2019年03月02日

なつかしの愛機の歴史1

「なつかしの愛機の歴史1」

急に書きます。
我が人生のコンシューマーゲーム機の歴史。
つか、誰が読むんだ的思い出話。

我が家の(俺の)
コンシューマゲームハード変遷史

・テレビゲーム6
・PV1000
・ファミコン
・SG−3000
・PCエンジン
・PCエンジン CD−ROM
・メガドライブ
・スーパーファミコン
・ゲームボーイ(薄い方)
・プレイステーション
・セガサターン(ビクター仕様)
・Nintendo64
・PS2
・ドリームキャスト

ずいぶんと長い間、主力機がPS2の
時代が続き・・
こっからは息子の世代↓

・DS
・3DS
・WiiU

〜ファミコン前夜〜
【テレビゲーム6】
前にも書いたけどPONの実家は
小売酒販業で、当時の酒屋は
とにかく景気がよかった。
このゲームは、どこかのメーカーが、
酒をコレだけ売れば差し上げます
(あるいはモノスゴク安く提供します)
とか、そんなキャンペーンで
親父が入手してきたヤツ。

テニス、ホッケー、バレーボール
それが1人プレイまたは対戦で選べるから6。
基本はブロック崩しを横にして
バーを上下に動かし、ボール(ドット)が
自軍のゴールに入ったら負け。
バレーはネットのつもりなのか
中央にドット障害物があり
ときどきイレギュラーの方向に跳ね返る。

PONはホッケーが一番好きだった。
テニスは後ろのどこに吸いこまれても
負けになるので、なんか尻が落ち着かず
バレーはコート真ん中にある
ドット障害物がとにかく嫌で。

その点、ホッケーは自軍のゴールポストが
小さいので入りにくく(もっとも敵も
そうなんだけど)とにかくゲームが
長続きするから。

当時は”ゲームパッド”なんて
発明がなかったから、本体に直接、
”動作ツマミ”がくっついており
プレイヤーが白熱すると
本体が左右に動き始め
物理的な妨害合戦に発展した。 

今も保有しているが、古すぎて今の
テレビには接続できない。
しかも電源が単2電池×6だったかな。
電池だよ電池。 

【PV1000】
これも酒屋ルートで手に入れたモノ。
前夜と書いたけども、これがカシオから
発売された頃にはすでに”ファミコン”が
爆発的ヒットしつつあり、PONも指を
くわえていたものだが
そんな折、親父が持ち帰ってきたのがこれ。
”PV1000”

”PV2000”って兄弟機も
在ったらしいが弟機と互換性はない。

物珍しさもあって、結構PON家に
友人が入れ替わりやってきたものだ。
確かにファミコンにはないラインナップ。
ナムコのワープ&ワープ
コナミのツタンカーメン
ユニバーサルのスペースモンスターとか。

でもいかんせん、再現度が低く
しかもファミコンなら2コンが標準装備の中
コントローラーがひとつしかない。
(欲しけりゃ追加購入しろってこと)
しかもヒコーキの操縦桿みたい。
二つあったとしても、マリオブラザースの
ような滑らかなバトルなど望めないし
そもそも二人対戦ゲーム自体が無いから
あれでよかったのかも知れない。

〜ファミコン前夜 その他〜

持っては居なかったけれど
当時のPONの周りには
「カセットビジョン」「ぴゅう太」
なんかを遊ばせてもらった覚えが。
”きこりの与作”では、あの
見ようによっては”イナズマのようなナニか”
を”イノシシ”と強弁する
ゲームメーカーの大人に対し、
さすがに不信感を持ち始める。

これもいつか記事にしたいが
「ゲーム&ウオッチ」
「FL電子ゲーム」

ファミコン前夜はこういったモノが
大いに流行った。

昭和って大人は大人であろうとし
コドモはコドモたろうとした。
まっことシンプルな時代だった。
つづく。
 
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posted by PON at 09:13| 神奈川 ☀| Comment(0) | ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする