2013年09月26日

ダイアリー・オブ・ザ・デッド

「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」

「地獄があふれると
 死人がよみがえる」


ゾンビ映画の生みの親。
ジョージ・A・ロメロ監督の作品。
つまり由緒正しい正統「ゾンビ映画」。

失礼な言いぐさで申し訳ないが
監督にとって、はじめは「食ってく手段」に
過ぎなかった「ゾンビ映画」が
作っていくうちに深遠な意味合い(メッセージ)が
含まれるようになり
さらには自身の映画制作能力も
(そりゃあこれだけ作っていれば)向上
それなりに技術も予算も確保出来るようになり
まあ観られる映画に成長したな
そんな風に感じられた。

あらすぢ
ジェイソン(ジョシュア・クローズ)は、
ペンシルバニアの山中で夜中に仲間たちと
卒業制作のホラー映画を撮影していた。
そこで各地で死者がよみがえっているという
ニュースをラジオで聞きつけた彼らは、
急きょ寮へと駆けつける。そして恋人デブラ
(ミシェル・モーガン)を無事に発見した
ジェイソンは、仲間たちとトレーラーで
一路家路を目指すが……。

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面白かった。あんまり恐ろしさとか
グロさは感じられず、
その反面「メッセージ色」が一番感じられた。

恵まれた学生生活を送る
スノッブなメリケンの芸大生ども。
大学の酔いどれ教授が見る中で
卒業制作ってことでか映画の撮影中。
主人公が選んだ題材はなぜか「ホラー」映画。
まあどこにでもありそうな、いつもの光景だ。

そこへ突然「ヒャッハー」な世界が到来する。
ロメロ映画のお約束。
理由なんかない。世界の異変は、
まずマスコミ(ラジオ、TV)を通じて、
リアリティなく主人公のもとへやってくる。

「俺たちは神の新しいルールに従って
 ゲームを進めることになった」


キーパーソンは「酔いどれ大学教授」
彼がなぜ酒を手放せなくなったか
芸大の教授
(もしかして単に講師に過ぎないが)
なんかやっているのか?
その理由は徐々に明らかになってくる。

酔いどれだがオッサン講師の判断力と行動力が
終始、現代の若者を圧倒する。
若者が達者なのはリクツと感性だけ。

おそらく湾岸戦争かベトナムでひどい目に
あってきたんだろう。そのトラウマを
映画製作にブツケてひと山アテ、
今は芸大講師だとか?
いや、もともと世をハスに見ることに長けた
美大生の卵が戦場でヒドイ目にあい
復員後も場末の芸大講師くらいしか
仕事のクチがなかった・・
そんなところなのかも。

で、この芸大講師。
特技は人殺しとアーチェリー。
彼は監督の代弁者として
要所要所でステキな言葉を吐く役柄だ。

主人公たち学生が、まず最初に目指した先が
地方の大きな病院。
日常生活のまともな思考であれば
順当な目的地だろうが、

こちとら既に「ゾンビ」映画を
安全なスクリーンの向こうで
何作も渡り歩いてきた「つわもの」である。
ゾンビ映画で病院と墓場は
文字通り鬼門
といわねばならない。

主人公たちはワカるはずもないが
病院ではお約束の惨劇が一通り終了した後だった。

あ、人がいた
すみません!助けてください!
振り返るとゾンビでガブリッ
のテッパンパターン。
で、わーわーきゃーきゃー。

かつての仲間がゾンビとして今にも
フッカツの恐れ。
それでも射殺をためらう学生どもから
芸大講師は拳銃を奪うや、
なんのためらいもなく射殺

「相手を人間だと思わなければ
 残虐性も殺しも正当化される」


そういえばこの拳銃、ある女生徒が
護身用に持っていたと思われるのだが
護身用なら22口径ってとこなんじゃないか?
なのにマグナムじゃあるまいし、ゾンビの頭が
豪快に吹き飛ぶクラス。しかも予備弾ありすぎ。

