2012年05月07日

長平の戦い

長平の戦い

「長平の戦い」というのが古代中国であったらしい。

長平の戦い(ちょうへいのたたかい)は中国戦国時代の
紀元前260年に秦と趙が長平(現山西省高平市の近く)
で激突した戦い。秦の勝利に終わる(Wiki)


負けた「趙軍」の捕虜40万人は
生き埋めにされたんだとか。
40万人だよ。40万人

紀元前260年に少なくとも40万人以上を
戦争に動員できる国があって、それでも
負けちゃうってんだから、どれだけ人命が
消耗品なんだよ。
あの国は。
半端なさ杉。中国。

ちなみに「40万人」でググッてみれば
Wikiによれば2012年の
「藤沢市、枚方市、柏市、宮崎市」の人口が40万人。

公明党の正式党員数、韓国の離職中の人数
どこかの映画祭の動員人数(ただしミコミ値)
メキシコのローマ法王野外ミサに集まった数
日本の大卒で就活中の人数、
福島の放射能汚染でがん発症可能性ありと
示唆される人数・・

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2010年12月19日

信長とラーメン

「信長とラーメン」

自分もラーメン党であることを
エクスキューズしつつ、敢えて書くのだが
ラーメンってつまるところ
いかに安い(後は捨てるしかないような)
材料をつかって、ショッパくて脂っこい
モノをつくることができるか、
工夫しまくる業務なんだと思う。

労働者階級(というか肉体派階級)ほど
塩っけを欲しがるもの。
ラーメン激戦区って言えば
やっぱ工場近くが多いし。

信長が近畿(京都)を占領してだいぶ偉くなった頃
日の本一(≒京都一)の料理人といわれた男を
召しだして料理を作らせたことがあるらしい。

信長は、ひとくち口にするや
まずい、と断言。その料理人をクビ
(文字通りの死刑)にしようとした。

そこでその料理人は
「もう一度だけ作らせてください。
 それが不味かったら、死刑になろうと
 どうぞお好きにしてください」
と答えたので、信長はもう一度だけチャンス
を与えた。今度は信長の満足する
料理が出てきたので、事なきを得たそう。

後に弟子が聞いたところ、その料理人が言うには
二度目の料理は全般に塩をキツくした。
あれこそは田舎料理。信長も喜ぶのハズよ苦笑。

京都の料理はうす味。
結局は貴族(肉体労働をしない人たち)向けの料理。
戦国大名なんて肉体派の最たるモンだから
塩辛いくらいでちょうどよかったのだろう。
PONの好きな話。

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ラベル:信長 ラーメン
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2010年11月04日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)四

以前に・・
「信長の野望 烈風伝プレイ日誌」と題しまして
(北条家)編、(上杉家)編と記事にしていたのですが
なんと続きがアップされぬまま残っておりました。
せっかくなんでさらして於きたく候。

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)壱

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)弐

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)参

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)四」【←New】

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「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)四」Last

【そして各地へ】
当主であり軍神の「上杉謙信」公が亡くなり
改めて家内の結束が確認できた
上杉四姉妹+景勝は、ついに近畿制圧に乗り出す。
各上杉一門に5〜6名の戦闘力70以上ある
武将をつけて「軍団」を結成。

・京都守備隊(遊軍)
・大阪・奈良方面軍
・岐阜方面軍
・伊勢方面軍
・山形守備隊

もうこうなると残敵掃討に近くなる。
後は城をブチブチ潰してゆくのみ。
一応、各軍団の構想を記しておくと

【京都守備隊(遊軍)】
基本的性格は名前のとおり。

上杉家が上京してきたルート、金沢〜富山方面には
「本願寺家」が健在でして、こやつら同盟軍
なんですけど、上杉が二条城近辺で織田軍とバトルを
繰り広げている間、
若狭→島根→鳥取へと勢力を広げている。
坊主集団のクセになんと生意気な
(浄土真宗の方々どうもです)
そこは、我が家の侵略予定地なの!

しかも同盟軍のよしみでしきりに援軍要請を
してきます。上杉は亡き謙信公以来
「頼られたら断らない」を国是としてますんで
基本は断りませんが、彼らから戦争を仕掛けた
場合の援軍は出しません。
あんたらの侵略行為に加担できるか!
なもんで、上杉家との友好度急降下・・。
まあ気にしない。同盟破綻とかなったら
そん時はそん時。

【大阪・奈良方面軍】
これも名前のとおり。特に大阪は商人が常駐し
和歌山には鉄砲鍛冶村があるので黙っていても
勝手に鉄砲が増える。
ここを押さえておけば、今後鉄砲には困らない。

徳島あたりから、豊臣軍が上陸作戦を
敢行してくることもあるけど、それは各個に
迎撃すればよい話なので。
また、この軍に所属している人たちは、
ヒマなとき近畿地方の開発にも従事。

【岐阜方面軍】
岐阜からいずれは中山道、東海道を攻め上り
飛騨、信州、東海方面を平定する軍。

【伊勢方面軍】
名前のとおり伊勢方面の平定が主任務。
平定が済めば、分割されて半分は
「岐阜方面軍」、残りは「大阪・奈良方面軍」
に吸収される運命。
史実では、長島城には相当苦しめられた信長だったけど、
ゲームではただの小さな城に過ぎないので即平定。
それに上杉家は本願寺と同盟だし。

【山形守備隊】
本拠地新潟は東西に長く、北東の地酒田にも
上杉の城がある。時々伊達軍がわざわざ遠征して
酒田城にチョッカイだしてくる。
そのために600あまりの鉄砲と、鉄砲巧者
武将を置いておく。

ここまでが、プレイ内容でございます。
あとはもう作業になりますので
記述はやめておきます。

完全に自己満足の世界ですた。
まあご勘弁してくださいませ。
ご清聴感謝です。

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2010年11月02日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)四

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)四」

もうこれで終わりにします。
信長の野望 烈風伝プレイ日記「北条編」

日本の国の2/3とケンカするのですから。
まずはこの際、関東および東北の皆さんとは
全員と仲良く(同盟)なっておきましょう。
ああ、なっておくべきさ。

時代は逆になりますが、維新時の奥羽列藩同盟
あれの再現。

「里見家」「結城家」「宇都宮家」「佐竹家」
「芦名家」「伊達家」・・
あらら、遠すぎて用が無い「南部家」「秋田家」まで。
このゲームでは同盟を結ぶのは、さほど困難では
ありません。史実では血で血を洗う死闘を
繰り広げ続けた里見家とさえ、同盟が結べるように
大抵の国とはお友達になれます。

とりあえずは戦争を仕掛けてくる勢力が
豊臣家だけになれば上等。
ときどき野心の強い大名家だと(武田信玄とか信長とか)
PCといえどワザワザ同盟を破棄して
攻めて来たりしますが、そこまでキツイ野心の持ち主は
東北を見渡しても「伊達政宗」程度なモノでしょう。
であれば、伊達家を滅ぼし政宗を味方につければ
よいのです。うむ。

政宗は北条に見切りをつけ、白装束をもって
豊臣家と手を結ぶ事になりますが、その辺はPC。
一時の野心でウチと同盟破棄をする事はあっても
そのまま豊臣家と仲良くなるような、
外交方針の抜本的変換まではできません。
おそらく伊達家も豊臣家と戦争になり防戦一方
北条を攻めることはないです。
(実際、プレイでもそうでした)

さて、豊臣家被害者同盟は出来た。

PC軍団は、だいたい最短距離を
攻めてきますが、想定される北条家(関東)への
侵略ルートは次の4ヶ所。
(地名やルートは現代風)

(1)史実どおり静岡県から箱根越えで小田原城狙い
(2)国道20号線(甲州街道)を東へ
  いきなり江戸城など関東の小さい城
  (玉縄城とか忍城とか)狙い
(3)軽井沢から釜飯を食べつつ信越本線経由で
  厩橋城(前橋)狙い
(4)新潟から南下、水上経由で厩橋城(前橋)狙い  

一番攻められる危険の高い城は、厩橋城(前橋)
上記の通り(3)(4)とルートがかぶってますから。
ここに兵力を集中しましょう。
小田原城は大丈夫。戦国最強の名はダテじゃなく
必要最低限の兵士を置いておけば。
(5000人くらい)

ゲームシステムだけど
兵士とか物資(金とか兵糧)を他城へ送る際
1ターンで進む距離には限度がある。
小田原から前橋へ送るに2ターンはかかる。
その間に他国軍に襲われるキケンもあるし
なにより、敵軍が前線に迫っているってときに
兵士が間に合わないことだってありえる。
てなわけで、危なそうな城には初めから
兵士と物資を蓄積しておくしかない。

一方、率いる武将達だが、彼らは
物資よりも圧倒的に遠くまで移動可能。
命令一下、小田原から前橋は1ターンで
それこそ瞬間移動。加速装ゥ置ッ!

