いきなりそんなこと言われても
大抵の人は知らないでしょうし
なにそれ?って感じですよね。
PONの大学では3年次のときに
「3大学合同洋上就職セミナー」という
ものがありました。
まあ名前の通りです。船に大学生を詰め込み
各業種(総合商社、大手薬品メーカー、IT企業
大手損保会社、大手銀行などなど)
からそれぞれ1社ずつ企業の担当者
(企業側の人間は人事部長だったり
女性営業だったり、企業によって様々ですが)
から各業種内部や就活戦線状況の説明を受け、
あわよくばその企業とコネを持つ、という
就職率アップを目指し、大学の就職課が
企画したイベントです。
企業側の参加者もどちらかといえば
社務という名の「慰労旅行」的な面も
あったようデス。
もちろん、有料参加だったんですが
ここからしてPONは親不孝だよなあ。
船で海外に出かける経験というのも、なかなか
ないのでPONには忘れられない旅行となりました。
自身の就職にはまったく役に立ちません
(立てなかった?)でしたが。
まじめな奴はやっぱり「企業担当者」に
喰らいついていましたよ。
ま、それはともかく目的地は「グアム」
片道が二泊三日でグアムでは一泊二日でまた帰路。
全行程10日間くらいだったと思います。
きょうび片道3時間で行けるグアムに
片道3日ですから、船旅がどんなに
優雅なものであるか。
その足に使われたのがこの「新さくら丸」
いやあ。凄かったですよ。船旅。
まず、三食のご飯が全部美味しかった。
洋食、和食に麺類。こってりしたものに飽きたとき
すかさずさっぱりとしたものが出てきたり。
天気が良いときは船外デッキでバイキングとか。
旅行のコーディネーターが
「過去10年間ほど、この旅行をサポートさせて
頂きましたが、船内食で
クレームがあったことはありません!」
と威張っていたくらいですから。
食堂
もともと「海外見本市船」として作られ
改装を重ねて「庶民的なクルーズシップ」として
頑張っていた船であり、また我々はバカ大学生なので
客室は「十把一絡げ」として二等客室。
ひと部屋に「二段ベッド*4」みたいな世界。
どこかの山小屋か、ユースホステルみたいなものです。
それでも、野郎ばかりで散らかっている
部屋に毎日ベッドメイキングサービスもありました。
(最終日には「あんまり汚すぎてお掃除できませんので
ベッドメイキングだけとさせていただきます」と
女性の文字で書置きまで!)
室内
<イベント>
・船長主催のウェルカムパーティー
・海上100Mにそびえる孀婦岩(そうふがん)
・硫黄島近辺を通過する際の洋上慰霊祭
・ブリッジ見学会
・洋上でみた野生のイルカ
・退屈だった「就職活動研修会」
・連夜の大宴会
・船酔い
・赤道祭(赤道を通過する時の馬鹿騒ぎ)と
各班による演劇
・退屈なんで途中から欠席していた「就職活動研修会」
・一等航海士による星空説明会
・やっぱり船酔い
・グアムに上陸してからもいろんなコト。
この旅行も、ずいぶん前のことなので記憶もあいまい。
しかし自分自身にケリを着けたいので
そのうち旅行記にまとめたいと思っております。
(マスライ上でアップするかは決めてませんが)
「新さくら丸」は
1999年9月28日、2000年より適用される
米国の旅客船新基準に適合できない部分があるため
引退してしまいました。
ちなみにPONが参加したのは1993年でしたか
その翌年からこの企画は無くなってしまいました。
「バブル」の最後の余韻だったのかもしれません。
今頃はどこを航海しているのかな。
新さくら丸 (商船三井客船)
船籍港 = 大 阪
総トン数 = 17,389,39 トン
全 長 = 175.8メートル
全 幅 = 24.6メートル
吃 水 = 7.9メートル
主機関 = ディーゼル20,600ps×1
コールサイン =
電 源 = A/C100ボルト 60ヘルツ
船 級 = 国際遠洋 (NK,JG)
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連夜の大宴会とありますが
船が公海上に出ると
基本的に日本の法律が及ばないところ
ということで酒税分が無くなり
ビールが安くなるんですよ。
当時は「発泡酒」なんてありませんから
ビールのみで、350缶が250円でしたか。
それが120円!!になるのです。
ジュース缶よりも安いじゃんか!!
(ジュースは観光地価格150円(笑))
船内の自動販売機はしょっちゅう
売り切れになっておりました。
それに連夜、大学側より「差し入れ」ということで
一班に2〜3ケースのビールが来るのです。
大学側もイキなことしますが、
午前中の研修、欠席者続出(笑)
大学側が、いくら「キミ達の自主性に期待する」
ってアナウンスしたところでね〜。
PONは誰もいない後部デッキで
いつも水平線を見ておりました。
この旅行に参加した人間は3校で150名ほど
いたと思いますが、残念ながらほとんどの方とは
その後、縁が切れたままです。
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新さくら丸の過去