
外国人が奉られる姿に出くわす。
現在「海外青年協力隊」として各地で
頑張っていらっしゃる彼らも
100年、200年後に現地で再評価されて
アフリカ納豆産業の父「山田太郎」
とか、博物館まではいかなくても現地の書籍に
名前くらいは載っているといいなあ。
ただ、時々思うのだが、日本の社会(会社)の方に
彼ら元「海外青年協力隊」が
諸外国で活躍して戻ってきた後
社会人として迎え入れる態勢が少ないのが難点。
彼らの「海外青年協力隊」としての活躍が
「キャリア」として認められることが
あまりに少ないためだ。
企業からすれば単に「数年間日本にいなかった」
という捉え方で終わってしまう事が多いようで
同期間、引きこもっていた連中と
同列に扱われかねないコワさがあるのです。
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