このたび「センゴク 天正記」が完結。
(全15巻)最期まで非常に読み応えがありました。
<あらすぢ>
長島一向一揆鎮圧、本願寺との戦争
武田家のつまずき「長篠の戦い」
紀州雑賀衆へ攻め込み
上杉謙信との「手取り側の戦い」
毛利VS秀吉軍の一連の戦い
そして「武田崩れ」・・・
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武田家は鉄砲で全滅したわけではなく
「長篠の戦い」以後、6年も存続していたのである。
いったい6年もの間ナニやってたんだろ?
と思わなくもないけど
周囲に「長篠の戦い」で実は瀕死であることが
ばれない様にしつつ、体制の建て直しに
必死だったのだろう。
そして「武田崩れ」の章。
「ソ連は腐った建物のようなものだ。
ドアを一蹴りすれば崩壊する」
という、かつてのヒトラーの物言いじゃないが
戦国最強を誇った武田家にも終焉がやってくる。
自分の勝手な思い込みなんだけど
仁科盛信(勝頼の弟)が
「我々の城が一日もてば
それだけ武田家が有利になるーッ」とか
さんざん盛り上げておいて一日で落城というのは。
それが史実なんだけども、ここはちょっと曲げてでも
もう少し奮闘していただきたかったな。
でも織田軍5万を相手となればやむを得ないところ。
ゲーム野郎の悪い癖で、史実では
500人が仁科盛信と共に討ち死にしたと伝わるが、
たった500人?とか思ってしまう自分がいる。
現実ではとんでもない事なのだけどね。
500名が戦闘の果てに殺されるというのは。
武田勝頼の息子、武田信勝が正直すぎである。
「自分は大名(お館)になんかなりたくない。
家臣たちは風向きがいいときは自分達を持ち上げ
戦争に駆り立て、見返りを要求するのに
落ち目になると、かくも足蹴にする。
・・大名って何なんですか!?」
なんか中小企業の社長の心の声のようだ(苦笑)
武田勝頼は、偉大すぎる先代(信玄)から
家督相続以後、ずっと大名って何?と、
自問していたが、武田家滅亡のさまざまな
悲劇の中から、ようやく答えを見つける。
大名とは下種(ゲス)な職業なり、と。
それをもうちょっと前に理解していた信長は
勝頼が死ぬ頃、東の空に向かってつぶやく。
「さらば強敵(とも)よ」
ってのはちょっとヤリ過ぎかと。
あれじゃ某ジャンプ系に見られる
バトル系漫画とさして変わらないよ。
さすがに、武田家終焉には、秀吉も仙石も
関係ない(中国地方にいたから)ので、
最後は一家そろって天正記時代を思い出して締めくくる。
この漫画のおかげで武田勝頼が好きになりました。
(謙信は逆に嫌いになった)
そして第3部「センゴク 一統記」へ。
特に武田家の滅亡や毛利元就の話は
実はまとめて読んだことがなかったので
大変読み応えがあり、面白かったです。
作者さん、どうもありがとう。
これからも宜しく。
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