2009年12月08日

「償いの椅子」沢木冬吾

「償いの椅子」沢木冬吾

「外道には二種類ある・・自覚した上でイザとなると
 鬼になれる外道と、自分のことしか考えない外道。
 能見、お前は前者なんだろ?」

あらすぢ
内容(「BOOK」データベースより)
五年前、脊髄に銃弾を受けて能見は足の
自由を失い、そして同時に、親代わりと
慕っていた秋葉をも失った。車椅子に頼る
身になった能見は、復讐のため、かつての
仲間達の前に姿を現した。刑事、公安、
協力者たち。複雑に絡み合う組織の中で、
能見たちを陥れたのは誰なのか?
そしてその能見の五年間を調べる桜田
もまた、公安不適格者として、いつしか
陰の組織に組み込まれていた。彼らの
壮絶な戦いの結末は…。

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ハードボイルド・ピカレスク小説
二度読むほどではないけど、面白かった。

内容は、ルパンで例えれば、ルパン一家の
大黒柱ルパンが死んでしまった後
残されたキャラがそれぞれに道を見出すまでの話。
主人公「能見」=手負いの次元かな。この場合。

この作者の持つ構成力、筆力はかなりの物。
個別の人物が持つエピソードを小さな単位とし、
ジグソーパズルでいえばバラバラのピースとして
各所に配置されており、
読者はそれをほぼタイムリーに入手できるので
ハナシがつながってくる。

この作者は自分の小説がというか、
自分がつむぎ出す世界がダイスキな人に違いない。
何度も何度も読み返し、推敲し、ブロックを
並び替えるかのように小説を完成させたのだろう。

一方、この手の小説にありがちなのが、
時間軸の前後や場所が変わったり、
なんの前フリもないままキャラが登場して
急に芝居を始めたりと、構成に振り回されてしまい
読みにくくなってしまうこと。
ひととおり、人物をアタマにインプットできれば
後はグイグイと引き込まれ、面白い小説になると思う。
その、人物インプット作業が面倒なんだけど。

登場人物は、それぞれの父親が外道であったために
家庭的にみな不幸な出自。そんな彼らが再び「父性」を
見つけ出し、また失なうまでの物語。

この小説における完全な「父性」こそが
主人公「能見」である。

そして「能見」のライバルである「南城」。
彼はこの小説で唯一、父性に当たる存在を
見つけ出すことが出来ず、また自らも「父性」に
なれない不幸な存在。

だからこそ能見のライバルくらいにしか
なれなかったのかも知れない。

そんな「能見」と「南城」だが、子供(特に女の子)
にはそろって調子が狂うってところは面白かった。

そして狂言回しの桜田。彼は警察側の人間で
正義感が空回りして南城にだまされるままに
行動していたが、そのうち自意識を持ちはじめる男。

小説に出てくるキャラは「能見」を
はじめ「南城」にしても完璧な男でありすぎて
読者はとてもあんなになれそうもなく

ああいった非日常的ドンパチに巻き込まれた時には
能動的に動いたつもりでも結局は、桜田のように
なってしまうのが関の山。
(この小説、能動的に動かないキャラ=警察官は
 名前が「カタカナ」です)

最後の最後になって、やっと舞台の袖まで
たどり着くことの出来た、エキストラのようなキャラ
「桜田」が主役の能見に言うセリフが素敵。

能「たしかアンタ?」
桜「・・いちファンですよ」

しかし「公安」ってあんなイヤーな団体なんだろうか?
今度知り合いに聞いてみようかな。
公安が嫌な団体というよりも、陰湿なインテリジェンス活動
(要はスパイ合戦)に対抗する組織となると、
自然と陰湿にならざるを得ないのでしょう。

対諜報活動部隊が「甘ちゃん」の集団だったら
そっちの方がよほどコワイ事態。



「怪物と戦う者は自らも怪物とならないように
 気を付けねばならない。 汝が深淵を覗き込むとき、
 深淵もまた汝を覗き込んでいるのだ」


フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

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