「人間なんて何にでも慣れるものだ。
 戦争には殺し合いなんて身近にある。
 記録者は傍観者だ」


「君のような人間は多い。何でも記録に残す」

もう一年も前になりますか
てんかん患者だかが京都で暴走。
たくさんの人をハネたとき、周囲は携帯カメラで
撮りまくるやじ馬であふれた。
秋葉の通り魔の時も同様だ。
どうもロメロ監督は、行動に起こすことなく
傍観者として惨事を楽しんでいるような
撮影者をひどく嫌っているようだ。
そんな輩、好きな人なんていないだろうけれど。

「世界にはビデオカメラが2億台ある」

ジブンも結構、写真を撮る方だが
そういった場面では絶対撮影はしないと
心に誓っている。
(幸いなことにそんな現場に居合わせたことないが)

いったい情報化社会において「真実」って何なのか?
ネット動画をただ垂れ流し
有名人のブログ記事をそのまま記事にして終了。
公共メディアはマスゴミとして粗大ごみ化。
情報のプロとしての矜持はどこにもない。

「情報とともにますます主観が増え
 真実はさらに見えなくなる
 残るのは騒がしさばかり」


主人公は、すべてを記録して
世に真実を明らかにしたい!と頑張るが
(仲間が襲われ、脱出が最優先事項であるときにも
 カメラの充電を優先するオオバカモノである)

周囲の人間を助けることもできず
挙句に自らも命を失ってしまう。
そこまでしながらアップされた「真実の動画」でさえ
結局、その他大量のゴミ画像のなかで埋もれてゆき
他者が別の「真実」を見つけだす上で
ジャマにしかならない。

「かつて争うのは「人間」対「人間」だった。
 今や「我々」対「奴ら」だ」


ゾンビって死体が蘇る・・わけだが
噛まれれば傷口から感染してゾンビになる。
それは解るんだけど、
ただ死んだだけ(自殺)の人がゾンビになって、
バトルで傷だらけ(噛まれてはいない)の人が
元気いっぱいってのはどうか。
もうなんか設定なんかどうでもよくなってしまった感。

しかし”ゾンビ映画世界の神”が
そのように描写するのだから
それは正しいのだ。

一方、次作「サバイバル・オブ・ザ・デッド」で
この映画とはある場面がクロスオーバーする。

学生たちは直前に、ある町のいい奴らから
当座の生活物資とガソリン&武器まで
供与してもらい、意気揚々と出発するのだが
その矢先にカツアゲにあってしまう。

カツアゲ犯人は脱走州兵ども。
なんか非常にムカつく連中だが
その脱走州兵が次作の主人公とは。

次作「サバイバル・オブ・ザ・デッド」より
この映画の製作費は断然少なかったらしいが
話としてはこちらの方が面白かった。

すべてはラストの言葉に集約される。
「我々を救う価値などあるのだろうか・・」

そもそも主人公の名前が悪かったか。
名前は「ジェイソン」



スタッフ
監督 ジョージ・A・ロメロ
製作総指揮 ダン・ファイアマン、
ジョン・ハリソン 、スティーヴ・バーネット
音楽 ノーマン・オレンスタイン
脚本 ジョージ・A・ロメロ

キャスト
ミシェル・モーガン(デブラ)
ジョシュ・クローズ(ジェイソン)
ショーン・ロバーツ(トニー)
エイミー・ラロンド (トレーシー)
ジョー・ディニコル (エリオット)
スコット・ウェントワース(アンドリュー)
フィリップ・リッチョ (リドリー)
クリス・ヴァイオレット(ゴードー)
タチアナ・マズラニー (メアリー)
アラン・ヴァン・スプラング(大佐)

スティーヴン・キング (ニュースの声)
クエンティン・タランティーノ(ニュースの声)
ジョージ・A・ロメロ(警察署長)

劇中に
「今回の騒動はテロ組織の陰謀だったが
 首謀者は我が警察で逮捕したから
 もう安心だ!」
と、TVで胸を張った瞬間にゾンビに襲われて
姿を消す、いかにもな田舎警察署長が
いたのだが・・
あの人がロメロ監督だったのかぁ(笑)

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posted by PON at 21:00| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画(タ行) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする