2013年08月15日

「永遠の0」百田尚樹

「永遠の0」 (講談社文庫) 
百田尚樹(ひゃくた なおき)著

さすが万人向けテレビの放送作家。
読みやすい文体。

作者は映画の公式サイトで
「この映画のテーマは「戦争」ではありません。
「人は何のために生きるのか」
「誰の為に生きるのか」を
 現代の人々に問いかけた物語です。


映画は2013年12月に公開するらしい。
監督は山崎貴氏、あのキムタクヤマトの監督だ。
ビジュアル的には安心できるだろうて。

あらすぢ
「娘に会うまでは死ねない、
 妻との約束を守るために」

そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を
落としたのか。終戦から60年目の夏、健太郎は
死んだ祖父の生涯を調べていた。
天才だが臆病者。想像と違う人物像に
戸惑いつつも、1つの謎が浮かんでくる――。
記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。

************************



別にモノを知っているから偉いというワケでない。
知らなければこういう本をキッカケに
考えていただければとっても結構な事で。

戦争=悪=ニッポン悪=自衛隊ハンタイ!

といった単純左巻き思考から
この小説をキッカケに、一人でも多くの方が離脱
もしくはプロ市民団体への協力を
思いとどまってくれたら・・
それでいいと思うのです。はい。

本屋さんおすすめ!と本屋にあったから
どんなものだろう、と読んでみたのだけども。

本の厚みの1/3くらいは
太平洋戦争のアウトラインを
もう1/3くらいは表題の通り「零戦」について
よく噛み砕いて説明している。
コンビニ500円本。孫引きで1冊みたいな
そんな海軍解説本みたいで
知らない人は面白いだろうけど。

基本は、昔の米ドラマ「ルーツ」みたいに
現代に生きる孫達のルーツ探し。
生き残った元海軍兵のじいさん達
(大会社社長からおやくざさんまで戦後の生き方は多彩)
から話を聞きながら、ジブンたちの
祖父さんを生きざまを追う。

この祖父がまた・・架空戦記あたりに
出てきたら、軍はじまって以来の
スピード昇進で元帥にでもなっちゃって
時代を変えてしまいそうな天才青年。
100%現代人の感覚を持つ
少々出来すぎなキャラだ。
でも舞台は太平洋戦争中のニッポンであり
そんな夢物語が起きるはずもなく
最期は特攻で死ぬ。

生き残りの話に耳を傾けて時代を追体験。
今でこそ、その辺で野良仕事をしているような、
じいさん、ばあさん世代が
戦中、戦後にかけ、いかに壮絶な生きかたを
強いられてきたかも、徐々に解ってくる仕組み。

それにしても小説だといわれれば
それまでだが、この孫姉弟はあまりにも
モノを知らな過ぎ。
弟は司法試験狙い、姉はフリーライター志望
という設定。特に弟の方、こういう奴が
司法を目指そうとすることはキケンである。
彼が特攻隊の話よりも前に
共産系方面に思想教育を受けてたら・・。
後に人権派弁護士とかになって
ドラえもんで死刑に立ち向かいそうだ。



もともと歴史教育って奴は、
「面白いな、もっと追っかけてみようか」と、
生徒に「きっかけ」を与えることが大義だと思う。

なのに受験戦争の手段の一つになり
学校側も解ってやっているのか解らんが
一学期終了の時点でまだ「聖徳太子」が
登場したりしなかったりなんてペースであれば
ただでさえ何かと忙しい3学期に
近代史にまでじっくり取り組めるわけがない。

さらに1960年代の学生運動の生き残りが
教師なって教育現場に潜伏。
勝手なスパイスを加えでもしたら・・
生徒としては、何かわからんし、歴史なんて
もういいや、ともなるだろう。

ま、どこかの国のように「国策」として
国家を挙げて「反日教育」「偏向教育」
しまくるよりは
まだ、単に「知らない世代」が生産される方がいい。
後から勉強する余地があるからね。
そんな「偏向教育」を受けまくった世代が
社会の主流となっている「かの国」をみるにつけ
ホントにそれは思う。

