地上波「午後のロードショー」にて放映。
浅田次郎原作の映画化、であるらしい。
原作読んでいないから、らしいとしか。
これ、タイムスリップモノには
違いないのだがSFではないな。
<あらすぢ>
絶縁状態の父親が倒れたという知らせを
受けた日、小さな衣料品会社の営業マン・
長谷部真次は、いつものようにスーツケースを
転がしながら地下鉄で移動していた。
そこに突然、亡き兄が姿を現す。兄の背中を
追って地下通路を抜けると、そこは昭和39年の
東京だった。ほどなくして真次は無事現在に
戻ってくるが、後日、今度は恋人の軽部みち子
も一緒に昭和21年に遡り、闇市でしたたかに
生きる若き日の父・小沼佐吉に出会う。
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映画のデキ=原作者ってわけではないので、
小説読まないと、あまり妙なことも書けないけど
比較的原作に忠実な映画化だとして・・。
いろいろあって交流が断絶していた
親子の仲直り物語、やっぱ親子っていいよね?
それと、戦後のニッポン人は頑張ってきた、
一息付いてみましょうよと
作者が日本人に対する応援歌を
書きたかったように見受けられる。
その両者を満たし、カンドー作に仕立てるには、
神の力「タイムスリップ」を持ち出し、
過去と未来を交流させてしまうのが一番。
当時の文化をフカンすることもできるし
てなふうに、
原作者の安直な発想がちらついてならんのです。
全部想像ですけど。
なぜタイムスリップが起きたのか?
その考察とか原因描写がまったくない。
普通、タイムスリップモノといえば、
キャラが相当苦労して元の時代に戻る手段を
探しつつ、その合間にも、その時代での
交流が増え、結果として自分の未来に
跳ね返ってくるってのがセオリーだけど
この話では、はじめのタイムスリップの後
びっくりする程あっさりと現代に戻ってくる。
キャラは毎度毎度、作者の思うまま
都合のいい時間や場所にスリップする。
キャラは
もう現代に帰ってこれないかもしれない
といった不安を持つことなく
神(作者)の気まぐれプレゼント(タイムスリップ)に
身をゆだねることが出来る。
でもって肝心のタイムスリップも、
最後のほうは発動条件がいい加減に。
地下鉄に乗らなくても
タイムスリップできちゃったり。
なんて映画的省略法。
父・小沼佐吉(演:大沢たかお)のモデルは
「O佐野」や「SS川」か。
とにかく立志伝中の人物。
父には父の苦悩があったのに、
ともに不器用だったから双方の関係は
こじれたまま。
神の気まぐれが起きなければ、主人公は
最悪の父だった・・という思いだけを残し
父も寂しく死んで行くだけだった。
戦時中、すべてに軍は優先されてたし、
実力で収奪してきた市民の物資(金銀)が
軍内部には溜め込まれていた。
敗戦後、日本軍が消滅、政治も混乱。
統治するものがいなくなった世界で
何らかの方法で、そんな軍の遺産を入手できたら・・
誰もが品不足に苦しむ戦後の荒れ野原で
大金持ち確定である。
(「金持ち父さん、貧乏父さん」という本の作家
ロバートキヨサキ氏が自書で書いてたけれども
「もっとも効率のいい金儲けとは
タダでを仕入れて売却すること」だという。
彼らはそれをそのまま実行したわけだ)
誰とは言わないけど
そういうことで財を成したと、噂の絶えない
いわゆる「フィクサー」ってのが
戦後の日本ではずいぶん大きな顔をしていた。
父、小沼佐吉もそんなフィクサーのひとりで
主人公にとって理解不能で絶対的恐怖の対象だった。
ところが、タイムスリップによる神の視点を通すと
父も最初からバケモノだったわけはなく
普通の若者が、戦後をただ必死で生き抜いてきた
だけだったことを、息子は理解し始める。
大沢たかおが、戦後の焼け野原を
たくましく生きる、若かりし頃の父を
伸び伸びと演じていて、よかった。
さすがに、むかし走っていた
丸の内線車両をそのまま復刻は難しかったようで
どう見ても現代の車両を色だけ塗り替え、
当時の地下鉄とさせていただきました感。
よく調べていないけど
営団地下鉄とかが協賛したんじゃないのか
この映画。
地下鉄に乗って
監督 篠原哲雄
脚本 石黒尚美
出演者
堤真一
岡本綾
大沢たかお
常盤貴子
音楽 小林武史
配給 ギャガ・コミュニケーションズ
松竹
公開 2006年10月21日
上映時間 121分
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