休刊追悼記事を書きましたが、今に至る
PONの精神世界の根幹を形成することになった
知識群wは、この機械から入ってきました。
正確にいえば、当時PC8801で発売された
ゲームの世界観を勉強しながら育ちましたよ。
信長の野望=戦国史
大戦略=現代軍事
エロゲーム=エロ
こっからは、パソコン青年のなれの果てである
オヤジの繰り言が続きます。
PONは学生になってから、やっとPC98(互換機)
を手にいれながら、卒業と同時にパソコンそのもの
から遠ざかった時期があります。
エプソン386(9801互換機)
世間ではまだまだ「オーエス」って何?という時代に、
ただ「ゲーム」だけのために、マウスやハードディスク
(HDD)など、今なら当たり前の機器を導入していた
ので、その後のウィンドウズ旋風による、パソコン普及化
洗礼時にも、PONは割り合い安易にパソコンに戻って
くることはできました。
150メガバイト(MB)の外付HDDが学校の生協で
破格値「¥19800」だったときは即購入したもんです
(その後1ヵ月のメシは超悲惨)
かなりアバウトに書きますが、1メガバイトって奴は
5インチ!フロッピーディスク(FD)1枚分の容量。
当時のゲームは、大作になりますとそのFD5〜6枚
になりまして、150メガバイトと言えば、FDで
150枚に相当します。しかも、更にその1〜2年前の
話ですが、HDDに容量をもっと求めるならば、
1メガバイト増あたり1万円!なんて時代もあったんです。
150MB=¥19800が、いかに破格値だったか
おわかりいただけますかw
USB規格なんて当然ありません。まだRS−232C
ケーブルですよ。(USB規格の導入もパソコンが
庶民普及の起爆剤になりました・・)
もしHDDを操りたければ、アイコンなんてないので
コマンド呼び出しです。
そして究極なのは・・なんかの「はずみ」でPC動作中に
電源OFFになりようものなら・・
「ガリッ」とか内部で音がしたらもう最後です。
パーっす。全部。そして大抵は永遠に復旧しません。
「ガラスの10代」がなんだってんだ!
PONなんて「ガラスのHDD」に青春をかなり
相当、苦しめられたのであります。
これに近い苦行といえば、皆さんおなじみ
FCのドラクエでのバッテリーバックアップが
ありますが、あれはまだいい、データクラッシュだけで
済むから。HDDはガリッと音がしたら、もう
うんともスンとも言わなくなります。
一瞬で¥19800が・・嗚呼。
金返せ!バ×ァロー!東京D力!
ですから、それを知っているPONにはHDDが
モバイルパソコンはもとより、車のカーナビや家庭用
ゲーム機器、AV機器にまで組み込まれているのを
見るにつけ、世のHDD開発技術者のご苦労を思い、
隔世の感があるわけです。
ちなみに、もう実用性はあんまりないけどと思いながらも
PONが今持ち歩いています、私用フラッシュメモリでも
256MBですよ。
コマンド入力でダマシ騙し、なんとか使用していた
PONのところに、ある頃、雑誌情報が。
これからはWindows95の時代が来ると。
しかもこいつに慣れてしまうと、パソコンは
バラ色の世界なのだそうだ。
しかし、PONが当時使用していたマシンに
Windowsとやらを搭載するとなると、まずは
Windowsそのものに、数万円払わねばならないらしい。
これはまあ置いておくとしても
現在の愛機のスペックはしょぼすぎることが判明。
ヤレ、メモリをいくつ増設しなければならないとか
HDDはXXMB以上なければならない・・など
そのたんびに、数万円単位で金が出てゆく計算。
大げさかもしれないが、今まで通勤に使用していた
「原付」を急遽、4人乗りに改造しなければならない
イメージ。
やっとそれだけのバージョンアップをして、
Windows様をお迎えしても、決して「快適動作」とは
言い難く、まあ動くよ程度の性能。
だったら丸ごと買った方が早い、とは言うも、
当時のPCは格安ショップでも20万円でお釣りが
来るかどうか。パソコンが10万円を切るのは
「ソーテック」社の降臨を待たねばならない。
また、今にして思えば、それでも
あの「Windows95」であるw。
PONがパソコンに見切りをつけたのも当然と言えよう・・。
結局、PONがWndowsに戻ってきたのは
それから4年後。プログラマーとして第一歩を、
某ソフトハウスで踏み出した時に遭遇した