「高山」なるキャラが出てくる。
誰がどう読んでも「朝×新聞」の(自称)エリート記者。
彼は「911テロ=狂信愛国者=特攻隊員」
「新聞社=絶対正義=無知蒙昧な民衆の目を啓かせる存在」
と盲信する、香ばしい存在。
その彼が元特攻隊の大会社社長に
めちゃくちゃに論破されるところは圧巻。

間違ってもこの小説は、朝日系の文庫から出版されず
地上波初放送も10CHじゃないだろうな。

面白い評論ブログ
「日本は現場擦り合わせ」社会
「将棋と間違えて囲碁を打つ」
 ↓  ↓
http://renkonn.blogspot.jp/2013/01/0.html

山本五十六大将を必要以上に
持ち上げるつもりもないけども
小説内の囲碁好きな士官が言った
「将棋と間違えて囲碁を打つ」について。

山本大将は「将棋と間違えて囲碁を」
打ったんじゃなくて、将棋しか知らないのに
囲碁を打たされたんだと思うよ。

どのフィールドで戦うか
そもそも圧倒的な体力を持つ相手と
対戦するかしないか、それを決めるのは
政治家の仕事だ。



ところで、この小説が面白かった、という
方には・・

天沼俊さんの漫画
「戦空の魂」シリーズとか
入手しにくいかもしれないが
本宮ひろ志さんの漫画
「ゼロの白鷹」とかも
おススメいたします・・ご一読ください。



あ、松本零士さんの
「戦場まんがシリーズ」は
ジブン自身はあんまりお勧めしません。

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2013年04月18日

「8月17日、ソ連軍上陸す」大野芳

8月17日、ソ連軍上陸す
―最果ての要衝・占守島攻防記
(新潮文庫) 大野 芳 (著)

あらすぢっつーか内容
昭和20年8月14日・ポツダム宣言受諾、
翌15日 正午・終戦の詔勅―。
だが、戦争は終ってはいなかった。
17日深夜、最北の日本領であった
千島列島の占守島へ、
対岸のカムチャツカ半島から、突如として
ソ連軍の大部隊が来襲。悲壮な決意を
胸に迎え撃つ日本軍、突撃する戦車連隊、
上空からは敵弾が驟雨のように降り注ぐ。
終戦後に侵攻してきたソ連軍を相手に
日本軍の三日間にわたる死闘が始まった。
ソ連の北海道占領は、いかにして阻まれたのか。
知られざる戦争の全貌を浮き彫りにした
畢生の歴史ノンフィクション。

***********************

陸上自衛隊には
「士魂(しこん)」
という文字が砲塔に書かれた戦車がある。



この「士魂」というのは、残念ながら
一般的にはあまり有名で無いが、
軍隊の本来あるべき姿を
身をもって体現した栄えある部隊名なのだ。

http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/organization/sensha.html
陸上自衛隊第11旅団HPより

 「士魂」の由来. 旧陸軍戦車第11連隊は、第11の
 11(漢数字の十一)を武士の「士」( さむらい)と読み
 以後、士魂部隊と愛称しました。 この戦車第11連隊は
 昭和15年3月満州で創隊され、昭和19年2月、
 本土防衛作戦のため、北千島に転進、主力を占守島へ。
  8月18日、突如ソ連軍が不法侵攻を開始し、これを
 受けて立った戦車第11連隊は池田連隊長以下、
 指揮官、幕僚の過半数を失うに至るも、よく敵を
 水際に圧倒して、ソ連軍の野望を粉砕しました。

日本国がポツダム宣言を受諾。
戦争は終わったんだ・・ということが
既定の事実として、ようやく認識されたきた矢先。
東京だって大混乱中。
地方の守備隊がどうしたらいいか、
なんて全然指示があるはずもない。

更には一部の真面目な隊長などは、
早々に武装解除を始めていたり・・

折り悪く、前任者の占守島守備隊長は
占守島の備蓄物資(食料など)を
横流しするため持ち帰っていた矢先。
(当時の現場の悪しき慣例として、退職金代わりに
 転勤と引き換えにある程度の物資を
 持ち逃げすることが出来たらしい)

世間一般には、ポツダム宣言受諾の八月十五日が
終戦記念日とされているけど、
そんなタイミングの十八日、
カムチャッカ半島からソ連軍が攻めてきた。

あれ?戦争は終結したんじゃないのか?
まさに火事場泥棒

ソ連にしてみれば、第二次世界大戦は
終わっちゃうかもしれないが、
この後、アメリカとの冷戦が待っている。
自国(ソ連)海軍が太平洋に出られるように
少なくとも千島列島は抑えておきたい・・

そんなスターリンの勝手な思惑から
終戦したのに無理矢理、戦争がおっぱじまったのだった。



もともと小島の守備隊であり、戦力差は歴然。
それでも日本軍が戦ったのは、
ここでソ連の侵攻を食い止め、
千島列島の住人達が、本土に避難するまでの
時間を稼ぐためだった。

守備隊の死闘で、世界(主にアメリカ)が
ソ連のムチャクチャに気づいて騒ぎ始め
結局は、ソ連は北海道侵攻を断念。
避難民たちも逃げる時間を稼げた。

唯一の本土決戦といわれる沖縄戦も悲劇だと思う。

思うが、戦後の教育現場では、
なぜか沖縄戦の悲劇ばかりが取り上げられ
北で、ソ連が起こしてきた事
(満州や北方四島の戦い)について
あまり触れられず、現在に至る。

いわゆる反戦・平和主義者(要はプロ市民)の
そもそもの出発点が「共産主義」にあるからじゃないの?
など、PONなんか勘ぐりたくなる。

戦争なんだから、ズルイ卑怯などない、と
思いがちだが、それでもある程度のルールは
存在するものなのだ。

ソ連軍隊は貧農出身者も多く、
お世辞にも素行のよい兵士ばかりではなかった。
占守島侵略ソ連軍は
日本守備隊の基地で干していた、
兵士のフンドシまで強奪したらしい。
(フェチwじゃなくって衣類が貴重だった)

フンドシなんか笑い話で済むけど
ソ連軍は、一方で焦土と化したベルリンでも略奪集団と化し
また満州でもそうだったように、ドイツ人女性が
ソ連兵のレイプの標的になったとも聞く。



「士魂」の軍隊は、貧弱な装備で多大な損害を出しつつ
侵略軍の本土侵攻を阻止したのだった。
(かのルーピーは、北海道が拠点の癖に
 そんなことも知らないんじゃなだろうか?
 ひょっとしたら)

これはその貴重で良質なドキュメンタリー。

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2012年04月29日

「昭和天皇とその時代」河原敏明


昭和天皇とその時代 河原敏明 文春文庫

非常に面白かった。
先輩にもらった本なんだけど、かなり長い間放置した
いわくつきの本。

というのも、正直なとこ、どうせ旧態依然宮内省
ご推薦の皇室バンザイモノだろうと。
日曜あさ4:30とか、いったい誰が見るんだ的な
時間に放映している(と勝手に自分は思っている)
「皇室アルバム」とか、その手のテレビ番組、
いろいろ横槍が入り、結果、無機質でロボットのような
無条件お褒め上げ広報だろ、と決め付けていたからだ。

あらすぢっつーか内容
『天皇裕仁の昭和史』の完全決定版!
現代史最大の主役・昭和天皇の八十七年にわたる
日々を知られざるエピソードを交えて辿り、「昭和」
という激動の時代を描いた歴史巨篇

***********************

自分にとって昭和天皇とはほとんど歴史上の人物で
(晩年、新年挨拶会で国民に手を振る姿とか
 レッドカーペットの上で震える手で賞状を渡すすがたとか
 テレビで見た記憶はもちろんあるけれど)
そんな存在が急に人間としてリアルに浮き出てきた。

よくぞまあココまで、と思うほどイロイロとエピソードが
続く。多くの人間が、いろんな地位から天皇と
係わり合い、引退後、日記なり思い出話なりを出版して
ひと稼ぎしてる。
なんか、一般人はガラス越しや写真でくらいしか
目にしないパンダの観察日記でも読んでいるかのよう。
もちろんパンダ=天皇である。
やれ、あれ食べた、これは嫌い。こんなコト言ってた等々
天皇にプライバシーはないなあ。
この辺ちょっと可哀相。

