2011年05月25日

海外青年協力隊

「海外青年協力隊」

名前のとおり、発展途上国へ赴き
戦争ばっかりに明け暮れ、農業や工業や教育など
立ち遅れている分野について
コツコツと指導する方々。
一度行けば、数年単位で帰れない。

それでいながら、時々、
理念なんかくそ食らえの
近視眼な地元武装組織に誘拐されたり
時には命まで落とすことになったり・・と
やってらんねーだろう。

志願者はほんと立派だと思います。
世が世なら名が残る行為だ。

日本も明治維新後、立ち遅れた産業を
盛り上げるべく海外から次々とあらゆる道の
第一人者を招聘した。
おかげで今もいろんなところで
「日本の○○の父」とか
外国人が奉られる姿に出くわす。

現在「海外青年協力隊」として各地で
頑張っていらっしゃる彼らも

100年、200年後に現地で再評価されて

アフリカ納豆産業の父「山田太郎」

とか、博物館まではいかなくても現地の書籍に
名前くらいは載っているといいなあ。

ただ、時々思うのだが、日本の社会(会社)の方に
彼ら元「海外青年協力隊」が
諸外国で活躍して戻ってきた後
社会人として迎え入れる態勢が少ないのが難点。

彼らの「海外青年協力隊」としての活躍が
「キャリア」として認められることが
あまりに少ないためだ。
企業からすれば単に「数年間日本にいなかった」
という捉え方で終わってしまう事が多いようで
同期間、引きこもっていた連中と
同列に扱われかねないコワさがあるのです。

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posted by PON at 21:00| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>雫石様

コメント有難うございます。PONです。
実は自分の先輩も、海外で活躍しながら
帰国して、契約社員で警備の仕事
(警備業が悪いとは言いませんが、もう少し
 先輩のスキル、経験にみあった待遇、
 もしくは業務があってもいいのになあ、と
 思った事がありまして、記事にしました)

>広報のしごとなどをして
>糊口をしのいでいました。
とは申せ、実はそういった雌伏の時期こそが
次への飛躍への起爆剤になったりするんですが。
でも食べてゆかねばなりませんし。

>その後、彼は谷甲州という名で作家に
ええ?谷甲州さんがご友人なんですか!
ビックリしました。航空宇宙軍史
読んでみたいと思います。
Posted by PON at 2011年05月27日 12:45
私の友だちで、若い頃海外青年協力隊にいた男がいます。大学を卒業して、建設会社に就職したのですが、そこを辞めてネパールに赴任しました。その後フィリピンでマルコス追放の騒動に巻き込まれたりして、帰国しましたが、適当な再就職口がなく、国際協力事業団で広報のしごとなどをして糊口をしのいでいました。
その後、彼は谷甲州という名で作家になったから良かったですが、作家にならなかったら困っていたでしょう。
Posted by 雫石鉄也 at 2011年05月26日 09:29
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