「迎え火の山」(講談社文庫) 熊谷達也(著)
面白かった。
作者の熊谷達也氏は仙台在住で
東北地方を舞台にした小説を多数書いている。
東北を舞台にしたオオカミ小説(明日紹介予定)
「漂白の牙」が面白かったんで
今度はどんなもんだろうと読んでみたら・・
<あらすぢ>
祝≪第131回≫直木賞受賞!
生と死の臨界に迫る傑作伝奇ミステリー
史上初!山本周五郎賞と同時受賞
旧盆の十三夜、出羽三山の霊峰月山(がっさん)の
頂から麓に連なる迎え火。即身仏(ミイラ)取材で
帰省した工藤の友人正志は、古来の採燈祭
(さいとうさい)復活に奔走していた。
だが工藤の父親に続き、正志も闇の中で襲撃される。
もう1人の同級生由香は工藤に、鬼から村を
守ってきた一族だと明かし、
「祭を止めて。ソ乱鬼(そらんき)が降りてくる」
と告げた。
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なんか「七夕の国」(名作漫画「寄生獣」の作者の
次の作品)を思い出した。関係ないけど
あの作者の描く女性キャラってなんか魅力的だ。
最近ひそかにブーム?になっているらしい
「あひる口」を真っ先に取り入れたからじゃないかな。
それと必要性があれば脱ぎっぷりもいいし
それはそうと「迎え火の山」です。
さまざまな思いを抱えつつも
地方には地方の暮らし方があり・・
故郷の学校を卒業するや
都会に出ていっさい帰郷しない者
田舎と都会に愛憎半ばの気持ちを持ち
地元に就職してそのまま同化する者
ま、かるくネタバレすると、真相を突き止めるべく
奔走する主人公にこそ最大の理由っつーか事情が
隠されている、というパターンの小説です。
誰が味方なのか敵なのか。
最後まで見逃せない。
その辺の「話はこび」はさすがだと思った。
それと小説内で語られる「人の死」と「霊」に
関する解釈が独特でこれまた興味深い。
この世界では、人間も含めた動物が死んだとしても
死後の世界は存在せず、無。
さらに神もいなければ仏もいない。
でも「死霊」だけは存在するのだ。
「死霊」ってのは「この世に対する執着心」
というパワーが形となってしまうもの。
であるから人間にしか存在し得ない。
誰かが「死霊」になったとしても
生前の本体はきれいさっぱり消えてしまっており、
そのほとんどは、生前の行動パターンを
何も考えずにただ繰り返す。
いわば実体のないゾンビのようなもん。
それがうろつけば「幽霊」とりつけば「背後霊」。
背後霊なんか、別に責任感を持って
子孫を守ってやろう・・とか
そんな知性も理念もない。
たとえば、死んだばあちゃんが
孫をもう少し見ていたかったな・・と思う
そんな気持ち=「執着」が「霊」になって
背後に取り付くだけ。
死の直前に「孫」を守ってあげたいと考えた
その気持ちに忠実な死霊が
結果的に「背後霊」になるのだ。
(恨みを持った悪質な霊が背後霊とならぬために
自分が取り付くという意味もあるようです)
んで、「この世への執着」でもっとも
粘着質で悪質なのは「恨み」の念とのこと。
積もり積もった「恨みの悪霊」
そんなものを生み出してしまう人間こそが
一番始末に悪い存在ということになる。
それがこの世界の「能力者」には
見えてしまうのだ。
昔は世界の各地にその「能力者」がいて
「悪霊」の封じ込めかたも心得ており、
なにより庶民レベルでも畏れ敬いつつ
儀式を行ってきたが、
近代化、合理化の波が席巻している
今となっては・・
最大の敵がなんか結構「あっさり」だったなのは
ちょっと拍子抜けでしたが。
一気に読んでしまいました。
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