新幹線、飛行機等の
移動手段の獲得により
地域の独自性はかなり薄れてきました。
もっとも顕著なのは「方言」。
とはいっても今でもビミョウな
イントネーションの違いは残っていますし
「河内弁」のように
お笑い大阪勢のおかげで
時に場を盛り上げる作用や
「おやくざ」さんのおかげで
緊迫感をも盛り上げる作用まであったり。
明治維新を迎えるまで、
江戸幕府は搾取対象の農民を
土地に縛り付けておくため
住居の移転を容易には認めませんでした。
要するに「青森」で生まれ育った一般民が
一生、鹿児島出身者と話す機会は無かった
ということです。
何かの本で読んだ気がするのですが
明治維新後、上京してきた
「青森県出身」の男と
「鹿児島県出身」の男との間で
まったく会話が成立しなかったそうな。
方言とはいえ、双方とも同じ「日本語」で
会話しているつもりだったのに。
徳川家康(三河→関東)が、
結果的に徳川に逆らうことになった
島津家(鹿児島)を
成敗(取り潰し)しなかった理由。
それは
「あいつら何言ってんのか良く解からんし」
というのが最大の理由だったのでは?
と書いている本があった。
笑える。
結構真実だったかも。
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※以前に書いてあった記事を
在庫整理も兼ねてアップしておりますが
本格復旧はまだ先になりそうです。