急に思いついたんで書きたいと思う。
戦艦シリーズ。
資料性ゼロ、書きなぐりの
未確認情報だらけです。
子供のころ、たまたま入手した
「戦艦武蔵のさいご」という
児童向け戦記を読んだ。
生き残りの武蔵乗組員が書いた本で
あの本で「はらわた」って言葉とか
戦艦は戦闘直前に血のりで滑らないよう
甲板に砂をまく、なんてコトを覚えた。
10歳くらいの頃かな。
それとコレはもっとおっきくなってから
読んだ、吉村昭さんの「戦艦武蔵」。
一番艦大和は、文字通り
国家の威信をかけて国の造船所(横須賀)で
造られたんだけど、二番艦武蔵の方は国が
戦艦くらい民間でも造れないと困るよね、と
民間(三菱重工長崎)に造らせたもの。
それだけに三菱の技術者および造船所の
人たちのプレッシャーは半端じゃなかったようだ。
設計図はジグソーパズルのようにバラバラ。
一枚程度では、ジブンが何処の担当を
しているのか判らない。
もちろん全部厳格に管理されており
毎終業時には決められた場所に戻す決まり。
そして考えるだけでも恐ろしいが
一枚でも紛失していたら最後
誰かが責任を取って死んだくらいじゃ
終わらないぐらい、鬼憲兵からの
苛酷な追求が待っている。
吉村さんの小説に書いてあったけど
実際に一枚紛失したらしい。
スパイ合戦の末とかそんな話じゃなくて
現場の雑用係の少年がいたずら心から
一時的に拝借したのが実情らしく。
その少年と一家は、大騒動後
長崎に住んでいられなくなって・・なのか
満州開拓団に合流。
その後、息子の姿を地球上で見たものは
居ないという・・なんたるガクブルだらう。
あの巨大な船体を組み立てるドックは
”坂の町”長崎のどの地点からも
見えないよう、大量の葦(だったかな?)の
すだれで覆い、また、ドックが見えそうな
二階建ての家
(しかも外国の貿易会社が入居しているところも)
なぞは、お国のダミー会社が
いろんな理由つけ、その家ごと
買い取っちゃったりしたらしい。
そのほか、米英の領事館だかの目の前にも
用もないのにデッカイ倉庫作っちゃったり
ドックが見えちゃうから
坂の上のグラバー邸まで買い取ったり
(三菱重工が!)
とにかく間接的なところに凄まじく
金がかかっていたのだ。
・・にもかかわらず、長崎の人間で
武蔵の存在を知らない人なぞ居なかった。
軍に見つかったときの怖さを思うと
だれも大っぴらにはしなかった
というだけ。
”やっぱ民間はダメだな”と
言われないよう、三菱重工の人間は
それはもう頑張ったらしい。
その武蔵が大和に勝っていた点がある。
それは艦内の調度品の豪華さ。
さすが日本で唯一豪華客船を作れる会社。
このあたりは、もしかしたら
三菱重工の人間達の”意地”だったのかも
知れない。
戦艦大和が”ホテル”と呼ばれたのに対し
武蔵のほうは”御殿”と呼ばれ、
とにかく、海軍が誇る箱入り娘として
戦争することもなく、南の島で
大事に大事にされたのでした。
軍艦で下士官のいる施設にまで
クーラーが効いていたのは
両戦艦だけだというのだから・・ねえ。
主に提督など偉い人向けですが
三度の食事もうまかったらしいですよ。
武蔵の事ばかり書いてしまった。
大和については・・まあいいかな。
武蔵以上にネットや書籍のあらゆるところで
誰かがなにか書いていることでしょうし。
こっちは大和
その後、武蔵はシブヤン海峡にて
キャノン猪口という異名の艦長に率いられ
”被害担当艦”として沈んでいきました。
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