2013年09月04日

東京オリンピック 市川崑

「東京オリンピック 市川崑」

日本映画専門チャンネルにて。
有名な「オリンピック」記録映画。
たぶん今度のオリンピック誘致にあたり
世論高揚につなげようと
とにかくオリンピックに関係することは
放映してみた・・のかな。

オリンピック開催国は
自国で記録映画を製作するのが
決まりであるらしい。

なお、自分はかつて
東京オリンピック(1964年)も
大阪万博(1970年)にも
生まれてなかったんですよへへん、
なんかいうと、周囲から
「えー若いねー」と言われてたモンだが
平成生まれがAV女優になってたり
野球選手に、はては力士なんかにも
存在している現在、
なんの自慢にもなりません。ええ。

あらすぢっつーか内容
市川崑が総監督を務めて制作された
『東京オリンピック』。アスリートの心情の
表現を重視した演出や、超望遠レンズを
はじめとする複数のカメラを使った
多角的な描写など、従来の「記録映画」とは
全く性質の異なる極めて芸術性の
高い作品に仕上げた。

************************

この映画の発表当初、時の政治家や女優も
巻き込み、世論沸騰、酷評・・
いわくこの映画は「記録か芸術か」と
イロイロ騒がれたらしい。
マジメで熱い時代だったんだな、
としか言いようがない。

<Wiki先生によれば>
 オリンピック担当大臣の河野一郎が完成披露
 試写2日前(1965年3月8日)におこなわれた
 関係者のみの試写会を見て
 「俺にはちっともわからん」
 「記録性をまったく無視したひどい映画」
 と発言したと報じられ
 「記録性を重視した映画をもう一本作る」
 とも述べた。これにより「記録か芸術か」
 という論争を呼び起こすことになった。
 文部大臣の愛知揆一も
 「文部省として、この映画を
  記録映画としては推薦できない」と
 3月16日に声明を出した。

物言いをつけたのは”あの”河野一郎”
(この人も成田空港ごり押しなど
 相当アクの強い昭和政治家だった・・)に、
時の文部大臣、愛知揆一氏が乗っかった感。

いやいや、今でも充分古びていないし
スゲーと思う。現代に通じる
非常にスタイリッシュな映画
と、現代人の自分は思いますよ。
たとえば花形競技、男子100メートル走決勝。
これを市川監督は「超望遠レンズ」で
多角的にとらえて撮影。
今から見ると当たり前の映像だけども
当時の感覚からすると、市川監督は
非常識以外の何物でもなかったらしい。
自分には違和感がなさ過ぎて
どの辺が非常識なのか解らない。

アメリカの黒人選手の筋肉美。
走る黒牛??・・ものすごい躍動感だった。

<Wiki先生によれば>
 東宝は市川に映画の修正を求め、
 市川は試写版に日本人金メダリストや
 オリンピック建造物の映像を追加して
 公開版を作成した

映画のナレーションでは
「亜米利加選手団が羽田に来日!
 この若さ!若い!」
とか言ってる。
今から約50年前のこと。
いま現在、ここの選手達はみんな70歳近い・・。

確かに皆、もちろん競技のこと
第一だろうけれど、オリンピック参加を理由に
海外に出られる、その空気にはしゃぐ選手達。
特にソ連とか旧共産圏の選手たちには
たまらない”旅行”だったんだろうな。

トリビアで紹介していたネタを
映画見ながら思い出したんだけど
代々木体育館には
ロシア女子選手向け、立ち小便器
あるという。
(その時使用されてあとは閉鎖中)
なんか当時の日本人の
”外国のお客様を迎えるのに
 ソソウがあってはなんねえ”と
民官あげて細かく気を使っていたのが伺える。

女子バレーボール’64
東洋の魔女とか言われたらしい
強かったのだろうけど
不思議な、おばパーのニッポン女子選手たち。
見た目よりも実力。
そんな時代の中、試合を観戦してた
美智子妃が・・これがまあ、お綺麗なこと。

オリンピックといえばマラソン。
甲州街道でマラソン選手を一目見ようと
あつまるオバちゃんたち。
みんなカッポウ着で、歯並び悪いし
おじさん達は黒ぶちメガネ・・
四歳くらいのかわいい”坊や”
肩車されて観戦。
この”坊や”だって現在53〜54歳・・。
どこかの会社で社長とかで
ふんぞり返っているのだろうか?

