昭和天皇とその時代 河原敏明 文春文庫
非常に面白かった。
先輩にもらった本なんだけど、かなり長い間放置した
いわくつきの本。
というのも、正直なとこ、どうせ旧態依然宮内省
ご推薦の皇室バンザイモノだろうと。
日曜あさ4:30とか、いったい誰が見るんだ的な
時間に放映している(と勝手に自分は思っている)
「皇室アルバム」とか、その手のテレビ番組、
いろいろ横槍が入り、結果、無機質でロボットのような
無条件お褒め上げ広報だろ、と決め付けていたからだ。
<あらすぢっつーか内容>
『天皇裕仁の昭和史』の完全決定版!
現代史最大の主役・昭和天皇の八十七年にわたる
日々を知られざるエピソードを交えて辿り、「昭和」
という激動の時代を描いた歴史巨篇
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自分にとって昭和天皇とはほとんど歴史上の人物で
(晩年、新年挨拶会で国民に手を振る姿とか
レッドカーペットの上で震える手で賞状を渡すすがたとか
テレビで見た記憶はもちろんあるけれど)
そんな存在が急に人間としてリアルに浮き出てきた。
よくぞまあココまで、と思うほどイロイロとエピソードが
続く。多くの人間が、いろんな地位から天皇と
係わり合い、引退後、日記なり思い出話なりを出版して
ひと稼ぎしてる。
なんか、一般人はガラス越しや写真でくらいしか
目にしないパンダの観察日記でも読んでいるかのよう。
もちろんパンダ=天皇である。
やれ、あれ食べた、これは嫌い。こんなコト言ってた等々
天皇にプライバシーはないなあ。
この辺ちょっと可哀相。
当時の関係者が、文献を残して亡くなったから
20年以上経過したからというのもあるだろう。
・江戸までの宮中では、天皇の子供たちの生存率
(成人するまでに生き残る確率)が半端でなく
低いのが常識だった。例えば6人生まれても
成人するのは1人だけとか。
その理由としては、医学などの面で(薬ひとつにしても)
非科学的な育児法がまかり通っていたから、
親戚同士の婚姻の結果、血が濃くなってしまったから
というのがあるが、実はそれだけではない。
さすがにあまりデカデカとは書いていないけど
宮中の女性たちの嫉妬(ネグレクトとか、病気のとき
積極的に助けない、時には○殺もあった様子)
明治天皇はその状況を非常に憂い、平民の子供は
スクスクと育っていることに目をつけ、自分の子供を
里子にだした。農家で6歳くらいまで育てられた皇族
も多数。昭和天皇も、当時陸軍大将を引退して、
清明で知られた政治家の家に預けられ、6歳まで
育てられている。宮中ではサンマは下賎な魚とされて
いたが、その大臣の家では普通に食べていたから
昭和天皇はサンマが大好きだった。
それはそれとしても、やはり家族愛を知らないで
育ったことに天皇は複雑なと思いがあったらしい。
自分の子供(現天皇)は普通に親元で育てることにした。
さらに、徳川将軍家だけでなく宮中にもあった
「大奥制度」も廃止した。まあこれはキリスト教の影響も
あったようだけど。
・20歳になって英国(西欧の国々)へ半年間の修学旅行
兼外交訪問に出た。以後、昭和天皇が洋食好きになり
英国びいきとなるきっかけとなった旅行だ。
当時のことだから海軍の船で数週間かけての船旅だが、
同行した帝国海軍大将が語るには、船内で田舎モン
まるだしな食事作法の若者がおり、まさかと思ったら
そのまさかだった。
食事は外交に不可欠である。これから世界中の
上流階級と食事することになる彼に、周囲にあれだけ
付き人がいながら、誰一人食事マナーを教えるものが
いない・・。宮中のそのあまりな無定見ぶりに絶望
したらしい。結局、大将は船旅中、マナー特訓をしたという。
昭和天皇(当時は皇太子)が海外旅行に出すなんて
外国かぶれになるから反対、キタナイ外国に行かれる
なんて・・宮中ではそういった反発が根強い時代。
お付の人が、皇太子にマナー教室をやりましょう、
そんなこと言い出したもんなら、自分がどうなるか、
そんな役人根性が放置を生んだらしい。
・役人根性といえば、昭和天皇の背中にデキモノが
出来、痛くて眠れない日々が続いたらしい。
そんなの、天皇専用のすごい医者がいるんだろ?
見てもらえばいいじゃん、なんて一般人は思う。
実際はどうだったか、たしかに侍医はいたのだが
彼は「内科医」であって、医者にお見せするか?の
会議でも、自分は内科医であるからよくわからないが・・
と、いいながらも、天皇が外科医にかかるのを強硬に
反対するのだ。一応、玉体(天皇の体)にメスを入れる
なんて恐れ多い、と主張するが、実は、麻酔薬が
悪い方向に働き、天皇に万が一がおきたら
あんた責任持てるのか?ということらしい。
せいぜい昭和50年ごろの話である。
肝心の天皇が痛がり、苦しんでいることなど
そっちのけ。ただ保身だけのための反対。
・昭和天皇と仲がよかった皇族が街の病院に入院した。
天皇ともあろう地位の人が誰かを見舞いに行く場合
それには「政治的意味」が含まれてしまうんだそうだ。
つまり・・「天皇がわざわざ足を運ぶということは、
見舞い相手の余命は長くないのだ」という死亡確定
フラグが立つんだそう。
クダラナイと思うけど、そういう外聞!をはばかった
周囲が見舞いに行くことを反対。天皇はその意に反し
ほとんど見舞いにいけなかったらしい。
外聞とご意思は外聞が勝ってしまうのだ。
この辺にも、宮内省の役人の行動は、結局のところ
天皇のためでなく、自己都合であることがわかる。
・他にも、女性誌なんかじゃ散々書き散らかされたけれど
美智子妃をめぐるイジメ。やっぱ壮絶だったみたい。
実に当たり前の結論なのだが、天皇も人間であり
怒りもすれば笑いもするし、ケンカだってする。
同じ「昭和天皇」には違いないが、それにしたって
若いうちと、70歳を越えてからの言動は違う。
(自分は生涯で憲法の規定を超えた行動を
2回してしまった、あの頃は若かったからな、と
ご自身で述べているくらいだ!)
・天皇機関説を世(主にマスコミと国会)が
騒ぐほどにはぜんぜん気にされていなかったり
2・26事件では怒りすぎた、あの頃は若かったからなと
述懐されていたり・・
明らかに間違った行動もするし
宮内省なんかはひた隠ししたがるけれど、宮家、
周囲の付き人にだって嫌なヤツは大勢いる。
むしろ中途半端に天皇に近い人間ほど
嫌なヤツが多いようだ。
昭和という時代を87歳まで生き抜いた、一人の
人間記として非常に読み応えがあった。
マスコミ・国民・国会(軍)は都合のいいときだけ
天皇の威を利用、
勝手に行動しているうちは報告はいい加減で
まずくなってくると言いつくろってごまかし
最後は責任を取らずに死んで逃げる。
この国は、全く変わっていない。
天皇に戦争責任があったかといえば「あった」と
自分は考える。しかしながら昭和天皇は十二分に
その責任をお取りになって昭和を閉じたと思う。
文庫: 493ページ
出版社: 文藝春秋 (2003/07)
ISBN-10: 4167416050
ISBN-13: 978-4167416058
発売日: 2003/07
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