2007年01月25日

「洞爺丸はなぜ沈んだか」上前淳一郎

「つまり、しょせん人間は
 神様ではないのだ」

〜佐藤船長のつぶやき

我ながら、あまりいい趣味とはいえないが
自分は「沈没モノ」に、昔から興味がある。
ひょっとしたら、自分は前世で
そんな縁で死んだのではないか?
という感じもするくらい。
(別に水は怖くないけど)

化けの皮がはがれるというか
人間の本性がモロにでる
「緊急事態」
その時、自分は日頃偉そうに
ほざくほど、立派な行動が
できるだろうか??
そんな疑念を胸に読むことが多い。

そもそも「沈没モノ」という
ジャンルが確立しているのかは置いておいて
テレビ、映画、小説なんかで
よく沈没しているものといえば・・
「旧帝国海軍の軍艦」
「タイタニック」など。

70年代に流行った
「ディザスター(災害)パニックムービー」も
この延長で結構見まくったから・・
「ポセイドン」とか
「エアポートシリーズ」とか。

<あらすぢ>
昭和二十九年の青函連絡船洞爺丸沈没事故。
タイタニックに匹敵する多くの犠牲者を
出したこの事故の全貌を、時間の経過を
追って克明に再現し、事故の真因にせまる、
ドキュメンタリー小説。
台風接近中にもかかわらず
船長はなぜ出航したのか?

「事故」がこれから現実に起こるという
「規定路線」であれば、
そんな中で事故につながる
「出航」を強行する奴はいないし、
誰も文句を言う奴はいないだろう。

素人目には「平穏無事」っぽく
誰もが出航を望んでいる時期に
船長が「カン」と「経験」から
総合的に判断した結果、出航を見合わせ
そして結果的に何もなかった。
そんな時、乗客や下手すると
運行会社の経営陣の怒りの目は
「船長」にぶつけられる。

「無難に過ごせて当たり前」
「何もおきないのが普通」

船長の素晴らしい判断で
「何事もなく」終わったのに
助かったと微塵も感じない。
我々は、単に時間通りに運行しない
「青函連絡船」と「船長」に
怒りをぶつけるのだ。

こんな理不尽で孤独な職業もないだろう。
「判断」によって「助けられた」のに
「怨嗟の声」こそ喰らえど
誰からも有難がられないのだから。

こんなことでは国鉄の「醜態」だぞ!

現場のことを何も知らないくせに
お客は好き勝手なことを言うものだ。



記録にも残っていない、
当時の3等船客の代表として
描かれている「勇」と「節子」が
とても悲しかった。

文庫: 263ページ
出版社: 文芸春秋 (1983/01)
ASIN: 4167248042

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