危なくなったら戦闘用武将を
その城へ向かわせます。

前にも書いたけれど、北条家末期の武将達には
「武闘派」がいない。いなさすぎ!
血の気は多いかもしれないが、
強いのかというとそれはまた別問題。
・・そんな連中ばっか。

こまったね。捕縛するしかないか。

1590年に小田原北条氏滅亡のシナリオから
スタートしましたが、長野から西はすべて
豊臣秀吉の領土となっているので、仕方なく
関東は小田原城、八王子城(自分で造った)
そして上杉家から奪った春日山城の三つに
鉄砲ならびに鉄砲の名手を集結。
豊臣の軍勢を防いでいる間に、東北を占領。
伊達政宗を婿に、伊達成実を部下にしました。

秀吉の軍勢を抑えることは一石三鳥の効果があり
・秀吉軍の有名どころの武将を部下にできる
・ゲームシステム上、攻城軍が敗退すると
 そのお城に兵糧や鉄砲を置いていってくれる
 ので物資が豊富に
・相対的に秀吉軍弱体化

(このゲームの武将に経験値という概念が
 多少なりとあるといいのにな)

んで、結論を言いますと、我が「北条家」は
全国のほぼ7割方を征服した「豊臣家」を九州の
南端まで追い詰め、逆転勝利しました。
ゲームならではです。

哀れな「豊臣家」。当主の変遷を簡単に。

1)豊臣秀吉→大坂から動かず結局病死
2)豊臣秀次→近畿あたりの戦いで捕縛、即処刑
3)豊臣秀頼→四国あたりの戦いで捕縛、即処刑
4)小早川秀秋→九州奥地から前線に出てこないため
        比較的長いこと当主をやってたが
        最後は捕縛、即処刑
5)島津義弘→前任者が処刑されたため、仕方なく就任。
       薩摩の国に少しだけ城がある状態で
       臣下になることを薦めた所受諾。

「豊臣家」滅亡と相成りました。
最後の方は、我が「北条家」もどこが北条家?
というくらい、構成メンバーがもう無茶苦茶でしたが
この辺りはゲームシステム上、已むを得ないところ
ですな。

はい、終了

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2010年11月01日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)参

はい、もう11月。11といえば「士」
サムライです。

以前に・・
「信長の野望 烈風伝プレイ日誌」と題しまして
(北条家)編、(上杉家)編と記事にしていたのですが
なんと続きがアップされぬまま残っておりました。
せっかくなんでさらして於きたく候。

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)壱

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)弐

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)参」【New】

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)四」【明日公開予定】

です。今更ながら。

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「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)参」

え?まだ続いていたの?
そうなんです。アップし忘れとりました。

信長の野望 烈風伝プレイ日記。「北条家編」
北条家1590年(北条家討伐)にスタート。

この記事を書くまでに既に別の家で2回も
天下統一してしまったんで
もうこの時の北条家の事など
忘れてしまったのですが、はは。
ま、いいや。

はじめます。
史実では、長野県から西を制圧してしまった
秀吉と戦国オールスターズ(合計23万人)が
小田原城を攻めました。対する北条家は
最大動員数で7万人程度。
もうそこまで行くと、女子供は言うに及ばず
ただ立てるだけ(戦闘なんて論外)の人も
カウントされていますから
実質、戦えるのは2〜3万人ってとこかな。

ゲームでも秀吉軍は思いっきり攻めてきます。

そこで基本戦略は、堅城にありったけの
鉄砲を集め、毎月懲りもせず襲い掛かる
秀吉軍を迎撃、一人でも多くの戦国武将を捕獲
もしくは射殺して秀吉軍の意気をくじく
っつーか、物理的に攻撃不可能とするコト。

PCが北条家攻撃に投入してくる軍団は
平均、武将7〜8人。ひとりあたり
500〜700人の兵を率いてるので
8武将*700人=5600人程。

ゲームシステム上、武将の位によって率いる
兵数は決まっておりまして
最低の足軽頭が500名〜大名1000名。

ある城に数字の上では30000人もの兵士が
居たとしても、大名がひとりしか居ない国の場合
大名が戦争で動員できる兵数は
たった1000人でしかないのである!
防衛するときも攻撃に出るときもだ。

たった1人の大名だけど
戦闘力は80以上を誇るから大丈夫だろう・・
なんてのは甘い。
例えザコ武将(戦闘力50〜60)といっても
10名が率いる軍団が波状攻撃してくれば
命が危ない。数は力なのだ。

(上杉謙信が騎馬で1000人、あるいは
 雑賀孫一あたりがテッポウ1000人で
 篭城してたら、さすがに攻めてきた軍団の方がヤバイ)

たった一人の大名国でも一応ゲーム上の救護策はある。

各城の櫓(「ろ」:城にある兵士が集まる
兵舎兼簡易防御施設)の数だけ、名も無き兵士
「ゴロベエ」や「平助」なんが、最低限の兵数
500人を率いて参戦してくれるのだ。
大規模な城なほど、城内に「櫓」が複数あるので
武将が1人しかいなくても、自城に櫓が3個あれば
あとプラス3部隊は出てきてくれるのだ。
もっともゴロベエさんの戦闘力は今川氏真並だから
頼りにならないけど全く居ないよりはよい。

説明が長くなってしまったけれども

相手は天下の秀吉軍団。
軍団長もさぞや戦闘力の高い名のある武将では?
と思いきや、実はそんな例は意外に少なく、
誰それ?みたいな人が率いていたりします。

PCは忠誠心とか戦闘力よりも
「多くの兵士を率いることの出来る武将」
を選ぶからです。
(弱くても重役クラスの武将がいれば
 そいつに兵を与えるのがPC。
 銀英伝でいえば末期のルドルフ王朝軍のようなもん)
PCはその辺、非常に即物的。

なわけで、敵の武将だったら、どんなザコでも
いいので一人でも多く味方につければ、
それだけこちらは戦争しやすくなり、
むこうは攻めにくくなるの道理なのです。

でも、ゲーム開始時点で所属武将数が
北条家15人:豊臣家300人とは・・
太平洋戦争の日米国力差並。
呆れるくらい、長い道のりですの。

>堅城にありったけの鉄砲を集め、
>毎月懲りもせず襲い掛かる秀吉軍を迎撃

言うのは簡単だけど結構大変なのです。

・・このあたり、以前にも長々と書いた気がする。
多分、上杉家編で。

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2009年10月24日

三国志検定

「三国志検定」

漢検の元理事長(現理事)がタイーホされて久しい。
あれだけ好き勝手やってたらなあ。
まあ自業自得でしょう。

7月に電車内で見たんだけど
「三国志検定」とやらが行われたらしい。
ひまわりレジェンド」にでてくる
「触覚」漫画家がキエーッとか言いそうだけど
そうなるとやはり「戦国史検定」も欲しいトコ。
(既にあったらスンません >関係者氏)

でも、武田騎馬軍が壊滅的ダメージを受けた
戦いは何か?とか、そういった簡単すぎる
内容ではないだろうな。
そりゃ、本当にその地方にそういう一族は
居たんだろうけれども・・というような
戦国武将というよりは「豪族」とか「豪農」
のような、そういった一族の何代目の名前は
なにか?とか、今ではほんのちょっとだけ
空掘りの跡が残っているだけの砦の名前を
答えさせたり、とそうなるとPONでも
歯が立ちそうにない。

昔の番組「カルトQ」や12CHの「TV
チャンピオン」を引き合いに出すまでもなく
世の中には「バケモノ」が存在します。
間違いなく。



PONもガンダムならあるいは・・とも一瞬だけ
考えたけど、種とか00とかさっぱりだし。
ZZですら本放送以来(←いつだよw)
見ていないからなあ。

ほんと広いよ。世の中。

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2009年10月18日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)参

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)参」

あらすぢ
手取川(正確には北の庄城)にて、柴田勝家の
軍勢を一蹴した上杉謙信であったが、彼にも
「寿命」という勝てない敵があった。

取り急ぎ京都方面は確保したが、史実の跡継ぎ
上杉景勝の能力値では、バランスはとれているが
コンパクトにまとまりすぎており、
ウンカの如く沸いてくる織田軍勢を追い払うには
ちと荷が重い。
そんな時にも頼りっきりである義父上杉謙信の
寿命が迫る
・・そのとき降臨した救世主こそ
「上杉四姉妹」であった。

・・詳細は「プレイ記上杉家壱」および
「プレイ記上杉家弐」を参照してください。

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【鬼姫シスターズ実戦デビュー 〜 家督継承】
で、このウチの長女(上杉景雪)が武将としての初合戦で
とんでもないことをやらかした。
親子鷹だあ〜と長女と騎馬部隊を揃え、
いつもの如く二条城に押し寄せる織田軍団をあしらって
いたわけですよ。
ゲームシステム上、攻撃側ボス部隊(信長)を撃退すれば
軍団は撤退します。目の前には親父の謙信が
さんざん削ってボロボロの信長本隊が。

景雪「ちちうえ〜、雪も騎馬突撃やってみたいんだけどぉ」
謙信「おお、そかそか。やってみなさい
華を持たせる意味も込め、ここは長女に「騎馬突撃」です。
何事も経験ですからね。

景雪「我が騎馬の前に立ちはだかりしこと後悔なさいませッ!」

!!「こんなところで夢破つるとは・・」

信長公 戦死

唖然。

ちなみに後を継いだのは信長の次男
織田信雄
(のぶかつです。「のぶお」じゃ金子だ。)

そうだな。嫡子信忠も秀吉も、俺がとっくに
天下人ではなく天上人にしていたよ。

この次男。戦国史マニアならご存知ですが
メチャクチャ、ボンクラ
戦国時代の当時のヒトでさえ、彼のやることを
「三介(サンスケ)殿のなさることよ・・」
(三介=信雄の幼名だったかな?)
とあざ笑っていた記録があります。
彼の戦国での笑えるエピソードは数々ありますが
長くなりますので、各自お調べください。

織田家の明日はどっちへ行くのか?

これまでの、織田家の中堅どころを虐殺しまくるという
地味な戦略がジワジワ功を奏してきたところに
二条城の悲劇によりボスが変わってしまい、明らかに
織田家の侵攻スピードは鈍りました。

ここまで織田家は調子に乗って、九州、熊本・日向
あたりまで攻めていたようですが、そちらの方でも
上杉家と既に同盟を結んでいる、毛利家、長曾我部家
など、西国の同志が急に息を吹き返し、このほか
島津家、龍造寺家なども反撃に転じ、織田の支城が
落とされる報が続々と。

これで上杉家が近畿地方を攻め落とせば、織田家は
武田を攻めていた東部戦線と、九州、四国の
西部戦線に分断されます。

東部戦線は関ヶ原の西、東海道が集約する大垣城に
鉄砲を集めたのでほぼ無敵。
我がPON上杉家は、散発的な織田家の反撃を
あしらいつつ、大坂城、堺の町をモノにすればいい。

なお、サンスケさんは本拠「安土城」を
何故か空っぽ状態にして、武田と戦い始めたため、
雑兵しかいところをドサクサまぎれに攻め落として
しまいました。

ここまで見届ければ、謙信公、いつ逝ってもいいかと。
1583年10月、謙信公は息を引取りました。
お疲れ様。

後継者ですが、史実どおりに「上杉景勝」さんを
指名してみたところ、いきなり最強四姉妹が
そろいも揃って反逆、独立
このワタクシを差し置いて景勝なぞが
 後継者とは・・許せぬ、許せぬぞよ!


皆さん異口同音で。なまじ、顔グラフィックに
変化がなく、美女が単に微笑んでいるだけに、
女の怖さが身にしみます。
四姉妹が一丸となって反逆するならともかく、
ひとり一城で独立ってあたりがなんともPCですが
まあいいです。

自勢力で、味方を作ると信じて生み出してしまった
最強の尖兵が、揃って生みの親に反逆する・・
これって仮面ライダーか、デビルマンか、
ジャイアントロボか。
とにかくフランケンシュタイン現象。

史実以上に状況は厳しいですが、本来ならば景勝は
この苦境を直江兼継と共に乗り越え、そこに永遠の
主従関係と上杉家のさらなる結束が生まれるわけです。

けどハッキリいってそんなことやっていられません。
上杉四姉妹が揃って反逆した時点で
上杉家の結束など、もはや無くなっていますし
なにより面倒くさい。

なもんで、再ロード。今度はためしに上杉四姉妹の
長女「景雪」に家督を譲ったところ、今度は
誰からも苦情がありませんでした。

どうもこのゲームでの姫武将は実子扱いとなり
実子>養子であるみたいです。
そこには能力値での判断、つまりたとえ実子でも
無能がトップになるのは許せない・・なんて考える
武将もいるようですけども。上杉四姉妹、
そろいも揃って、武力100以上ですから。

ドラマ、天地人では上杉家の後継者が明確になる前に
謙信が死んでしまい、ウソを誠とするために上杉主従は
奮闘します。要は、誰がなっても良かった訳ですが、
信長にトドメを刺したのは長女「上杉景雪」ですし
最初からこれで良かったのかも知れません。

まだ続きます。



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2009年10月16日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)弐

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)弐」

あらすぢ
「プレイ記上杉家壱」を参照してください。

本願寺勢とは同盟を結んだとはいえ、
他国の領土内を自軍の補給線が
通るというのは気持ちの良いものではない。
(越後→金沢(本願寺)
 →琵琶湖の西側を経て京都(二条城))

でもまあいいか。謙信だしー。何とかなるでしょ。
ビックリするくらい警備が薄かったので速攻占拠。
一応、「上洛」という目的は即達成。

一方、PCといえど、織田軍もそんな状況を
許すはずも無く、5000〜8000位
(武将12〜15名)の規模の軍団が連日襲撃してきた。
近所には信長絶頂期の象徴「安土城」があり
そこから雲霞のごとく軍団が湧いて出るのだ。

1〜2回、二条城にて織田軍の襲撃を撃退している
うちにコツが飲み込めてきた。
京都の皆さんにはご迷惑をおかけするけども
そこは戦国最強漢「上杉謙信」である。
そこのけそこのけお馬が通るだ。

PON謙信は大名なので最大兵数1000人を保持。
(平社員武将は通常500人)
謙信が得意の「騎馬突撃」を敵に敢行すれば最後
ほぼ一撃で瞬殺できる。
マジ一撃で部隊が蒸発

いつも裏門から二条城に来襲してくる織田軍は、
ボスを最後備にして城をグルっと反時計回りに半周
律儀に二条城の正門を目指す。
PON謙信は最初から城外に配置、その軍団の
ケツを襲撃する形。
キスマイアスホール!ってやつだ。
そんな感じで、連日織田軍を撃退中。

「まさか、ヤンウェンリーともあろう者が
 戦術上の勝利を積み重ね、戦略の勝利を得ようと
 している訳でもあるまい・・」

すんません。実はそうなんです。

この烈風伝、「数は力」なところがあり
特にPCが担当している勢力は
率いるトップこそA級武将が勤めるけど、
あとはB〜C級武将5〜6人に
それぞれ500〜600の兵力を持たせて攻撃してくる。
実際、それで対PC戦では勝てちゃうし。

結局、武将の能力は度外視。
どれだけ武将数を集められるか?
それにかかっているという訳。

極端なことをいえば、日本の半分以上を占めるほどの
勢力であっても、所属する武将が大名ひとりだったら
そこの勝利は極めて難しい。


現在のところ、所属武将数、織田家 対 上杉家
200人 対 30人

この200人をどれだけ減らすことができるか?
非現実的ではあるが、これがカギとなるのであります。

とにかく、鬼になったPON謙信は戦後捕虜にした
武将に「Yes」か「No」かで迫り、
貴様なんぞに仕えることができるか!と啖呵を
切った武将はその場で死刑

死刑リストには「木下秀吉」やら「丹羽長秀」やら
中には信長のご嫡子「織田信忠」もいました。
いたんですけどね、とにかく死刑。
PON脳内システムでは、織田信長(≒吉川晃司)
のカンシャク姿が目に浮かびました。
当り散らされる織田家臣団は可哀相だけど。
すまんね。

ゲームシステムとしては
捕縛→開放、捕縛→開放を複数回
繰り返せば、史実では忠義を貫き通した
武将であっても部下になってくれるのだが
(三顧の礼の再現)
今回そんな悠長なことは言ってられない。

そもそも、一回でYESいうヤツって、
使えないか不義理な武将じゃないか?
という気もするが、大名との相性が絡んでくるんで
一概にそうとも言えないのです。

例えば、そんな厳しい中途採用試験にパスして
上杉家に来てくれた武将は・・
・手取川で織田家の先鋒だったハズ、瓶割柴田こと
 柴田勝家君。
・関が原で石田三成と義に準じたハズ、塩辛声の
 島左近君。

この二名なんか今では上杉家のエースとして
活躍中なんだから・・世の中何がなんだかわからない。
同じ武闘派として上杉家の家風に通じるものが
あったんだろう。きっと。

石田三成君も一発OK組だが、史実では上杉家の
あの直江兼続君と親友だったらしいから、
相性という意味では確かにジャストフィット
だったのだろう。
直江の親友であるならば、上杉景勝とも馬が合い
必然的に上杉謙信とも相性が良いということになる。
実際、石田三成と仲の悪かった7武将のウチ
細川忠興、黒田長政、加藤義明は速攻でサラシ首。

結構、モッタいないプレイしてる気もしてきたけど
中途半端に強い武将こそがカットの対象
今川義元の御曹司のように戦闘力が20とか
信じられない数値を誇る武将は殺さずに。
居てもそんなに怖くないし。

自分のやっていることが・・中世日本社会の
愚民化を実行しているようで?
なんか怖くなってきましたよ。

てな訳で、切りも切ったり、気がつけば
織田家の武将は200人→153人です。
心なし、織田家の攻撃の手が緩んできた気もしました。

鬼姫四姉妹誕生

話は急に変わりますが、寿命が近いPON謙信なのに
連続で3名も姫が成人しました!

姫は文字通り女性ですが、このゲームでは政略結婚要員
としての「姫」か、もしくは後継者の一人の「武将」
としてデビューを選択することが可能。

無論、上杉家の史実にそんなことは無く、完全にゲーム
オリジナル設定、しかも毎正月にランダムで成人します。
父親たるプレイヤーからすれば、そんな子供いたっけ?
という酷い世界ですが(ちなみに男児は史実で生まれた
武将以外、発生しません)

この姫武将、凄いのは、親父とされる武将の数値を
ほぼ受け継ぐ(時には+10も!)のです。無能
武将の姫はまあ・・ですが、謙信の子供ですよ。
姫を姫として成人させるような、勿体無いこと
できるはずない
です!

最初の3年間は、偶然立て続けに姫がロールアウト
(成人)しましたが、成人のなかった年はロードによる
リトライを敢行、結果的に上杉家には武闘派の姫武将が
4名
も揃ってしまいました。
若草物語もビックリ。島津四兄弟どころではありません。

なお、この姫たち15歳をカシラに14歳、13歳、12歳。
戦闘力「107」「106」「107」「106」
(MAXは110です)

名前は、一応ランダムですが修正もききます。
デフォルトが「雪」「美」「優」「渚」だったんで
景勝から「景」をもらって、競馬の冠号みたく
システマチックにつけました。
「上杉景雪」「上杉景美」「上杉景優」「上杉景渚」

おかげで、本家「上杉景勝」が姫武将の影にカスムありさま。
だいたい、「景優」とか「景渚」って
なんと読めばいいのやら。名付け親にも分からんです。

謙信がもういい加減、鬼籍に入らせてくれと悲鳴を
上げる頃、上杉家の後継者問題は一挙に解決しました。
史実の「御館の乱」で壮絶な後継者争いを勝利した
「上杉景勝」氏の戦闘力は「75」ですからね。



この孝行娘たちですが、PONには未だに名前が
あやふやです。強い娘1号、2号、3号・・って感じ。
これまたひでー話ですが。

えー更に続けます。

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2009年10月14日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)壱

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(上杉)壱」

えー、早速ですが飛ばします。
ほとんど忘備録として自分に向けて書きます。
ごめんなさい。
(たしか小田原北条編も記事途中だったと思いますが
 あれクリアしちゃったしなあ・・苦笑)

天正5年9月23日(1577年11月3日)加賀は手取川
センゴク最強漢、上杉謙信の最晩年の戦い。

長篠の合戦で武田を滅亡の渕まで追い込み
イケイケだったはずの柴田勝家をはじめとする
織田軍がコテコテに叩きのめされた合戦。
手取川は織田家の兵士の血で赤く染まったとか。

