2011年12月02日

「一九五二年 日航機「撃墜」事件」松本清張

「一九五二年 日航機「撃墜」事件」
松本清張 著 角川文庫

「もく星」号とか「天おう星」号とか
飛行機(というより運行便)に
名前がついていた時代。「JAL○○便」とかでは
なくって、とても「時代」を感じる。
改めて考えるに、鉄道では未だ?列車に愛称が
ついている(はやぶさ、のぞみ、みずほ・・)んで
乗り物に愛称がつくのは別におかしな話ではない。

天おう星はたぶん天王星。英語で言う
「ネプチューン」なわけで・・そのまま「天のう号」
としてしまうと、さるお方と混同されるので
無理を承知で「天おう星」としたんでしょうね。

ま、それはともかく。当時の私には非常に
衝撃的だった「御巣鷹山」
JAL123便日航機墜落事故の本

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便
飯塚訓 著(講談社プラスアルファ文庫)と

墜落の夏―日航123便事故全記録
吉岡 忍 著(新潮文庫)

を読み、そこからオカルトマニアには
おなじみ「日航機撃墜説」へ派生
更にはこの小説の存在に行き着いたという次第。

あらすぢっつーか内容
内容(「BOOK」データベースより)
昭和27年、日航機「もく星」号は伊豆大島の
三原山に激突、全37名の命が奪われた。
その時、米人パイロットと米軍管制官の間に
どんな交信がなされたのか。全員救助の報が
絶望に変わる一夜の間に、米占領軍で何が
画策されたのか。犠牲者のひとり、ダイヤ
密売の美女は何者なのか。世を震撼させた
事件の謎にせまり、「40年目の真実」を
明らかにした、巨匠最後の渾身作。

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1952年4月9日に日航機「もく星」号が伊豆大島は
三原山に墜落したのは事実
もく星号墜落事故」なんだけど
これはあくまで小説。フィクション、虚構なので
氏がさも見てきたかのようなウソがつらつらと。

「もく星」号墜落事故にリアルタイムで
記憶しているニンゲンの方がよっぽど少数派な現在。
松本清張という名が一人歩きをはじめ、
なんか知らんが巨匠が書いた本なんだから
すべて実話なんだろ?
的雰囲気に
なりつつある気がする。

被害者のダイヤ密売の女性(宝石デザイナー
烏丸小路万里子)が果たして「美人」かってーと、
時代を差っぴいても・・それはさすがに
いいスギだろうよ、おい。とか
巨匠にむかって何たる言い草、俺。

岩手県雫石上空でも昭和46年、奇しくも
自分が生まれた年だが、自衛隊機が民間機と
空中衝突、乗客は全員死亡したが、パイロットは
脱出して無事という事件があった。
脱出したってことは、パイロットは生き残った
ワケで、その後、彼はどんな人生を送ったんだろうか。
なんかそっちのほうも気になるので
改めて調べてみようと思う。
調べるといっても、結局ネット。WIKIとか
その辺に落ち着いてしまうわけだが。

<追記>
その、ネットでちょこちょこ調べた所
全日空機雫石衝突事故」で
生き残った自衛隊のパイロット(教官と訓練生
教官は有罪、訓練生は無罪)にも、当然その後の
人生が有りまして。教官は自衛隊を退職して
20年位前に病死。訓練生も、やはり自衛隊には
いられず退職。しかしながら救命航空機の
パイロットとして別の組織で職務を全う
定年退職したとか。自衛隊と全日空のどちらに
非があったとしても、自らが関わったことで
大勢が死んだのは事実なわけですから
・・さぞかし辛かったでしょうね。

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posted by PON at 21:00| 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(社会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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