急に思いついたんで書きたいと思う。
戦艦シリーズ。
資料性ゼロ、書きなぐりの
未確認情報だらけです。
今回はコレ「伊勢・日向」
俺、この姉妹好き。
改装前は、山城、扶桑と
あまり変わらない欲張りすぎた設計の
超ド級戦艦だった。
日露戦争の時代だったら
無敵だったろう。
太平洋戦争では海軍が下手こいて
空母が足りなくなったため、
前半分は戦艦のまま、
後部主砲を撤去して飛行甲板に、という
ボクが考えた最強戦艦!のようなヤッツケ作業で
急遽「戦艦空母」に改造されちゃいました。
その名も「航空戦艦」!
名前がいいよね。海底軍艦みたいで。
空飛びそうだし。飛ばないけれど。
発進はカタパルトで無理にでもできる。
ところが、飛び立った飛行機は
近くの島の飛行場に着陸しろって
非常に乱暴な運用計画である。
でもそれでよかったらしい。
なぜならその頃の日本軍のパイロットは
発進はできても着艦ができない
技量の新兵ばかりだったから。
素人にも”戦艦空母”なんて
まったく使いものにならないことくらい
想像つくけど、なにかしら行動しないと
やってられなかったんだろう。海軍も。
で、改造は済んだが
その頃には載せる飛行機がなくなってた。
そもそもパイロットも居ないし。
だから折角つくった飛行甲板に
大量の機関銃を取り付け
ついでに新兵器対空ロケット砲
(誘導装置なぞない
でっかいロケット花火発射機)
も取り付けて再デビュー。
そんな彼女らに過酷な戦いが待っていました。
小沢”おとり”艦隊の一員として
ブルとあだ名された猛将ハルゼー率いる
アメリカ空母艦隊と激闘を展開したのです。
そして、両戦艦とも生き残ったのデシタ。
ブル提督が後に書き残した回顧録では
あれだけの航空機をぶつけながら
航空戦艦を仕留められなかった事に
「よほどの腕利き艦長が
操艦していたんだろう。
あれでは仕方なかった」
とか書いている。
一方、航空戦艦「伊勢」艦長の回顧録も
読んだことがあるんですけど
こちらもとても面白いことが。
伊勢艦長も海軍エリートのひとりでしたが
それまで、ずーっと陸で
人事部だかのシゴトをやっていて
(海軍式に言えば”塩気がない”)
戦いの直前になって
急に艦長の辞令を受けたんだとか。
とにかく過去十年以上、艦長職なんて
やったことなかったから、困った艦長。
オフィシャルではないが
歴代の艦長が独自研究して残してきた
対空戦闘マニュアルを艦内に発見、熟読。
見張り員には、敵機が襲ってきたときの
報告法を事前に徹底させた。
かくして新米艦長は、初陣で
アメリカ海軍航空隊の魚雷、爆弾を
避けまくり、自艦を生還させたのでした。
艦長が言うには
航空機が爆弾を落下させるとき
ある一定のところからコースを変えずに
狙いを定めないといけない。
また一度狙いを定めたらば
投下するまで機体を動かせない状態が生まれる。
そのタイミングで回避行動を取れば
ほぼ避けられた、という。
さぞや右に左にと動き回ったのかと思いきや
戦艦伊勢は
「おもーかーじ!」
回避を全部、面舵(おもかじ)だけで
乗り切った・・らしい
理由はただ、
艦長が言いやすかったから(笑)
ちなみに僚艦の日向は逆に
”取り舵”だけで逃げ切った。
アメリカ軍の中に、両艦の動きを
じっくり観察する余裕のある兵士がいれば
あるいは伊勢も日向も、裏をかかれて
大変な事になったかも知れない。
敵軍の攻撃に、伊勢の艦長は
アメリカ軍も技量が低い兵が多いこと
更に言えば敵軍のなかに
”勝ち戦気分”が生まれつつあり
必死に戦争する人間が少なくなっている、
そう感じたらしい。
そんな様々な理由から伊勢と日向は生還した。
このあとも伊勢は、主に米潜水艦により
海上輸送路がズタボロになる中
シンガポールからゴムと原油を積み込み
ニッポンに送る輸送任務も成功させるが
このあたり、もはや航空戦艦の任務でも
なんでもない。
しかし、伊勢が必死に運んだ原油は、
戦艦大和の特攻作戦に使用されたというから
悲しいな。
伊勢・日向はともに、ガス欠で動けなくなったので
呉基地近くの島で、浮かぶ砲台として活躍。
大破着底して終戦。
戦後、解体されました。
現在、海上自衛隊では
「いせ」「ひゅうが」は
新鋭"ヘリ空母"として
生まれ変わり頑張ってます。
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