当時の関係者が、文献を残して亡くなったから
20年以上経過したからというのもあるだろう。

・江戸までの宮中では、天皇の子供たちの生存率
 (成人するまでに生き残る確率)が半端でなく
 低いのが常識だった。例えば6人生まれても
 成人するのは1人だけとか。
 その理由としては、医学などの面で(薬ひとつにしても)
 非科学的な育児法がまかり通っていたから、
 親戚同士の婚姻の結果、血が濃くなってしまったから
 というのがあるが、実はそれだけではない。
 さすがにあまりデカデカとは書いていないけど
 宮中の女性たちの嫉妬(ネグレクトとか、病気のとき
 積極的に助けない、時には○殺もあった様子)
  明治天皇はその状況を非常に憂い、平民の子供は
 スクスクと育っていることに目をつけ、自分の子供を
 里子にだした。農家で6歳くらいまで育てられた皇族
 も多数。昭和天皇も、当時陸軍大将を引退して、
 清明で知られた政治家の家に預けられ、6歳まで
 育てられている。宮中ではサンマは下賎な魚とされて
 いたが、その大臣の家では普通に食べていたから
 昭和天皇はサンマが大好きだった。 
  それはそれとしても、やはり家族愛を知らないで
 育ったことに天皇は複雑なと思いがあったらしい。
 自分の子供(現天皇)は普通に親元で育てることにした。
 さらに、徳川将軍家だけでなく宮中にもあった
 「大奥制度」も廃止した。まあこれはキリスト教の影響も
 あったようだけど。

・20歳になって英国(西欧の国々)へ半年間の修学旅行
 兼外交訪問に出た。以後、昭和天皇が洋食好きになり
 英国びいきとなるきっかけとなった旅行だ。
 当時のことだから海軍の船で数週間かけての船旅だが、
 同行した帝国海軍大将が語るには、船内で田舎モン
 まるだしな食事作法の若者がおり、まさかと思ったら
 そのまさかだった。
  食事は外交に不可欠である。これから世界中の
 上流階級と食事することになる彼に、周囲にあれだけ
 付き人がいながら、誰一人食事マナーを教えるものが
 いない・・。宮中のそのあまりな無定見ぶりに絶望
 したらしい。結局、大将は船旅中、マナー特訓をしたという。
  昭和天皇(当時は皇太子)が海外旅行に出すなんて
 外国かぶれになるから反対、キタナイ外国に行かれる
 なんて・・宮中ではそういった反発が根強い時代。
 お付の人が、皇太子にマナー教室をやりましょう、
 そんなこと言い出したもんなら、自分がどうなるか、
 そんな役人根性が放置を生んだらしい。

・役人根性といえば、昭和天皇の背中にデキモノが
 出来、痛くて眠れない日々が続いたらしい。
 そんなの、天皇専用のすごい医者がいるんだろ?
 見てもらえばいいじゃん、なんて一般人は思う。
 実際はどうだったか、たしかに侍医はいたのだが
 彼は「内科医」であって、医者にお見せするか?の
 会議でも、自分は内科医であるからよくわからないが・・
 と、いいながらも、天皇が外科医にかかるのを強硬に
 反対するのだ。一応、玉体(天皇の体)にメスを入れる
 なんて恐れ多い、と主張するが、実は、麻酔薬が
 悪い方向に働き、天皇に万が一がおきたら
 あんた責任持てるのか?ということらしい。
 せいぜい昭和50年ごろの話である。
 肝心の天皇が痛がり、苦しんでいることなど
 そっちのけ。ただ保身だけのための反対。 

・昭和天皇と仲がよかった皇族が街の病院に入院した。
 天皇ともあろう地位の人が誰かを見舞いに行く場合
 それには「政治的意味」が含まれてしまうんだそうだ。
 つまり・・「天皇がわざわざ足を運ぶということは、
 見舞い相手の余命は長くないのだ」という死亡確定
 フラグが立つんだそう。
  クダラナイと思うけど、そういう外聞!をはばかった
 周囲が見舞いに行くことを反対。天皇はその意に反し
 ほとんど見舞いにいけなかったらしい。
 外聞とご意思は外聞が勝ってしまうのだ。
 この辺にも、宮内省の役人の行動は、結局のところ
 天皇のためでなく、自己都合であることがわかる。

・他にも、女性誌なんかじゃ散々書き散らかされたけれど
 美智子妃をめぐるイジメ。やっぱ壮絶だったみたい。

実に当たり前の結論なのだが、天皇も人間であり
怒りもすれば笑いもするし、ケンカだってする。
同じ「昭和天皇」には違いないが、それにしたって
若いうちと、70歳を越えてからの言動は違う。
(自分は生涯で憲法の規定を超えた行動を
 2回してしまった、あの頃は若かったからな、と
 ご自身で述べているくらいだ!)