サーバー/ビジネスユース用「Windows NT」
Windows NTを「さくさく」動かす
パソコンを購入するのに、そのソフトハウスでは
40万円位かけてました(その頃はそれが当たり前で、
だからこそPCは一般人に、おいそれと手が届くシロモノ
ではなかったのでし)
まあそんなわけで、あの頃のパソコンとは、いろいろ
理由をつけては金をむしり取ろうとするバケモノであり、
貴重な金をつぎ込んだとしても、スグ陳腐化してまう。
今のように、中古品のDELL製デスクトップXP仕様を
「特に何も考えず」購入しても、数年は何をせずとも
困ることはない・・というのは、素晴らしき時代なのです。
パソコンというものが「一部マニアのモノ」から
ようやく「家電製品」になったという証ですな。
あの頃のパソコンは説明書ひとつからして、
開発技術者がそのまま記述した様なのばっかりで
「理解できないのは、ユーザーが馬鹿なんだ」
的スタンスで、読めば読むほど腹が立ったものです。
今でもNECブランドは愛憎半ば、どちらかと
言えば、金ばっかり請求する嫌なイメージが多いです。
(もっとも自分があこがれのPC98を購入したのは
エプソン製98互換機のPC386でしたが)
・・PC−8801とそのゲームの繰り言を
述べるつもりでしたが、それてしまいました。
88(はちはち)のことは、また次回。
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ご機嫌如何?
>少なくとも、98だとマウスが使えまっせ。
>さすがに88は無理っぽいですが。
そうなのです。PC386ではボールタイプの
マウス使ってました。あれがPONのマウス
デビュー。あの頃は高くってね。あんなもんでも
1980円位してた気もする。
88のゲームはもっぱらテンキーですよ。
おかげで、PONの愛機のキーボードは
見事に手の形に汚れがありましたから。
>ところで、件の98(PC9821As)
>要りませんか?
・・手を上げないと廃棄予定ですか?
ちょっと欲しい気もするけれど、自分の
386もまだKEEPしてあるからなあ。
北斗氏のカスタマイズだから98ゲームには
不必要なくらいチューンしてあるんでしょうが。
今、PONが一番欲しいのは8801の
モニターなのです。NEC社製の専用モニターを
捨ててしまったのですよ。現代に復活させるに
なにかアイデアありませんかね?
>(大半は違法コピーもん)を発掘したんだよね。
>マウスに慣れた今となってはゲームもやりにくいだろうなあ
>(特に88のは)
少なくとも、98だとマウスが使えまっせ。
さすがに88は無理っぽいですが。
ところで、件の98(PC9821As)要りませんか?
CPUがDX4の100、RAMが12.6Mと
DOS用途では無意味にMAXまで拡張済です。
MIDI接続ボードとかまで差さってます。
(注:MIDI音源ではないです)
モニタは古めの15インチ液晶とかで代用可。
今更実家でやる気力もありませんので・・・
ご機嫌はいかがでござるか?
>ちなみに、外付けでRS-232Cだと流石に
>転送速度が追いつかないと思うので、
>接続はSCSIじゃないかと思いますが。
さすが、北斗氏。見破るとは。
やだなあ。試してみたんですよ。ワナです。
嘘ですが。
そうそう「SCSIスカジー」でした。これで
SCSIの存在を知って、勉強したんだよな。
(↑ホントかよw)
>それでも、(98ゲーム専用機として)未だに
>実家に眠っております。
あ、いいなあ。先日学生時代のPC98&88の
ソフト(大半は違法コピーもん)を発掘したん
だよね。マウスに慣れた今となってはゲームも
やりにくいだろうなあ(特に88のは)
時代でした。
次に外付けHDDを追加した時が1Gで1万円の時代。
ほんの2年くらいで10倍の違いだった訳ですが、
今や500Gでも1万円しないんですもんね。
しかも、当時の1万円って(PCに関しては)今の5倍くらいの
イメージですし。
ちなみにうちのはDX2の33だったので、3.1は問題ないスペックだったのですが、メモリの上限が12.6Mだったもんで95はとても無理。
就職後に一気にDOS/Vへの進出と相成りました。
それでも、(98ゲーム専用機として)未だに実家に眠っております。
ちなみに、外付けでRS-232Cだと流石に転送速度が追いつかないと思うので、接続はSCSIじゃないかと思いますが。