2009年08月22日

「最後の伊賀者」 司馬遼太郎

「最後の伊賀者」
司馬遼太郎 講談社文庫

この本なんかオフィスビルのゴミ捨て場で拾った。
どこかの会社の内勤のおじさんが捨てたモノ
なのかもしれない。読むにはかまわないが
外装は既にボロボロ。三色本屋もさすがに
買い取ってくれないだろうなァ。

忍者モノ短編コレクションかと思いきや
別に忍者だけでなく司馬遼太郎短編集でした。
短編は長編とは別の意味で作家の力量が
問われる分野ですね。

なかには、司馬氏が何でこの人をセレクト&
このエピソードを切り取ったのだろう?
ってのもあるけれども、
月並みな言い方をすれば、司馬先生の案内で
安全無害なタイムマシンの窓から、歴史人物
(あるいはそんな人もいたであろう)の人生を
のぞき、無責任に楽しむ・・そんな感じです。

・下請忍者
・伊賀者
・最後の伊賀者
・外法仏(げぼとけ)
・天明の絵師
・蘆雪を殺す
・けろりの道頓(どうとん)

あらすぢ
内容(「BOOK」データベースより)
驚異的技能と凄じい職業意識を持つ怪人たち、伊賀忍者
はいかにしてつくられどのように生きたか。城取り、
後方攪乱、探索密偵等、戦国の武器として使いちらされた
危険な傭兵、詐略と非情の上に成り立つ苛酷な働きが、
歴史の動きに影響を与えた不思義な人間たちを、自在に
描く短編等、魅力溢れる7編を収録。

・下請忍者
「もともと刀術などは別に神秘的な術でもなんでもない。
 反射能力というという素質の上に腕力があればいい。
 あとは練習によって敵よりも早く刀を使えればいい」

 忍者には「上忍」と「下忍」という階級があり、各地で
 大名の雇われ情報工作員で金を稼いできたのは下忍で、
 上忍(と老いた下忍)はその上前をはねて生きていた。
 一度下忍になってしまったら、一生下請で終わる。
 そういう「しきたり」を嫌がり「抜け忍」になるものもいる。

 「抜け忍」には壮絶な制裁が待っていると、現代人でも
 知っているが、多分にイメージ先行なようである。

 確かにそういう一面もあるけれど、実際に、制裁する
 方もされる方も、本気になって制裁を実行したら
 下手をすると共倒れ。メリットは一つもない。
 それに腕のいい忍者は、そうそう仕立てることも
 できないし、上忍にとっては飯の食い上げだからだ。

 忍者だけでなく戦国の庶民はそれでなくても「したたか」
 表向き、裏切りは「死」、となっていたとしても
 その実、いくらでも逃げ道は存在するモンなのである。

・伊賀者
「みずから魔性であらねばならぬ伊賀者が
 神仏を祈るようになれば、ついに間忍(しのび)の術は、
 伊賀から地をはらって亡びるときがくるだろう」

「城館で、女をさがす。それと盗みだけが、この精神の
 奇畸児どもの楽しみであった・・江戸時代には淫と盗を
 自戒したとあるが、真実の戦国忍者にはそういう後世の
 儒教趣味はない」

 忍者という異能の集団の里、「伊賀」。
 忍びの術そのものが、人間性と常識を捨て去った上で
 はじめて手に入れるものであり、彼らが信じられるモノは
 忍者業界独特のオキテと、それに裏打ちされた「金」のみ。
 であるから、忍者業界そのものがひとつの宗教であり
 そんな業界に、外部の邪教が浸透したとしたら・・
 ダブルスタンダードによる業界の崩壊に繋がりかねない。
 主人公の下忍が、次々と降りかかる火の粉を払ううちに
 行き着いたコトの真相と、彼の運命を描く。

・最後の伊賀者
「伊賀の叛骨(はんこつ)」という。叛骨といえば
 ていはいい。幼児から人を猜疑する機能のみを育てられ、
 妻子も持たず、あるじに仕えた伝統も経験ももたない
 彼らは人の畸形であったろう・・」

 忍者とは精神的に畸形の集団であり、ひとりずつが
 独立した自営業者ともいえる。戦国の世の終焉により
 江戸幕府が彼らをサラリーマン化しようとしたことに
 対する最後の伊賀者の抵抗とは・・。
 という話。
 頭悪いね、というか精神的に畸形(社会的に適応できない)
 に育てられてしまった忍者の社会に吸収される様が描かれる。

・外法仏(げぼとけ)
 なんか結構大変・・だね。祈祷合戦。

・天明の絵師
「今でこそ与謝蕪村は近世の画聖と言われるが、当時は
 俳人蕪村の手なぐさみ程度にしか思われていなかった。
 「首くくる縄切れもなし年の暮」
 という俳句をつくって年末に門口に張り、ようやく
 債鬼を追っ払うような生活をしていたのである」

「戯作者め・・」
 呉春も上田秋成を軽蔑していた。
「物を書く男などは、自分の独断(ドグマ)にあてはめて
 世間や人事を見ている。呉春は秋成の「雨月物語」を
 読み、その想像力には感心していたが、現実の秋成の
 想像力とは、なんと陳腐でありきたりで通俗的なの
 だろう・・」
 
 何でもそれなりにこなすが、やることすべてに心が
 こもっていない、器用貧乏の見本のような若者、呉春が
 絵で飯が食えるなら・・と気のいい与謝蕪村に弟子入り
 する。 

 いろいろあって途中から、やはり器用な呉春は応挙派に
 乗り換える。その円山応挙の話が面白かった。彼は写実
 主義を世に広め、上手い絵=リアルに写しとることと
 思っている素人には圧倒的な人気を誇っていたが、絵は
 精神であるとする文人画の連中からは、俗中の俗とバカ
 にされていたらしい。

 応挙が、野馬が草を食う図を描いた。ひとりの農夫が
 それをみて・・「まるで生きているようだが、ただ一つ
 本当の馬とちがっている。馬は草を食うとき、草の
 尖(さき)で 目を傷つけぬようにかならず目をとじて
 いるものだがこの馬は目をあいている」
 応挙は感心して農夫に謝し、さっそく目をとじた図に
 書き直した。それが円山派の本質である。

 農民と馬鹿にすることなかれ。現場の風景は現場の人間が
 一番良く知っているといういい例。

・蘆雪を殺す
 やはり円山応挙の弟子であった蘆雪の話。
 エキセントリックな小心者である蘆雪の一代記?

・けろりの道頓(どうとん)
 道頓っていうから、忍者の「伊賀崎道順」の話かと
 思ったが違ってた。先日23年ぶりに発見された
「ヘドロカーネルサンダース像」が沈んでいた、
 あの「道頓堀」を切り拓いたヒトの話である。

 不思議な余韻を残す作品。読み終わったあとに
 道頓堀の濁った水を眺めてみるのも一興か。

面白かった。さすが司馬遼太郎作品(→何様w)



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posted by PON at 21:00| 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書(歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても楽しいブログですねっ!
これからも頑張って下さい。(応援)
Posted by サイト売買マン at 2009年11月03日 20:12
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