弱兵(尾張の兵士は弱くて有名)を知恵と経済力で
ダマシダマシ運用していた織田軍団と
雪国で鍛え上げられた、精強を誇る越後上杉軍団の差が
存分にでた合戦だったらしい。

らしい、というのも、公式とされる歴史文書では、
上杉謙信がこの戦いに関して書いたとされる書状が
一通あるだけで、織田側の公式文書などには一切ないのだ。
ホントはそんな戦い無かったんじゃないの?とか
あっても小競り合い程度だったのでは?
なんて、学者の間では今でもケンケンガクガク。

仮に合戦があったとしても、450年という時の流れは
「合戦」という数百名規模で死亡する
一大ページェント(ちょっと違うか)が、
あっさりと歴史上「無かったことに」されてしまうん
だから・・時の流れは重い。記録って大事だ。

今回、信長の野望 烈風伝にて
いきなり「シナリオ4 手取川の戦い」を
開始した背後には国営放送の「天地人」が
あったことは明白だけども、それと前回
北条家の滅亡シナリオ(シナリオ9 北条家征伐)
をやったんですな。1589年スタートで
全国制覇は、戦国の終わり1615年。

綺羅星の如くの戦国武将のメジャーどころが
1615年ともなると皆、寿命で逝かれてしまって。
正直つまんないのです。最後の方は。
光栄ゲームに限らずSLGにありがちなことに
初代が偉大だと2代目は大概、ひとまわり
小さくなってしまうんですね。
それが何より寂しい。

・本多忠勝→本多忠政、忠朝
・片倉景綱→片倉重長
・黒田官兵衛→黒田長政 等々・・
数値イメージで言えば(戦闘力など)
親の90台が軒並み60台に低下といった具合。

今回はまだ戦国の巨星が現役の時代を
(それでも信玄さんはお亡くなりになってますが)
やることにしました。

さらにつけ加えるならば、信長の野望シリーズ
初期の傑作「武将風雲録」の存在。
あの頃のゲームシステムは一国一城制。
今みたいな城のネットワークがあって、
一国を制圧するに複数の城を潰さねばならん
なんてことなく、信州だろうと相模だろうと
その国の城を一ヶ所だけ制圧すればよかった。

今も昔も「上杉謙信」は強い。
越後中の兵をかき集め国を出撃した謙信集団は、
中国大陸を席巻するイナゴの大群のように
後先考えず他国へ突撃。
簡単に「越後→加賀→近江→山城→難波」と
ムラサキ色に染まります。
(越後国カラーはムラサキ)
その後のことはまったく考えていませんので
他国が順次侵入、またたく間に上杉王国は崩壊ケド。

それを再現したかった。

しかしながら最強謙信とはいえ、城がたくさんある
烈風伝で、そのまま再現はやっぱ厳しい。
タイマンでは確かに最強なれど
信長の野望も後期シリーズをもなると団体戦が重要。
結局、謙信ひとりじゃ天下は取れない。

・・というか、自分が歳を重ねるごとに、だんだん
めちゃくちゃなプレイをする自分が許せなくなって
きているようだ。自分もオトナになったのか?

とりあえず「烈風伝」プレイ。現況をざっと見回すと
新潟−富山−金沢(の一部)といった、横に細長い
謙信の最大版図が歴史どおりにある。
山が天然の壁になってはくれているが
峠を越えて武田あたりがいつ襲いかかってくるか
わからない。

東のはずれ山形の方は、最上家、伊達家、相馬家
いずれも今は攻めてくる気配が無いので放置。
ココは城の防御力だけを高めることに専念する。

また、武闘派ばかりの上杉家で、なんとか
政治力のありそうな奴らだけを二部隊に分け、
佐渡島の金山確保のため、のっけから城を作らせる。
同じ理由で富山城のそばにも金鉱があるので築城。
18ヶ月くらいかかりそうですよ?と部下の官僚が
好き勝手な見積もりを算出するも
ここは、勝手にしてくれと認可。
(政治力が高く、建築の技能のある武将、
 複数名で城を造ると5ヶ月くらいで完成する)
これで軍資金の確保は図られる。

南一帯は信州と群馬の一部。御館様亡き後の
武田勝頼さんの領土。よく見ると友好度90近い。
親父が死んで遺恨は水に流したらしい。
早速、同盟使節派遣→締結された。
これでひとまず南からの侵攻は防げる。

怖いのは岐阜→飛騨高山経由で富山が襲われそうなこと。
これは仕方ないので富山城の防御力をトンテンカンコン。
更に各城に時々訪れる商人から20〜30の鉄砲を
購入し続け、富山城に終結。鉄砲が500を越えれば
一部隊、まとまった戦力として期待できる。
問題は武闘派の上杉家、騎馬は得意でもメカ(火縄銃)を
扱える武将が皆無
なことだ。
でもこの問題はまあ、敵が「織田家」だから
誰かしら捕虜にできるだろう。
織田家なら、B級武将でも鉄砲技能「三段」を
もってたりするからな。
→実際、前田利家を捕虜にして防御専門要員とした

後は西だ。「そうだ京都へ行こう」気分の
PON謙信。
頼まれたら嫌といわない親分肌の謙信。
史実でも京都の将軍家やら宮廷やらから
お願いだから京都に来て治安維持を
図って下さいと何度も要請を受けていた。

史実では、謙信君。手取川で織田軍を撃破。
なんだ、昇竜のイキオイとされた織田家って
こんなもんなの?ヨシそれじゃあ大々的に・・と
改めて軍勢の召集命令をした矢先に
トイレで倒れてなくなってしまった。
享年49歳。死因は脳溢血。

余談だが、謙信は大酒のみで有名。
つまみは塩のみだとか。
これじゃあ倒れるわな。

実はゲームでの謙信も寿命が刻一刻と迫っている。
そのため、PON謙信が越後各地をランダムで
訪れる商人の商品一覧を眺めて、手に入れたのが、
もっとも安い「医学書」。
この「もっとも安い」ってのが重要。
このゲーム「医学書」類の値段に効果の差は
まったくナシなのだ。
「医学書」とは、死ぬ時期を史実よりも
若干遅らせることが可能になるというアイテム。

戦略のキモである、謙信が病気で死んでしまったら
織田家を叩く手段がまったく無くなってしまう。

さらに「西」のハナシ。実は西部戦線
正確には金沢の近くには、謙信は恐れないが、
信長−家康ラインをはじめ、世の戦国武将が
恐れるヤツらが存在する。一向一揆の総本山
本願寺である。

死兵」といって、死を恐れない兵士ほど、プロの兵士が
恐れるものは無い。「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とされたのはもっとずっと後の話で、
勇猛だろうが名将だろうが、生きてかえってこなければ
浮世の栄誉、富の恩恵にあずかれないのだ。
当然、死なないように戦わなければならない。

その一方で、死ぬことを恐れない、失うものが無い
退路を絶たれた兵士の強さときたら・・
太平洋戦争のカミカゼアタックなどいうまでも無い。

今直、世界に頻発する自爆テロもそうだが、そんな
狂気にヒトを狩りだたせる力があるとしたら、それはもう
何かに対する「狂信」だけである。
ヒトを幸福にするはずの「宗教」が、もっともヒトを
不幸にしている壮大な皮肉は今も昔も健在。

それはさておき、上杉謙信ってヒトは、
一応形だけとはいえ出家しており
基本的に権威に弱い(既存権力を守ろうとする)
ので幸いなことに本願寺勢と仲がいい(友好度90%)
早速、同盟を結ぶ。



スタートするにもこれだけの対処が必要。
とりあえず、上杉をめぐる周囲を固めることができた今
目指すは「京都」!

・・長くなりました。続けます。

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2009年10月10日

センゴク 上杉謙信動く!

「センゴク 上杉謙信動く!」

大河ドラマも佳境。
関ヶ原編は、ほとんど三成=小栗旬だけのために
NHKが用意した話であり、ドラマの主役が
直江じゃなくっても全然OKでした。

直江兼続と上杉景勝は、徳川家康とこそ
ケンカはしなかったけれども、最上義光やその裏の
伊達政宗とは、結構ケンカしたんだから、
さすが直江公、と言わしめるような最上領侵攻戦や、
その撤退戦。その後も執拗に攻めてきた
伊達をほとんど返り討ちにした史実のように
上杉の精兵ぶりを、もう少し忠実にドラマ化
してもよかったのに。
ぱちんこ「花の慶次」の見所でもあるのになあ。
無理に最後まで真田幸村とからめなくても
慶次をだせばよかったんに。

実際には、あの時期に兼続ヒストリーには
それほど見るべき資料が残っていないのかもしれない。

前にも触れたけど、上杉景勝と直江兼続はニコイチ。
二人でワンセット。やってきたことも二人三脚
だったんで、どちらを主役にしたとしても
エピソードが重なってしまう。
それなのに結局「直江」を主人公にしたのは
かの有名な「直江状」と、石田三成との友誼を
描くとなると、直江が主人公である方が
料理しやすい・・まあ、そんな所だったんだろう。

結局、「天地人」とは天才上杉謙信が
好き勝手の挙句、好き勝手に途中でぽっくりと
イってしまい、すべての後始末に追われる
凡才二人の姿を描くドラマだったわけだけど
彼ら二人は、またしても敗戦処理担当。

で、漫画「センゴク」より。

計算された上での狂気により天下布武を
目指す信長の、右斜め上を、はるかに
イカレタ上杉謙信(不識庵)が
今大暴れ中。

この漫画、でて来る戦国武将が映画俳優を
モデルに描かれいることがあり、結構ハマって
いるあたりもフシギだ。

丹羽長重なんかSWのメイス・ウィンドゥ
(ジェダイ評議会議長)を演じた
サミュエル・L・ジャクソンのようだ。

DCF_1892.JPG
上杉謙信(不識庵)
一応仏僧なので頭部になんか載せているけど
顔面だけつるっとしたピーターウェラー系
ロボコップというか、ちょっとしたエド・ハリス
みたい。

不識庵はフシギ庵。
何を考えているのか判らないが
実際何を考えているのか誰にも判らない
妙な武将と描かれている。
彼の唱える「義」というものは、
つまるところ彼のフィーリングに基づく
「都合」であって、それがコロコロ変り、
周囲(敵味方とも)が振り回されるというのも
オモロイ。

出陣前の最終打合せってことで
何においても総大将の意、要はボスが何をしたいのか
具体性をキチンと表明すべき、重要な軍議において
禅問答のようなひと言だけを残し去ってしまう
謙信公こと不識庵。

けっきょく会議は、皆で謙信の意を汲み取って
「軍備増強」で落ち着いてしまうあたりがフシギ。
いいのか?そんなんで。

また、そんなボスが戦国最強だから始末に悪い。
領土的欲得が少なく、政治的には超保守的で、
今ある政権(一応、足利幕府)を尊重するスタンス
の謙信が、よりにもよって既成価値観を
ぶっ壊そうとしている信長と組み、中世的価値観の
カタマリで、足利幕府とも共闘体制をとっている
本願寺勢とケンカ。それでヨシとしてしまう
支離滅裂な思想=義というものは、謙信にしか
ワカランのでしょう。たぶん。

DCF_1893.JPG
それと主人公であるセンゴクが与力している武将
織田家の柱石、木下藤吉郎。
もともと良い味出しているキャラだったが
ココへ来て更に成長。
キセル(おそらくは大麻中毒)が手放せず
女好き。きちんと指も6本(秀吉は先天的
多指病であったと記録にあるらしい)あり
硬軟併せた度量の男となっている。

コレからも楽しみである。
(昔だったら・・全巻集めているのになあ)

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2009年09月12日

大一大万大吉 VS 厭離穢土欣求浄土

近所のドラッグストアで撮影。

DCF_1841.JPG
資生堂も金持ってんなあ。
これだけでSMAPしのげるんじゃないか?
左から
「三浦春馬」「直江兼継」「石田三成」「えーた」

PONも嫁さんの影響でこの4名くらいは
存じております。しかしながら語れる話となると
やはり「戦国」になってしまいますのでw

「直江兼継」(妻夫木 聡)
「石田三成」(小栗 旬)

いよいよ、ドラマも佳境。有名な「直江書状」も
出てくる様子。いまから楽しみで有りますが。

今日は、石田三成が関ヶ原で使ったとされる旗印につきまして。

大一大万大吉
(だいいちだいまんだいきち)と読むらしいです。
これ、石田三成が関ヶ原の戦いで旗印とした文句。
武田信玄でいえば「風林火山」です。

 大とは天下を意味し、天下のもとで一人が万民のために
 万民が一人のために・・・という世の中になれば
 すべての人が吉となり、太平の世が訪れる(引用)



まるでケネディーや、ちょっと意味合いが
異なるやも知れませんが、リンカーンの名演説のようですの。

ケネディー
「国が君に何をやってくれるかではなく、
 君が国に何をやってあげれるかを求めよ」

エイブラハム・リンカーン
「人民の人民による人民のための政治」

ドラマでは石田三成が、さんざん
「いくさで民が苦しむ世に後戻りさせたくない、
 そのために太閤(秀吉)にお仕えしている」と
発言していたけど、作者は、この旗印から
そういう意図を汲んでキャラにしたんだろう。

一方、隆慶一郎先生だったか、司馬遼太郎だったか
作品の中で、この三成の旗印のことを
大変欲張りな旗印」と表現していたんで
PONには??だったんだけども

 大一大万大吉の六字紋は、一を「かつ(勝)」と
 読み、万「よろず」を万年の繁栄、
 吉を縁起のよい文字として、さらにこれに「大」を
 冠して幸運を願う紋(引用)

なるほど。これは欲張りかも。どう読み解くかは
ともかく「古くは鎌倉時代の武将の石田為久
(木曾義仲を射落とした人物として知られる)が
用いていた」とあるので、同じ石田姓にあやかって
持ってきたんでしょうね。

「群雲、関ヶ原へ」(岳宏一郎)という
戦国(関ヶ原)フリークには是非お読みいただきたい
小説があります。司馬作品などにありがちな
作者の「思い入れ」などはあまりなく
細かい武将のエピソードが時系列で並べてあり
すべては関ヶ原に集約されてゆきます。
あれを読めばまあ関ヶ原についてはバッチリかと。



そんで「群雲、関ヶ原へ」。
関ヶ原で、ヤツの裏切り後、劣勢になる西軍。
主力の宇喜多軍に徳川勢が殺到してきます

さすがの青年武将「宇喜多秀家」も気弱になりますが
「まだだ、まだ倒れるわけにはいかない。
 となりの「大一大万大吉」の旗がはためいている限り
 ゴーガンな奴より先に倒れるわけにはいかんのだ」
と踏ん張るシーンがありまして・・
一瞬、石田三成ヤフー!と勘違いできますw

他にも、石田三成を眼の敵にしてきた
「黒田長政」でしたが、彼を嫌っていた
自分に実は人を見る目が無かったのでは?と
戦いの中で彼を見直すシーンも有ります。

彼が思っていたとおり、三成が、単に
秀吉の威を借るイヤーな小役人だったとしたら
石田家中の面々がここまで
彼のために喜んで死ぬだろうか??と。

ま、とにかくご一読ください。
こんなお話も・・

・・そんで最大のライバル「徳川家康」ですが
彼の旗印には

厭離穢土欣求浄土
(おんりえどごんぐじようど)

【 厭離 穢土】の意味 国語辞典 - goo辞書
【えんり-えど ▼ 厭離 ▼ 穢土】の意味は?
 けがれた現世を嫌って離れること。おんりえど。
  欣求浄土 (ごんぐじようど)

簡単に申しますと、
汚れた現世を嫌って浄土を求めましょうよ・・
転じて
「ここで引いたら地獄、進めば天国」
ってことですか。
そもそもは、家康が三河一国の維持にも苦心していたころ
一向一揆との戦いの中で使い出したとされているようで。
狂信者には狂信をもって対抗するって事かもしれませんが。



「いけー!骨ぐらいは拾ってやるぞぅ」
どのみち、突撃するしかないにしても
「厭離穢土欣求浄土」で死ぬのはなあ。
厭離な穢土を少しでもよくするのが
君の仕事でしょうよ。所詮、三成、兼継とは
水と油だったのかもしれません。

(でも、もし三成が勝っていたら、結局は秀吉のように
 変質してしまって単なる独裁者になっていたりして。
 「義」のためには何でもアリな政権
 それもちょっと考えてしまうな)

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2009年08月10日

戦国時代の人達って

「戦国時代の人達って」

戦国時代の人達って、かなり元気な人達
ばかりだったんじゃないかと思う。

雪まだ残る新潟を出発、水上を抜けて
小田原まで攻めていったり・・
関ヶ原なんか、東京〜名古屋まで歩いていって
それから喧嘩するのである。

・・少なくとも俺には無理。

かの有名な豊臣秀吉軍に所属していたりしたら
さっきまで岡山にいたにもかかわらず、
徒歩(基本ダッシュ)で6日後には山崎
(京都〜大阪の間)に移動。
到着早々、殺し合いをせねばならない。

神速の軍事行動、「秀吉の中国大返し」とか言われる。

一応、移動は駆け足だったと言うが・・全区間
というのは、さすがにそれはどうだったのだろうw

ただ、仮にも「軍事行動」ではあるので、少なくとも
東京やホノルルマラソンに参加する芸能人、
もしくは24時間TVのあざといチャリティーマラソン
なんかよりは、早いペースの移動が望まれたん
じゃないだろうか。

伝説?では、上級武士は馬に乗ってるとはいえ、
連続騎乗では、本人もさることながら馬がダメに
なってしまうため、途中の姫路城やらには
先回りした家臣団が確保した、別の馬に乗り換える。
(当時の馬は、今以上に消耗品だったとか)

徒歩の足軽達は、夜通し走らせるため、街道には
かがり火を焚き、道にはコモを敷いて走りやすく、
また各地途中にはマラソンでいう中継地点を設置。
オニギリや水がすぐ入手できるようになっていたらしい。

それにしても1週間で1万6千人の軍勢が、備中(岡山)
から京都まで移動するというのは、これは当時からしたら
鬼神の策だったに違いない。

そういう思い付きを、即実行に移せる資金力を持ち、
さらに行動力を持つ支援部門の「家臣団」が
秀吉軍にあったからこそ強かったのだろう。

豊臣軍団は、柴田勝家と戦った「賤ヶ岳の戦い」でも
大返しを敢行したと言われている。
兵も仕事も「拙速を尊ぶ」のですなあ。

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2009年07月17日

天地人 石田三成

「天地人 石田三成」

石田三成(演:小栗旬)が本式に出てきた。

史実の「石田三成」氏は、時の絶対権力者、
豊臣秀吉の権威をカサに威張りまくった
スーパー官僚で、官僚なんで戦争はへたくそなのに
海道一の弓取り「家康」とケンカ(関ヶ原の戦い)
を挑んで負けた人・・といったイメージ。

才槌頭の青二才
※さいづちあたま:前頭・後頭部が突き出て
 槌のような形の頭)
と周囲に陰口を叩かれるほど唾棄すべきヤツと
忌み嫌う武将も多く「加藤清正」や「福島正則」
のような子供のころから秀吉に可愛がられ、
エコひいきされまくった大名は、本来なら
石田三成側について、政権を奪い取ろうとしている
家康とケンカしてもおかしくないのに
彼らはただ「三成嫌い」だけのために、
あるいは武将によっては家康の野望も承知の上で、
豊臣政権崩壊の手助けに回っている。

かと思えば、関ヶ原の戦いで、負けることを
しりつつ友情のために三成の味方をした
大谷吉継」公

三成が、暴走する家康派の武将達に
京都で抹殺されそうになった時、自家の軍勢を
もって応援に駆けつけた「佐竹義宣

戦に弱いと定評があった石田三成だったが
徳川東軍のほぼ1/3を一手に引き受け、
一歩も譲らなかった石田家中の面々、
島左近」とか「蒲生郷舎」とかとか・・。

石田三成が通説で語られるように、心底嫌味なヤツ
だったら、そこまで彼に命かけるかね?

今回の大河の主役「直江兼継」もボスの上杉景勝と
組んで、徳川家康とホンキでケンカするつもり
だったらしい。具体的には徳川家康と彼を慕う連中を
まず山形・会津の上杉領へ誘いだし、ホンキで
ケンカするならそれも良し。一方で家康が
関東〜南東北あたりで、上杉にあたふたしている
うちに佐和山(滋賀県)にいる石田三成とその仲間
(要するに西軍)が旗揚げする。

石田家と上杉家(直江兼継)の密約のようなものは
証拠としてなんも残っていない(残すバカもいなけど)
史実では、この全国的戦略が「阿吽の呼吸」で
行われたようなのである。

直江兼継だって、まったく勝算無くしてやったわけでも
ないだろうけど(そもそもこのケンカは家康に売られた)
石田三成とその生き様をよほど信用していないと
こういう行動には出ないだろう。
立ち上がってみたら、自分の国(上杉)以外は
全部座ってた!!
なんてことだってあり得たはずだから。

携帯電話のような通信手段がまったく無い当時に
日本の東西で連動してコトを起こすことができた
ってのは、綿密な事前の打ち合わせと、なにより
その家のキーパーソンを信じきっていないと出来ない。
「直江兼継」と「石田三成」って
それくらいウマが合ったんだと思う。

ドラマでの石田三成は、アタマが切れまくるが、
気さくに話しかけることの出来ず、人に警戒感を
与えてしまう不器用過ぎる男として描かれている。
小栗旬のロボットのような演技が
またぴったり合っていてグゥ。
(なんか「事務方」のシャアみたいだな)

あるいは「ツンデレ」のハシリなのかもしれない。
三成は、オフィシャルではつっけんどんな
姿勢を誰に対しても貫きながらも、全く
話がわからん男ってこともなく、見えないところ
ではけっこう柔軟に対応して、陰ながら
ずいぶん武将に好かれていたようなのだ。
(借金を無理に取り立てなかったり、
 私腹を肥やすためではない、止むを得ない
 経理の不正を見逃したり・・)

その柔軟な対応が、彼の優しさから来ているのか
「情けは人のためならず」なのかといえば
おそらくは後者。しかも自分の人気取りではなく
豊臣家の未来のためにファンを作っておく
という意味合いが強かったんだと思う。

そういう好意を、好意と理解して静かに感謝する
武将とだけ付き合っていったのかもしれない。
だから、こちらが調子に乗って
「なーんだ、三成ちゃん、話わかるじゃん!
 仲良くしようよ〜」
なんてギョーカイ人のように言ったものなら
たぶんたちまちに拒絶。
強烈なヒジテツが待っていたものと思われる。

だとしても、戦国時代の武将なんて
みんなジャイアン。みんな体育会系。
そういう感性を理解できる人材はホンの一握り。
必然的に、三成を理解する友人も少なく、
彼の表面だけを判断材料にする武将が多くなるから
敵も多い。
なんか、純情なオーベルシュタインみたいだね。



親交を深める「妻夫木」と「小栗」だけど
石田三成は京都にある直江兼継の屋敷に出入りして
直江の持つ、古文書や名著の類を借りていっては
写本して次の日には返していたというエピソードもある。
この辺、なんかカワイイ。

秀吉の威を借る狐であっても、しょせん石田三成は
大会社の秘書室長クラス。直江兼継はひとつの会社の
重役であり、収入の差は歴然としているから。
(当時の本(原本)は高かったのです!)

いや、長くなりもうした。御免。

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三成と比較される秀吉の描写もイイ
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2009年06月17日

戦国の子育て〜それはどうかな?2

「戦国の子育て〜それはどうかな?2」

前回、戦国武将の子育てについて記事にしてから
だいぶ間が開いてしまいました
前回は「その子育てはどうかな?」的
アプローチでしたが、今回は逆、子煩悩パパの話。

具体的には遅く生まれてしまった戦国の覇者
独眼流「伊達正宗」のハナシであります。

徳川家康なんか特にそうだけれど
天下に近い戦国武将はみんな、
「身内こそはイチバンの危険分子。
 息子は他人のハジマリ」ってんで
息子は自分と引き離して育てていました。

自分の子供を他国に人質として差し出す
可能性が常にあり、いざとなれば他国を
裏切ってでも自国利益を優先せねばならない。
(そん時、当然我が子は犠牲になります)

我が子に愛情を持つとろくな事がない
愛してなけば、身を引き裂く哀しみもない。
どうせ愛人にたくさん生ませればいいんだから。
という冷徹な帝王学が根底にあったようです。

もっとも天下統一事業に忙しい家康の場合
家庭を顧みるどころではなかったようですが・・

そんな戦国時代に生まれた伊達政宗公。
彼は父親に恵まれました。
今の感覚で言えば当たり前なのかもしれませんが
父、輝宗はとても温厚で子煩悩なヒトで、息子
正宗を非常に可愛がり、当時高名な坊さんを
(臨済宗の虎哉宗乙・こさいそういつ禅師)
家庭教師としてわざわざ京都から仙台まで
招聘したくらい。

更には家中から有望な若手を早くから政宗の家来
にして(片倉景綱、伊達成実、原田宗時など)
ついには輝宗40歳のときに政宗に家督を
譲ってしまいました。政宗御年19歳。

輝宗の奥さん(正宗の母親)は、隣のライバル国
最上家からやってきた、当時「奥羽の鬼姫」と
噂された最上義守の娘(最上義光の妹)。
これがどれくらい鬼姫かといえば、
実子、正宗を毒殺しようとしたり(けっこう有名な話)
両家間で一触即発の最前線に「籠」で乗り入れ
鎧武者が大騒ぎの現場を鎮めてしまったり・・
それになんといっても戦国一信用できない武将
最上義光の妹だもんな〜。

キシリア殿.png
こちらは別の国の「鬼姫」

輝宗さんは猛烈サザエ氏の旦那、マスオさん状態
だった様子。子供に愛情を注ぐしかなかったのかも。

血気盛んな政宗19歳は、若者にありがちな
ノーフューチャー的強引さ
(逆らう勢力皆殺し状態)で伊達家周囲の小大名を
制圧しますが、青い強引さは敵を増やします。

1585年10月、周囲の大名のひとつである
畠山義継が政宗の下に参じて降伏しました。
政宗はこれに対しキツイ態度(義継の所領を大幅に
カットする)つもりでしたが、性格温厚な父親輝宗は
政宗の決定に難色を示し、政宗は罪の軽減を決定
しました。

「あの政宗がそんなに寛容なはずがない・・」
これまでの政宗の行動から疑心暗鬼になった義継は
裏切りを決意。政宗の不在を狙って輝宗と面会するや
父親を人質に自城に戻ろうとしました。

変事を知った政宗が、家臣を引き連れて
追いついたのは阿武隈川の川縁。
対岸を進む畠山義継の勢力に
捕らわれた父、輝宗を発見。

「政宗!父にかまうな」
「父上〜!」
「私ごと義継を撃て!撃って後々の禍を絶つのじゃ」

「父上!!・・・・・てーーーーッ」
ダダーーン
(↑おい、結局は撃つのかい(苦笑))

以上の場面は想像。

この事件には異説も多く、上で紹介したように
政宗の涙の銃撃で二人とも死んだとか
最期を悟った義継が輝宗を殺害したあと
自分も割腹したとか、政宗には引退後もうるさく
口を挟む父親を厄介払いにため、こりゃいいやと
助ける努力もせず無理にお涙ちょうだい話に
自分で仕立てた
とか後の世で色々言われてます。

本当のところはもう解かりようもないけど
畠山義継と輝宗がほぼ同時に死亡したのは
事実だった模様。
ドラマでは「敵ごと父殺し説」が、
やはりなんといってもドラマチックなんで
選ばれることが多い。

まるでゲルドルバ照準にあえて絞って
ソーラーレイを撃ったどこかの総帥のようですな。

ソーラレイ.jpg
ヒトラーではなく政宗のシッポだったようで・・。

政宗は「父」を殺し「弟」を殺し
(さすがに躊躇したのか「母」は殺しませんでした)
壮絶な人生を送ってしまった武将。
長身で二刀流でファンキーな英語を使いこなすアレは
想像の産物だったんですねえ。

数年前に仙台の教育委員会が政宗の墓を掘り起こして
調査したところ、身長159センチのB型だったとか。

又引きですが、戦国武将の身長↓
http://blogs.yahoo.co.jp/zennolobloy/12847705.html

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2009年05月05日

毘沙門天と姫

今日は尚武の日。
子供の日だ。

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「毘沙門天と姫」

先日、NHKの「天地人」を相方と観ていた。
御館の乱の回。御館の乱とは跡継ぎを決めぬまま
急死した謙信の後釜争いのこと、越後の国の
内乱である。

上杉謙信が使用していた正義の旗「毘」を上杉景勝が
使用したことで、ライバルの影虎がいきり立つ。

相方が「毘」って何?と聞きたそうであったので
(聞かれもしないのに)PONは「毘」とは
「毘沙門天」の「毘」で仏教を守る軍神のこと、
謙信は無類の戦争マニアで自身を最強軍神と
なぞらえていた節があるよと勝手に解説していた。

ぺらぺらしゃべるPONであったが・・相方が
上杉軍の中に一人ぐらいは書き間違えている
人間がいたかもしれないね〜という。

」じゃなくて・・

とか!