・天皇機関説を世(主にマスコミと国会)が
 騒ぐほどにはぜんぜん気にされていなかったり
 2・26事件では怒りすぎた、あの頃は若かったからなと
 述懐されていたり・・

明らかに間違った行動もするし
宮内省なんかはひた隠ししたがるけれど、宮家、
周囲の付き人にだって嫌なヤツは大勢いる。
むしろ中途半端に天皇に近い人間ほど
嫌なヤツが多いようだ。



昭和という時代を87歳まで生き抜いた、一人の
人間記として非常に読み応えがあった。

マスコミ・国民・国会(軍)は都合のいいときだけ
天皇の威を利用、
勝手に行動しているうちは報告はいい加減で
まずくなってくると言いつくろってごまかし
最後は責任を取らずに死んで逃げる。
この国は、全く変わっていない。

天皇に戦争責任があったかといえば「あった」と
自分は考える。しかしながら昭和天皇は十二分に
その責任をお取りになって昭和を閉じたと思う。

文庫: 493ページ
出版社: 文藝春秋 (2003/07)
ISBN-10: 4167416050
ISBN-13: 978-4167416058
発売日: 2003/07

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2011年10月17日

「戦鬼たちの海」白石一郎

戦鬼たちの海―織田水軍の将・九鬼嘉隆
(文春文庫) 白石 一郎 (著)

九鬼水軍は日本初の艦砲射撃と揚陸戦を
実施したとされる・・らしい。へー。

簡単にいえば、大会社を一代で作り上げた
名物社長(信長)を、常に横から見ていた
現地採用社員(九鬼)が、支店長クラスにまで
出世する話。

あらすぢ
内容(「BOOK」データベースより)
織田信長が天下一統を志して伊勢、志摩の平定に
乗り出したとき、志摩の土豪から身を起こした
九鬼嘉隆(くき よしたか)は真っ先に
信長の麾下に馳せ参じた。信長の知遇を得て、
九鬼の運命がひらけた。文禄の役で織田水軍の
総大将として海戦に明け暮れた戦国大名の
数奇な人生を聞く
長篇時代小説。第5回柴田錬三郎賞受賞作。

************************

九鬼嘉隆は、ご存知織田水軍の武将。
水軍とは要するに戦国時代の海軍のことだが
当時、海で乱暴狼藉する連中は一緒くた
「海賊」と「海軍」の区別がついていなかった。

小説の中では、織田信長が
「織田海賊では聞こえが悪い、織田水軍にせよ」と
改名を命令していたりする。
(ここで「織田海軍」って思いついていれば
 さすっが時代の最先端信長さん!となるのだが
 それでは話ができすぎ・・)

戦国日本人の頭の中は
「海=自由な外界への出入口」ではなくって
「海=それ以上外に進めない壁」
と多分に思っていたようで

要するに、海など真っ当な武士が行く所でない、
陸で上手くやれなかった連中が
最後に吹きだまるところと考えられていた。

日本の陸の代々の権力者は、海にあんまり興味がなく
その重要性も、戦い方も理解していない。
信長も「ウチと仲のいい琵琶湖の
水軍を部下につけようか?」と
提案してきて、さすがに九鬼も
「海と湖では自ずと戦い方が異なりますれば・・」
と断っていたりする。

信長の提案は命令であって、本来ならば
不興を買ってもおかしくないところ。
そか、そんなもんか、と言ったかは知らんけど
信長もそれ以上、追求せずに九鬼に全面委任したり
それほど海の戦いを理解していなかった様子。
この頃の信長はまだ、陸の戦いでおおわらわ
だった(第一次信長包囲網で苦戦中)てのもある。

九鬼家というのは、先祖が200年前に
志摩地方に流れ着き、相当強引な手法
(戦争というよりは連続殺人に近い)で
志摩地域に勢力を拡大。地元の海賊豪族に
代々恨まれた一族。