海外旅行なんて、ほとんどの日本人が
縁がなかった当時
外国の香りを直接感じることのできる
東京オリンピックとは
万国びっくり博覧会”だったんだな。
下町のおばちゃんが
一生出会うことなぞなかったハズの
アフリカ人を居ながらにして見ることができる。

私も知識としては知っている「アベベ
はだしのアベベでしょ?
あれ?本番ではシューズ履いて走ってる。
誰かがプレゼントしたんだろうか。

マラソンコースは甲州街道途中で折り返す。
たしか京王線でいえば布田のあたりか。
(今の味の素スタジアムあたり?)
いまでも(公的な)看板があるはず。
オリンピックマラソン折り返し地点

PONが見つけて嬉しかったこと。
マラソンは甲州街道沿いに展開したため
選手たちの力走の背後には
「京王帝都電鉄」の緑電車! が走ってるぅ!

東京オリンピックマラソンの
ビリを走るは「ネパール」の選手。
彼の後ろをひしとついてくるバス一台。
バスには「落伍収容車」という
垂れ幕が(笑)

マラソンは止まったらダメじゃなかったっけ?

ゴーストバスターズの営業車のような
重厚な車体の救急車が走り回る。
真剣に勝負する先頭集団がいる反面
休憩所のジュースを
とことん飲み干そうとする選手、
疲れちゃって路肩にへたり込み
観戦するオバちゃんから水をもらう選手。
まさに、参加することに意義がある。

そして我が国の円谷幸吉選手。
昔、テレビの「知ってるつもり?」で
紹介してたな。
確か、自衛隊員で日本中から
猛烈な「金メダル」プレッシャーを受けるも
結果は3位(それでも銅メダルだぜ?)
その責任から自殺しちゃった人だったか。

円谷選手は2位で競技場に戻ってきたが
最終トラックでイギリス選手に
スパートをかけられ、結局三位に終わる。

「とろろいも、おいしゅうございました
 卵焼き、おいしゅうございました・・」
とか、とにかく「おいしゅうございました」が
延々と続く有名な「遺書」。
とことんまで追い込まれてたんだろうて・・。
悲しい。

国家の威信をかけた戦いってのも
アリかもしれない。
出る以上勝たなければ無意味って
考え方もあるとは思う。
でも人間を自殺に追い込んでしまうならば
そもそもオリンピック自体に意味がなくなる。
もう亡くなってしまった円谷選手のことを
あげつらっても仕方ないけれど。

オリンピックマラソン選手といえば
俺にはいつも瀬古さんだけなんだが。
(同じく冬季スケートでは黒岩さんばっか)

こち亀なんかにも書いてあったけれど
東京オリンピック によって
良くも悪くも東京、そして日本が変わってしまった
とか。
次はどのようになるんかな。ニッポン。



東京オリンピック
Tokyo Olympiad
監督 市川崑
脚本 市川崑
和田夏十
白坂依志夫
谷川俊太郎
製作 田口助太郎
音楽 黛敏郎
撮影 宮川一夫
林田重男
中村謹司
田中正
編集 江原義夫
配給 東宝
公開 1965年3月20日
上映時間 170分
製作国 日本
言語 日本語
製作費 3億5360万円
興行収入 12億2321万円

************************
管理人モチーベーション維持のため
クリックしていただけますと助かります!
  ↓ ↓ ↓
e8c67347.gif

続きを読む
posted by PON at 23:06| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(タ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする