NHKBSの深夜放送で。
非常に見ごたえあった。
「C57」は貴婦人と呼ばれた、
スマートなボディーをもつ蒸気機関車。
SLを全廃を推し進めながら
観光資源としての価値に気づき
国鉄時代に最初に復活したSLであり
しかもトップナンバー(初号機)。
以来、「SLやまぐち号」として
小郡駅(今は新山口)〜津和野駅を
観光列車として走ってきた。
それにしても「やまぐち号」は
いつのまにあの不恰好な「排煙装置」を
煙突から外したのか。
あの存在も当時のお役所的国鉄ならではだ。
見た目よりも、SLの噴煙による火事や
沿線住民のクレームを心配したものらしいが。
長年、ダマシダマシ走らせて来たが
もういい加減限界がきたようで今回の措置。
前回の解体点検から18年と4ヶ月が経っている。
それはガタも来るはずだ。
ドキュメントは、まずいつもの拠点である新山口から
蒸気機関車を解体修理できる京都の梅小路機関庫まで
EF65-1175に引っ張られ貨物として移動開始。
C57−1の空重量は62キロ。
昼間はダイヤの邪魔になるので夜だけ
それも2時間ごとに各部を点検しながらの移動。
最高速度80キロ。2日で走破した。
まずビックリしたのは、SLには
今の機械では当たり前の「ベアリング」が
使われていないということ。
駆動部は、油こそ大量に挿してはいるが
SLは鉄と鉄が直接こすれあう機械なのだ。
それとこれは聞いた話だけど、SLはやっぱ
エネルギー効率がめちゃくちゃ悪く、あのでっけー
ボイラーが生み出す蒸気によるエネルギーが
100%だとすると、実際の走行、走る力に
転換できるのはそのウチのわずか20%くらい。
なんと無駄が多く、ムリヤリに走る機械なのか!
「技術」の断続。「技術」ってヤツも使われなくなり、
継承する人が死んでしまうと、科学万能に一見思える
現在であっても失われてしまうのもあるらしく。
私の知っている所では、戦艦大和の大砲なんかも
あれと同じ強度の大砲を造るノウハウは失われたとか。
にしてもJRの整備士さんも、ご苦労様だ。
「ここどーなっているんですかぁ?」
と聞いてみたくっても、
先輩なんか下手すると鬼籍に入られている方も
いらっさるわけで・・
「我々は整備するだけだからまだいい。
こんなものを造りあげた先人達には
ただ尊敬するしかない」
と話してた。
別に自分が偉いわけでは無いけれどあえて書く。
明治維新(1864年頃)以降に蒸気機関車を
イギリスなり米国なりから輸入、鉄道の運用ノウハウとともに
輸入したのは別に日本だけじゃないと思う。
しかしそれを輸入するだけでなく、独自に改造し
更には新しい機関車を製造してしまった国が
日本以外、たとえば特定アジアなどにあっただろうか?
そんな風に思うのである。
まっこと、先人は偉大だなあ。
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