うんうん、ひとりくらい、「義」ではなくて
「昆虫マニア」の地位向上の為に戦った
ヤツもいたりして・・

いねーーよ。



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「虫愛ずる姫君」
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2009年04月28日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)弐

「信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)弐」

信長の野望 烈風伝 プレイ日記。
北条家 1590年にスタート。
前回も書き連ねましたが、「1590年」といえば
豊臣と戦国オールスターズ(合計23万人)が
小田原を攻めてくる年です。

当主:北条氏政
配下には
三男弟・猛将、氏照(八王子城城主)
四男弟・氏邦(群馬方面担当)
五男弟・氏規(どっちかというと外交)

息子で5代目である氏直。史実では当主のはずだが
このゲームでは父親の部下扱いである。
一門衆はそのほかに、氏勝(北条綱成の孫)と
北条幻庵ジイさん。

この非常時(いつ秀吉が来襲してきてもおかしくない)に
頼りになる連中とは、武力「70」以上の武将であるが
かつて頼りになった三代目、北条氏康「70」も
地黄八幡の北条綱成「86」も既にこの世にいない・・。

相模の獅子な北条氏康が戦闘力70というのは
若干少な目が気もするけど、
信長の野望シリーズ中でも、この「烈風伝」は
ことさら人物評価が低めに設定されていることで定評があり
氏康自身も、必要以外の戦争は行わなかった節があり
(華々しい武功は川越の夜戦くらいで、信玄や謙信が
 来襲してもいつも小田原城に籠もってしまって
 いたから・・)
やむを得ないところかも。

でも「氏康の向こう傷」っていうくらい、
晩年はキャプテンハーロックのような顔だったようで
敵に後ろを見せない猛将だったようですよ。

でもでも臣下には見るべき人材がほとんどいない。
戦争時に頼りになるのは忍者
風魔小太郎、戦闘「95」くらいなものである。
彼にしたって、一介の忍者なので、武将として
大軍を率いるには能力不足であり(忍者や武芸者
は軍を率いるのに重要な「統率力」に欠けるのです)
要するにこの家には安心して北条軍団を任せられる
武将がいないのだ。どうにか氏照、氏邦くらいかな。
社長こそいるけど、有能な部長クラスが複数いない
会社、といったところか。

肝心の当主一族
北条氏政の戦闘力「52」
  氏照の戦闘力「71」
   氏邦の戦闘力「61」
   氏規の戦闘力「43」
   氏直の戦闘力「39」
   氏勝の戦闘力「46」

北条幻庵に至っては「8」!

北条幻庵ってのは早雲の三男。
武人というよりは文人として有名なんで「8」は仕方ない。
その素性は初代の息子にして5代目氏直まで
北条家五代90年近く仕えた爺さん。
彼は生まれながらにして爺さんだったものと思われ
北条家の栄枯盛衰を見てきた武将。
幸せだったのは1590年の小田原攻め前に病死
したため北条家滅亡を見ないで済んだこと。

幻庵おほへ書」という花嫁心得書を記し
嫁入りする姪っ子に持たせたらしい。
内容は北条家の娘として恥ずかしくないよう
礼儀作法から「夜の生活」まで言及したんだとか。
それはやりすぎでは・・。

閑話休題

北条家臣団も数も少なく
そろいもそろって戦闘力50台。

大道寺 政繁」 
北条後家来襲(←ナイス変換IME)もとい北条御家来衆
のなかでも特別待遇を受けてきた家系なのに、豊臣軍が
攻めてくると開城いきなり小田原までの道案内を買って出た
裏切り者。松井田城主。

松田 憲秀」 
政治力はある武将。史実では籠城策を主張。「小田原評定」の
主役となった上、裏では秀吉への内応を試みた。こんな奴が
北条筆頭家老を務めたてたんだから・・。裏切り者2。

御宿 勘兵衛」 
戦闘力「71」もあるが、こいつは史実の経歴から
信用ならないヤツとPONは思っている。
しかも忠誠心が30台だったので、ゲームスタートと
同時にさっさと首(解雇ね。昔のシリーズには
ホントに「切腹コマンド」があった。武将によっては
命令無視して逃げちゃったり・・)
にした。篭城中に裏切られでもしたらエライこっちゃ
だからだ。

佐久間 安政
いるんだかいないんだか不明。史実では結構妙な
経歴の持ち主。佐久間といえば「玄蕃」か「信盛」か
「ドロップス」といったところ。

清水 康英
伊豆下田城の水軍武将。
梶原 景宗
氏康に招かれた水軍武将。西伊豆の入り江は
水軍船が隠れるには絶好の基地だったようで。

あとは「成田」「猪俣」「小田」等々
関東勢百万と候え、男はひとりもなく候
と真田幸村さんが後に言ったとか言わないとか
伝わるが、ちょっとわかる気もするよ・・うん。
悔しいけど。

しかし、この武将ラインナップ・・やる気ワかね〜



でもこのシナリオを選んだのは自分だもんな。
うん、頑張んないとな。

ってなわけで、ゲーム攻略(というか自己満足的つぶやき)
次回に続きます。

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2009年03月28日

信長の野望 烈風伝プレイ日誌(北条)壱

「信長の野望 烈風伝 プレイ日記 壱」

急に思い立ったので
信長の野望 烈風伝 プレイ日記を書きます。
かなり適当に。

その前に、事前説明をこれまた適当に・・。

西暦1590年。この年は小田原が
日本中を敵に回して戦った記念すべき年。
北条五代で関東を制覇、治世100年の末期のこと。

今でこそ「小田原ってドコ?静岡県?」という
暴言をあまんじてスルーしている
地方都市であるが
その昔はそんなこともあったのである。

北条五代とは
早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直
いまでも小田原では毎年5月に「北条五代祭り」
をやっている。

早雲(戦国の代表的下克上者。当時は伊勢と名乗っていた
   西国から流れてきた彼は60歳近くで伊豆をのっとり
   続いて小田原城を乗っ取ってしまったスーパージジイ。
   平均寿命が50歳の戦国時代、60代っていえば
   80歳で県知事初当選みたいなもんか?)
氏綱(早雲の後を継いで確実に3代目にバトンを繋いだ男。
   初代と3代目に挟まれあんまり有名ではないが
   二代目がしっかりしないと組織は長続きしない
   といわれるのでかなり有能だったと思われる)
氏康(北条、武田、上杉で関東を争っていた関東三国志
   では関東の獅子とか云われる。ちなみに武田は虎、
   上杉は龍。有名なのは戦国三大奇襲のひとつ
   10倍の敵を破った川越の夜戦)
氏政(四代目。結果的に言えば彼が北条家を滅ぼした。
   小田原攻めの時には引退、子の氏直に家督を
   譲ってはいたが、実権は握りっぱなしだった模様)
氏直(五代目。北条家最後の当主。和戦派で家康とも
   仲がよかった様だが親父様には逆らえなかった。
   小田原が滅びた後も殺されずに済んだので、
   豊臣側も戦争犯罪人者扱いしていなかった模様。
   その後若くして病死)

豊臣秀吉の言うところの「小田原征伐」の日本は
今の「地理感覚」で適当にざっくり書きますと・・

・東京、神奈川、伊豆、埼玉、群馬は北条氏。
・茨城(佐竹家・結城家)は敵
・千葉(里見家)も敵
・栃木(宇都宮家)も敵。
・その北、福島・宮城は新鋭、伊達政宗さんが
 気を吐いております。
・強敵、武田信玄の武田家も既に滅び
 山梨は徳川家康のもの。
 その家康も当時は豊臣に臣従。
・新潟にいた別の意味での強敵、上杉謙信も
 既に亡く、後を継いだ上杉景勝とその忠臣
 NHKでおなじみの直江兼継ペアが仕切る
 上杉家は豊臣家に臣従。

ありゃりゃ、北条家は四面楚歌だ。

ヨーロッパの城郭都市に匹敵する戦国最大の
城である小田原城攻防戦。
一応、小田原北条氏VS戦国武将オールスターズ
であったが「小田原評定」なんて言葉も生まれた
くらい、小田原城内では来る日も来る日も会議だけの
にらみ合いに終始、最後は裏切りもあって自滅。
ついぞ劇的なドラマは生まれにくかったようで。
今に至るまでNHK大河ドラマ化には至っていない。



「小田原評定」こそは、生き馬の目を抜き、
血を血で洗う戦国の世において、
生きるか死ぬかの瀬戸際に「話し合い」の精神、
初めて「議会制民主主義」を持ち込んだ先例・・とか
申す地元民もたまーにお見かけしますが
ええ、持ち上げすぎだと思います。

長すぎたのでプレイ日記は後日。
続きます。

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四代目氏政くん・・
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2009年01月18日

天地人

「天地人」

評判がよかったらしい「圧姫」(←またまたステキな
変換ありがとIME)「篤姫」の後番組。

上杉の名参謀「直江兼続」公が主人公。
(「公」「公」めんどいので以後省略します)

今回の主人公は戦国最強といわれた「上杉謙信」の
跡を継ぐことになった「上杉景勝」の相棒。
「伊達政宗」に「片倉景綱」
「ルパン」に「次元」
であるように「上杉景勝」に「直江兼続」です。

二個イチ的なところも無きにしも非ずだけど
まあ、マッハロッドでブロロロ・・っつーか
ウルトラタッチでA誕生のように
もはやセットなのであります。
古くてスミマセン。

この番組で「兼続」公を知った方も多いようで
はばかりながら(←実は全然w)PONも
周囲へ前フリの説明に追われました。
まあ、ほとんどの場合、PONに軽い気持ちで
聞いてみたところ、必要以上に説明が返ってきて
周囲が閉口するってパターンのようですが。
(自覚はしているんです)

