後世、仙石秀久が
こんなワタクシにまで
使えない武将扱いされ
長宗我部の長男が戦死して
長宗我部家没落のキッカケになった
「戸次川の戦い」
その戦いがついに戦国コミック
センゴク権兵衛で描かれた。
(ジブンは単行本派なんで
連載とタイムラグがあります・・)
センゴク権兵衛(10) (ヤングマガジンコミックス)
やばい。
ヤヴァイですよ。
戦国時代になんか
間違っても行きたくねえ、とか初めて思った。
名将でも愚将でもない、人殺しなんかない
普通の人でイイ、と思った。
武士は負けたら泥、カラスの餌。
このマンガを読むような人には
もう先刻ご承知のことですが
鬼島津が強かった秘中の戦術に
”釣り野伏せ”(つりのぶせ)ってのが
ありましてですね、
なんせ秘術ですから、どういった戦い方なのか
島津家の公式文書に残ってない。
でも彼らの戦い方をいろいろと研究してみると
要するに、自軍の一部を”囮(おとり)”として
敵前面に出し、わざとやられた振りをして逃走。
すると敵は調子に乗って追撃を開始する。
軍隊が弱くなるのは、たてに伸びたときに
後ろや横から攻撃されること。
ですので野伏せ(待ち伏せ)してた
別の島津軍が後ろやら、横合いから攻撃開始!
敵軍壊滅、ってナガレ。
銀英伝好きならよく解かるハズ。
そう、ヤン艦隊、十八番の戦い方。
ムライ参謀長いわく「ウチの艦隊は
逃げることばかり上手くなって・・」と
ぼやいたアレです。
たしか銀英伝の作者って九州出身
じゃなかったっけか?
だとしたら知ってて当然。
小説に取り入れても全然不思議じゃないです。
んで、その「釣り野伏せ」が島津軍の強さ・・
なのかと言えば確かにその一部ではあるのですが、
マンガの解釈だと、島津軍の強さというか
恐ろしさは、そんなところじゃない。
いわく、
薩摩はあまり作物がとれない地域、
食えない不満は外にぶつけ、
食べ物は分捕るしかない、つまり戦うしかなかった。
自然と尚武の土地柄になる。卑怯をこそ恐れ、
弱さによってヘタこいた場合は連帯責任。
全員殺されることだってある。
よって・・
”島津の兵士は敵ではなく自軍の将こそ恐れる”
戦国時代という時代であっても、ほとんどの”戦”は
侵略者(他国の軍勢)が、自国から出て行けば上等。
欲を言えば二度と攻める気を持たなくなれば最良。
”戦う気力”の無くなったら終了で
自軍が100人のうち10人も死ねば
戦いたくなくなる、ふつーは。
殲滅(皆殺し)なんて考えの外なのである。
どんな名将が率いたところで
死人は必ず出るものだ。戦国時代といっても
たかが雑兵とはいえど、自国の戦争で死人がでたら
その家族にしっかりと補償しないといけない。
そうしないと次に戦いがあったとき
誰もジブンについてきてくれない。
だからどこの国だって、簡単に自軍の人間を
死なせたくないし、できれば戦わないで
コトを終わらせたいものなのだ。
ホンキで戦っていない、とは言わないが
そういった時代の暗黙のルールがあるのに
首なんか獲るくらいなら1人でも多く殺せ!
前に居る味方が敵と戦っている間に
後ろから味方ごと敵を殺せ!
自らの肉を切らせているうちに
相手の骨を絶て!
命令不服従や退却なんてしたら死あるのみ!
そんなバケモノじみた戦い方が
当たり前である国があったらどうなるか?
それが実際にあったのである。
戦国時代のフツーの”いくさ”では
率いる勢力の10%に被害
(死人が出たってコト)があれば
もう敗色濃厚。
20%ならばほぼ”壊滅”といってよいらしい。
長宗我部信親(長男)はあの戦いで
1000名を率いていたそうだが、
そのうち700名が戦死した。
戦死ですよ?しかも大将も殺されている。
「戸次川の戦い」では、結局大将格が
三名も討ち死にしている。
これって異常すぎる事態なのです。
今後、戦国シミュレーションするときは
もっと”兵数”に気を使おう、と
妙なところで思いを新たにする。
500→0になるまで戦わせちゃうしなァ。
もっともコミックにあった鬼島津の
”神振り”の戦い方は論外。
マンガ的にイイキャラ立ちしてた
大友宗麟の息子、大友義統。
彼は遊軍として500名で、戦場に居たらしいけれど
全然描かれていない。
どこ行っちゃった?
やっぱ長宗我部の親父さん軍に吸収されて
スサノオ降臨とともに逃亡?
そんなところかもな。
一応、朝鮮半島の戦いにも従軍し
少なくとも関が原では黒田軍と戦っているから
あの地獄からは生き抜いただろうが。
長宗我部の親父(元親)のいう
”暴嵐の戦場では卑怯者こそが生き残る
我が子には卑怯者であって欲しい”(意訳)
のとおり、仙石だけじゃなくって
大友の息子は真っ先に逃亡したんだろう。
でも名声も金銭も、すべては生き残ってこそ。
死んだらどうにもならない。
乱戦の中で”将の器”の話が出てきた。
将の器を持つ奴とはどんな奴なのか。
考え方に、どうも二つの潮流がある。
”最後まで部下を見捨てない男のこと”と
考える人々が居る反面、
”いざとなったら部下を見捨てられる
冷酷さを持つ男”のコトだと。
後の話になるけども、今回の件で、
社会的に抹殺される”仙石秀久”は
小田原の北条攻めにおいて
家康の仲介もあって、秀吉に許される。
そのとき長宗我部艦隊も秀吉の命令で
相模湾にきているのだ。
艦隊に元親が乗っていたか調べてないが
オッソロしい天下人の命令、
まさか部下だけ小田原に派遣したって
訳でもないでしょうし、おそらく
彼もその場に居たのでしょう。
大事にしていた息子を失うことになった
最大の要因である仙石が小田原城に居る、
しかも許しを請うために。
この話を長宗我部元親が知っていたら
どう思っただろう。
ま、20万人以上が集まった戦いで
今みたいに簡単にやりとりできる時代でも
じゃないし、多分、元親は何も知らずに
小田原城を海から眺めていただけなのかもな。
にしても、狂乱の戦場での長宗我部元親。
あの存在感、頼もしさハンパじゃない。
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前にも書いたが
チハヤレポート
(日本海軍の戦略発想
著 千早正隆 中公文庫)に
日本人の戦争観に対してこんな分析が。
【徹底性を欠く日本の国民性】
あえて相撲を例に。戦争とスポーツを
同様にかたるが、格闘技とはいえ
日本の相撲にはさまざまな”制約”があり
鮮やかにワザが決まれば、
相手にまだ戦闘力が残っていようと
勝負にはまったく関係ない。
そう、ここのことだ。
みんなが相撲をやっている認識のなかで
ナイフで相手を殺して勝った!という輩が居たら・・。
善いとか悪いじゃなくて
それをやっちゃったのが
鬼島津のバーサークモード
”神降り”だったんだな。
うんそうだ。
日本人は長く日本人同士で戦ってきたから
ある意味”ぬるい”。
これが国境を陸で接する異民族同士の戦い
だったりしたら、民族殲滅までありうるからな。
ラベル:センゴク権兵衛 10巻 戸次川の戦い