「大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス」
子供のころに見た怪獣映画の中では
No1ですね。断言します。
<あらすぢ>
富士山麓で
古代恐竜の生き残りらしい「ギャオス」の
眠る洞窟を見つけてしまったから
あら大変、後は「えらいこっちゃ」です。
大映の「ガメラ映画」は東宝の「ゴジラ映画」に
対抗して作られたことは明らかですが
「後発組はただモノマネしても駄目。
オリジナルな要素が無くては!」
「大衆が求めているモノは要は「エロ・グロ」であり
映画なんてウケれば良いのだ!」
という
当時の大映「永田=ラッパ=社長」の考えから、
ガメラ映画は自然とそういう方向性を
持つことになりました。
一方、初期のゴジラ映画は
後にウルトラマンも手がけることになる、
特撮監督「円谷英二」氏が担当していましたが
「怪獣映画はやっぱり子供のモノだから
「エロ、グロ」は絶対によろしくない」
というのを「ポリシー」としていたようです。
だから、初期のゴジラ映画の場合
怪獣が街を壊すことはあっても
人間を直接食べたりするシーンはありませんし
怪獣同士の戦いでも血を流すシーンは
ほとんど無いはずです。
そうすると、どうしてもゴジラ映画は
「恐怖心」が薄くなりがちで
「怪獣プロレス」だと
お子様たちをはじめ、大きなお友達に
揶揄されてしまうわけで。
その点、「ガメラ映画」の基本的コンセプトはズバリ
「ゴジラ映画」の反対を行くに
他なりません。
必然的にガメラの戦い方は
血を流し、体の一部が損壊(甲羅だけれど)し、
敵の怪獣は残忍なまでに「人間を食い殺す」のです。
しかし「残虐」こそ「お子様」の王道。
実は、当時のお子様はそんなガメラ映画にこそ
「リアル」や「恐怖」を感じてしまいました。
そして「リアル」や「恐怖」の代表がこれ、
「ギャオス」なのです。
それこそスッポンのように
足に喰らいついて離れないガメラから
自分の足を自分のレーザー光線で斬ってまで
脱出する冷酷さ、計算高さ!
激闘の翌朝、港湾作業員!が
港に浮かぶギャオスの切り取られた
足を発見してたまげるシーン
どこを見ているのかわからない
眠たげな眼が山影から覗く怖さ
そして、これまでの怪獣映画の禁じ手、
新聞記者を直接食べるシーンもあります。
それだけ「ギャオス」というのは
当時の怪獣小僧の中でも特別な存在
だったんでしょう。
その後、怪獣小僧達が成長。
その中から映画監督になってしまった
彼らの手によって
平成の世の中で「ガメラ」が
リメイクされましたが、
彼らが選んだ敵役は「ギャオス」でした。
いやぁ「ギャオス」で良かったと思います。
もし敵役が「ギロン」や「ジャイガー」だったら
どうしようかと思いましたもん。
怪獣相手にそんなにムキにならんでも・・
相方のあきれる声が聞こえそう。
製作年:1967年
日本劇場公開:1967年3月15日
同時上映:「小さい逃亡者」
上映時間:87分/8巻/2369m/カラー/ワイド
製作:大映東京撮影所(日本)
配給:大映
監督:湯浅憲明
脚本:高橋二三
主題歌:「ガメラの歌」唄:ひばり児童合唱団
本郷功次郎
笠原玲子
阿部尚之
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>この前年の東宝特撮、エビラが人間を
>串刺しにしていました。
そうですか〜。そんなシーンも
ゴジラにはあったんですね。
いや勉強になりました。
情けない話、自分はゴジラが
カエル顔になってからの話は
所々未見作品があるのです。
>大映の路線に、東宝も反応したんでしょうか?
ゴジラ映画もそんな方向性にチャレンジしたことも
あったんですね。
ご丁寧なレスをいただき恐縮です。
こちらこそ、よろしくお願いいたします!
この前年の東宝特撮、エビラが人間を串刺しにしていました。
大映の路線に、東宝も反応したんでしょうか?
しかしガメラは、痛いですよねぇ、、、
またよろしくお願いしますね。