************************

毎度おなじみ、戦国ゲーム「信長の野望シリーズ」より
PONが一番やりこんだ「烈風伝」のデータより

直江兼続

政治: 87
戦闘: 72
采配: 83
智謀: 83
義理:100
足軽: B
騎馬: A
鉄砲: C
水軍: E
威信:無視

誕生年:1560年
登場年:1575年

内政特技:農業 商業 登用 外交
戦闘特技:騎突 
キリスト教に対する考え方:中立
保守革新:やや保守
上洛思考:地方統一
口調:威厳
陣形:鋒矢 長蛇 魚鱗 鶴翼
職業 茶人 

・・ゲーム上の設定だけど光栄はさすがだね。

************************

久々に、大河ドラマに期待だ。
キャスティングも結構ハマっているし。
子供の頃からスタートすると、最初は子役ばかり
なってしまうので、ときどき時代を前後させて
妻夫木やら小栗旬やらをちょこちょこ出して
場をつないでいる。脚本家も大変。

************************

主人公
直江兼続(なおえ かねつぐ)
演:妻夫木聡(幼少時代:加藤清史郎)
上杉景勝の重臣。上田衆樋口家の長男で、
幼名は樋口与六(ひぐち よろく)

上杉景勝(うえすぎ かげかつ)
演:北村一輝(幼少時代:溝口琢矢)
上杉家当主。通称・弾正少弼。長尾政景と仙桃院の間に
生まれた嫡子で、幼名は長尾喜平次(ながお きへいじ)
→戦国のハードボイルド野郎。生涯で家臣の前で
 笑顔を見せたのは一度きりだとか伝わる。
 北村一輝=X星人、イイじゃないですか。

上杉輝虎(うえすぎ てるとら)→上杉謙信
演:阿部寛
越後の国主で、景勝、景虎の養父。
→イイねえ、阿部ちゃん。カッコいい。
 ご存知戦国最強武将。自らを戦の神と
 思っている節もあって、生涯独身だったヒト。
 前々作(山本勘助)のガクトがそのまま演じても
 面白かったかも。

上杉景虎(うえすぎ かげとら)
演:玉山鉄二
輝虎の養子で、景勝の義弟。
→ってなわけで上杉の後継者争いとして
 北村−妻夫木主従と戦う武将。小田原出身。
 一説にはまれに見る美青年だったらしい。 

【その他】
柿崎晴家(かきざき はるいえ)
演:角田信朗 上杉家重臣、武将。
→武闘派上杉家の切り込み隊長。
 でも裏切りやすい。

宇佐美定満(うさみ さだみつ)
演:真木仁 上杉家家臣。
→映画「赤と黒」では
 渡瀬恒彦氏・・だったかな。

仙桃院(せんとういん)
演:高島礼子
上杉輝虎の姉。名は桃(もも)。
上田領主・長尾政景の夫で、景勝の生母。
→セントリーノではありません。

織田信長(おだ のぶなが)
演:吉川晃司
→信長ってもともと短いセンテンスしか
 話さないヒトだったらしい。そのため?か
 今のところ吉川氏の演技力については
 不透明。でもカッコいいから良しです。

明智光秀(あけち みつひで)
演:鶴見辰吾
→ふーーんって感じ。

羽柴秀吉(はしば ひでよし)
演:笹野高史
→この人、PONはまったく知らなかったけれど
 「いつか自分のところに秀吉を演じるオファーが
  くるはず!」と信じて疑わなかったらしい。
 確かに、織田家時代のなりふり構わなさと
 成り上がってからの、凄みと「厭らしさ」みたいのは
 とても良く出ていた。ホンモノもあんなだったのかも
 知れないなあ。 

石田三成(いしだ みつなり)
演:小栗旬
→実は主人公「直江兼続」と親友だった彼。
 直江兼続と親交を深めるところなんか今から見もの。
 (っつーか嫁が大変楽しみにしているw)

(よど)
演:深田恭子
→衣装代に5000万もかけるのは・・金かければ
 イイてモンでもないだろうに。
 ヤッターマン、ドロンジョの話だけど。

【大名】
小早川秀秋(こばやかわ ひであき)
演:上地雄輔
→まあ、戦国一羞恥心のない武将だし。

徳川家康(とくがわ いえやす)
演:松方弘樹

伊達政宗(だて まさむね)
演:松田龍平

真田幸村(さなだ ゆきむら)
演:城田優
→ごめんなさい。この俳優知りません。

前田利家(まえだ としいえ)
演:宇津井健
→ごくせんではヤクザのオヤブンとして
 貫禄たっぷり、ご健在でした。

毛利輝元(もうり てるもと)
演:中尾彬
→あんまり似合わないかも。
 100%個人的主観ながら柴田勝家っぽい。

楽しみであります。



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「信長の野望 覇王伝」
ラベル:天地人
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2008年10月14日

上に立つものの孤独

「センゴク」

以前にも、記事にしましたが。
最近はさすがに全巻そろえたり
漫喫で読破する余裕もないので
たまーに電車で拾ったヤンマガの
購読することでヨシとしておりますが。

このマンガ、センゴク史好きには
たまりませんな。
かっこええシーンがあったもんで
無断転載。

戦国2.JPG
おバカで無鉄砲な主人公「仙石秀久」にも
いつしか数は少なくとも「部下」と呼べる
人員がつくようになり、ある日ふと気がつく。

言われたことだけを全力でやっていれば
それでよかった時が懐かしい。

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2008年08月20日

無償の愛

茶道、華道、柔道、剣道、鉄道など道もいろいろ
ありますが、いきなりの「衆道(しゅどう)
戦国マニアにはおなじみ
そう、いわゆる「男色」「ホモっ気」
つまりは同性愛(少年愛)ってヤツですよ。

「戦国マニアにおなじみ」と書けば、戦国マニアは
みな、その道の人?と誤解されそうですけど

初めに言っときますが・・違います! たぶん。

日本という国はこと「性」に関しては非常に
おおらかな国だったようです。昔は。
ただし「衆道」が一般的だったのは武士階級などの
支配階級のお話。さすがに農民層には「衆道」は、
あんまり無かったようですね。
(「あんまり」としたのは、個人的な「好み」って奴は
 今も昔も存在すると思うからであります)

農民出の「豊臣秀吉」には、まったく「ホモっ気」は
ありませんでした。しかしながら無類の好色家で、
しかも高貴な出の女性が大好きだったといいます。
成り上がりの典型。今の日本でいえばベンチャーで
めちゃめちゃ金を儲けた人間が、6本木ヒルズクラブで
次々とアイドルをモノにするようなものでしょう。
昔、手が出なかった存在を自分のモノ?にすることに
喜びを感じる手合いなんですね。
合法的かつ双方で合意形成が成されているんであれば
私がとやかく言う筋合いではありませんケド。

・・話がそれましたが「衆道」。
「小姓」と言われ、部下のなかでもエリート武家から
その子弟を「秘書」兼「幹部候補生」兼「SP」兼
「身の回りの世話」兼「夜の相手」として周辺に
侍らせたようです。むろん、美男子でなければいけませんが
今の基準と「美意識」が違ったと思いますので
セレクト基準まで不明。

これには、いよいよとなったら自分の命を預けることの
できる部下を家内に成育しておく、という意味合いも
あったようです。自分が殺されそうな時、計算抜きに
して命を投げ出し救いにくる部下がいる。

それができるとしたら、
無償の「愛」を持った奴だけですよ。
いわゆる腐女子が大好きな、やおいワールドって奴は
戦国時代には存在したんですね。
(ちなみに・・全部の武将がそうだってわけでは
 ありませんので)

有名なところでは、甲斐の虎「武田信玄」と
家中で副将格だった名将「高坂昌信」
「織田信長」と「前田利家」
おなじく「信長」と「森蘭丸」などが
挙げられます。

武田信玄と高坂昌信なんか、ラブレター!まで
残っているらしいです。詳しい内容は忘れましたが
高坂昌信が
最近、自分に冷たいんじゃない?(ぷんすか)」
となじる文に対して、信玄が
「そんなことないよ僕にはキミだけだよ」
とかなんとか、そんな文がマジ現存するらしく。
うああ、プライバシーゼロだな。
戦国武将。ペンは剣よりも強し?

織田信長なんかもっと開けっぴろげで、
だいぶ偉くなった後のこと、正月の宴会なんかの
織田家の重鎮がずらっと居並ぶ際に
昔は犬千代(前田利家の幼名)の
 唇をさんざん吸ったものだ・・
」と公言。
それを聞いた一同が、ドン引きどころか大いに
羨ましがったってんだから、(さすがに利家は
照れたようですが)「衆道」がごく一般的であった
ことが分かります。自分はあんまり想像したくない
ですけどね。

「釣りバカ日誌」は、トップとヒラが共通の趣味「釣り」
でつながっている、ある意味勤め人の「夢」物語ですが、
失敗=さらし首にもなる戦国時代、
自分が君主のかつての「愛人」だったって経歴は、
これは強かったでしょうなねぇ。

今と違って、通信手段なんてロクない世の中です。
例えば、最悪、自分を滅ぼすことのできるくらいの
武力を一時的にせよ預けることができる部下、
「奴は絶対俺を裏切らないハズ」・・とそう思える
部下を確保するに、いちばん手っ取り早いのは、
性的に支配することなのかも知れません。
ヒトとして正しいかどうかはともかく。

そんな意味で、ワルイ男が下半身で女性を管理して
食い物にするって手法は、古典的でありながら
理にかなっているわけです。
ヒトとして正しいかどうかはともかく。

ちなみに、徳川家康にはまったく「その気」はなかった
ようです。自分が美男子とは言い難かったからかな?
っつーかどちらかというと彼は「熟女」好みだった
ようです。以上は非常に極めてどうでもいい情報でした。

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posted by PON at 21:00| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする