2006年11月12日

大野道犬

「MS」カテゴリは結構充実してきた
マスライですが
なかなか「戦国」が埋まらない。
本気で書き出すと疲れるし
やっぱり素人なんで
どこに突っ込み食らうか怖いし・・
とヘタレぶりを披露したところで

大野・道犬斎・治胤(はるたね)

戦国ものの小説、
特に大阪冬の陣・夏の陣という
戦国時代の終焉を書いている
作品を読むと、大阪方(豊臣家)として
唐突に出てくる武将。

なんでいきなり彼なのか?と
お答えするならば・・
当然PONは好きではありません。
というか、縁戚の方や地元の方以外に
ファンっているのでしょうか?
ともかく、彼が話題に上った理由は二点。

・名前に「犬」がついている
・悪役にふさわしいヘタレぶりと
 どうしようもない変な活躍のみ


名前に「犬」がついていたのは
実名じゃなくて「号」なんですね。

「号」・・号とは本来、自分で考えるもの
 というよりも、友人知人の、自分に対する呼び
 方からうまれる。顔つき、声の色、総体の風貌
 などをたがいに知っている小人数のあいだに
 自然にうまれてきたイメージや評価を元に、
 それにいささかのユウモアと衒学趣味、
 アイロニーなどを加えてドレスアップしたものが
 号になる
 (高野澄「名前読本」
 月刊『淡交』第49巻第6号 淡交社より)

ま、要するにあだ名みたいなものですな。
それにしても「大野道斎」
「犬」ですよ「犬」
仲間内に「野犬」扱い
される人間ってどんな奴??(苦笑)

「犬」って人の名前には用いませんね。
これだけ人類最古の友であるのに
「脳みそが足りない」
「なんでも言いなり」
「浅ましい」

そんなイメージが「犬」には
あるからなのかも知れません。

徳川方から見ても「敵役」として最適。
ただし「最終ボス」ではなくて
RPGでいえばシナリオ1の簡単なボスクラス。

どこからか湧いたような出自のはっきりしない
ほかの多くの戦国武将と比べても
道犬の出自は一応はっきりしてまして
お兄さんの「大野治長」は「淀殿」
(秀吉の愛人。世継の「秀頼」を生んだ)
乳兄弟の間柄で幼少の頃から近待していたらしく
その縁で、歴史に出てきたらしいです。

乳兄弟(ちきょうだい)・・乳母の 子供のことで
 幼少時から一緒にいることから、そのまま成人しても
 仕える者が大方。乳母とは実母に代って子に
 乳をのませ養育する女のこと。
 つまり、道犬は淀君と同じ「母乳」で
 育った
わけだ。

んで、彼がどれだけヘタレだったかといえば

・冬の陣に先立ち八尾を放火
・豊臣家の水軍を率いて船倉を守備するが、
 天候不良に油断
 野田・福島の戦いで徳川水軍に大敗。
 自水軍を壊滅させ、ついたあだ名が
 「橙武者(見かけだおしの役立だずという意味)」。
・夏の陣では紀伊(和歌山)出兵の際には
 堺に駐留して市街を焼き討ち。
 2万軒の建物を壊して焦土
とした。

当時の大坂「堺」は堀に囲まれた
自治区のような街で
日本の経済、科学技術、一部文化の中心
でさえありました。
そこ焼いてどうすんだっての。
以後「堺」の街は元には戻りませんでした。

「道犬」なにやってんのッ!!
ブライトさんに怒鳴られそうな野郎だ。
さすが「野犬」

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・・敗戦後、捕えられる。
恨みを持つ堺の人々が幕府に願い出て引き取り、
見せしめに焼き討ちにされた。
治胤は全身黒こげながら笑うなど
最期まで悪びれたところがなかったという。

何にも建設的なことなさぬまま死亡。
単に暴れたかっただけ?


posted by PON at 21:00| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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