「―かの時に言いそびれたる―
大切の言葉は今も―胸にのこれど」
これも上司からもらった本。
北村薫氏の本は初めて・・だったと思う。
これは北村薫「時の三部作」のひとつで。
「スキップ」「ターン」「リセット」
自分は、いきなり最終作から読むことになった。
もっとも、この三つは特に繋がっている
訳ではないようで、作者が「時と人」にこだわって
書いた一連の作品ってことらしい。
<あらすぢ>
遠く、近く、求めあう二つの魂。想いはきっと、
時を超える。『スキップ』『ターン』に続く
《時と人》シリーズ第三弾。
「・・・また、会えたね」。昭和二十年五月、神戸。
疎開を前に夢中で訪ねたわたしを、あの人は
黄金色の入り日のなかで、穏やかに見つめてこう
いいました。六年半前、あの人が選んだ言葉で
通った心。以来、遠く近く求めあってきた魂。
だけど、その翌日こそ二人の苛酷な運命の始まりの
日だった。流れる二つの《時》は巡り合い、
もつれ合って、個の哀しみを超え、生命と生命を
繋ぎ、奇跡を、呼ぶ。
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ちょっと読みにくいのが難点。
あまりに表現方法に凝りすぎていること、
(主人公に、わざわざ病床からカセットテープを
用いて子供たちに遺言めいた思い出話を
させるあたりとか・・)
時代感を出したいためか、その時代の子供文化を
作者が一生懸命、研究して散りばめたシーンが
各所に見られること。はっきり言ってその時代に
まったく興味のないPONのような人間には
読みにくいだけで。そんな、細々と昭和初期の
芦屋のハイソな生活、少女かるたや、
昭和30年代の男子小学生の生活のことを
記述されてもねえ。
各時代の子供文化のシーン描写中ともなると
作者がその描写に夢中になってしまい、
一部、物語の展開が止まってしまってます。
さらには詳細に記述しすぎて、興味を持って
よーく読み込まないと、せっかく物語のキーとなる
「歌」や「小道具」を読み飛ばしてしまうかも。
それだけ研究したんでしょう。だけに最後の
参考資料の数々はすごい。この小説は、当時の
子供の生活を凝縮したタイムカプセルとして成り立つ。
さらに、主人公のハイソな少女時代、
大人の情報の断片から、子供の視点で
大人の世界=太平洋戦争の推移が、
「他人事」として描写されているところには
「まあそんなモンだったんだろうな〜」と
素直に感心した。
その分、物語の構成は実はシンプルなんで、
タイムスリップモノにありがちな、
「一方その頃、もう一方の主人公は?」
といった頻繁な場面転換、時系列の変更が少なく
その点で読みにくさは多少緩和される。
この物語、はっきり言ってキモは、
悲恋の修一君と真澄さんが、実はなんども
「〇〇〇〇〇」って「〇〇〇」あう
という部分なんで、そのキモをひとつの
小説として完成させ、感動に結びつけるため
肉付けしつつ、細部に工夫を凝らした・・と。
そんな感じです。
「・・・いきなり、いなくなってしまうのは
止めてほしい」
自分は一回読めばもういいか。
それにしてもずいぶんと、遠回りしましたなあ。
お二人さん。
ちなみに現在、船の資料館に二式大艇はないよ。
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「しし座流星群」
といえば、最近ドラマ化された「流星の絆」を
観たこともあって、同時期にこのワードが
PONの周囲に沸いたのにはちょっと驚き。
「自分の意見を言ったときには必ず
人の意見も聞きなさい」という学校の教えは好きだった。
「忠勇、義烈、純忠、至誠、誠忠―と、
厚化粧のような言葉が並べられました。
どれほど多くの語を集めて追いかけても
黄泉路へ去って行った方々に追いつきはしないでしょう。
言葉を集めるか、あるいは沈黙に無量の思いをこめるかが
残された者の礼だと思います」
「―我々は今、滅びの時を迎えているのだ、と」
「―帝国とは我々ではなかったのか。
それなら、どうして皆な、帝国と共に滅びないのか」
「親は子供達のために、素敵な時代を残そうとするもの
でしょう。わたし達の親の世代は、強い日本を
渡そうとしたのね。「力」を。
ところがうまくいかなかった。それを見ていた
子供が、今、親になった。だから今度は、
豊かさと文化を手渡そうとしている」」
「―豊かになれば堕落する。キリギリスさんのように。
だからそれを支えられる文化という穀物を集めているの
日本人というアリさんは。―本能なのね」
「会議は踊る」より
リリアン・ハーヴェイの「唯一度だけ」
「ジャスト・ワンス・フォア・オール・タイム」