九鬼嘉隆も、初めは地元の豪族同様、
日本の統一なんか微塵もなく、ただ一族と土地を
守るだけに汲々としていた田舎侍だった。
結局、守りきれず一族郎党で、志摩を脱出する
ことになってしまうのだが、一族郎党が全滅せず、
いざとなったら船で脱出するあたり、
非常に海賊らしくて、土地や名誉に
執着してしまうオカの侍とはメンタリティが違う。

嘉隆も地方豪族にしては合理的な男であり
例えば、当時の海の戦いで、船の櫓をこぐ人を
狙うのは卑怯、という海戦の暗黙のオキテが
あったらしいのだが、殺し合いに卑怯など無いと
平気で敵船の櫓から狙ったりしている。
だから九鬼家は嫌われるわけだが。

ちょっとだけ他より行動力があって
頭もよかった彼は発想を転換。
イチサラリーマン技術者(スキル「海戦」)
飛ぶ鳥を落とすイキオイの織田家に転職する。

九鬼家時代には、駆逐艦を維持するだけで
精一杯だったのに、信長は織田水軍の名に
恥じぬよう水軍を作れ!と戦艦を大量生産できる
金を嘉隆に一任する。その懐の深さと
任せたからには、結果を出さないと
追放されてしまう徹底した実力主義にも敬服。

嘉隆は、滝川一益の与力として織田家にて
織田家の集団戦法、目的のために手段を選ばず
ただひたすら織田家拡大に邁進する、
信長の部下達の働き、恐怖と欲で人を支配する
領土拡大手法を目の当たりにし
これまで自分達、地方豪族がやってきた事は
戦とは名ばかりの児戯に過ぎないこと、
あれほど強敵で憎かった、自分達を追放した
志摩の豪族達と後年、相対したとき、
彼らがまるで敵ではないことに気づくのだ。

このあたりの描写は見事。

九鬼嘉隆が、どんなに頑張ろうとも
結局オカの政治情勢にそれほど寄与することもなく、
内陸(というか地上)では史実どおり
本能寺の変があって関が原の戦いがあって
都度、翻弄される九鬼家。

海賊大名・九鬼嘉隆を、
戦国の世を颯爽と駆け抜けた男として
カッコよく描こうとしている小説なんだが
嘉隆が本家筋の甥っ子を、なんの落ち度もないのに
あっさり殺してしまうあたりに
史実だとすれば、やっぱこのヒト
根っからの海「賊」だわ・・と思った。

それと読んでいる最中、隆慶一郎先生の作品
「影武者 徳川家康」と
「見知らぬ海へ」を思い出した。
前者では息子、守隆の意外な活躍が
後者では嘉隆の海のライバルとして活躍?した
向井正重の息子、向井正綱が登場する。
(さてこれから正綱のカッコイイ戦いが・・
 というところで作者急逝のため、終了した作品)

今度、信長の野望(烈風伝)をやるときは
九鬼くんを大事にしようかな。



九鬼水軍が、朝鮮出兵で活躍しなかったのを
不思議に思っていたのだが、この小説で
なんとなく理解した。
それにしても、ムカつくぞ。脇坂安治には。
関ヶ原といい、抜け駆けの海戦といい・・。

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2011年09月27日

「戦艦武蔵」吉村昭

「戦艦武蔵 吉村昭」

戦艦武蔵 (新潮文庫) [文庫]
吉村 昭 (著)

吉村 昭氏といえば著作「陸奥爆沈」もそうだけど
結構、戦争にに詳しい小説家って勝手に思ってたが
彼自身がこの後書きにこう述べている。
長いけどざっくり転記する。

 戦争記録にほとんど関心がなく、戦争兵器の
 ことをずらずら書かれても、専門用語も多くて
 さっぱり。まったく創作意欲がわかない。

 そもそもは、昭和38年、友人のロシヤ文学者より
「戦艦武蔵の建造日誌」を借用したことから始まる。
 建艦にたずさわった長崎造船所の技師が
 米軍に回収されぬよう、秘匿していた
 大学ノート30冊にもおよぶモノ。
 しかしながらその紙面から、戦時中の
 あの異常な程の熱っぽい空気が吹き上げてくる
 ことに強い興味をいだいた。

 戦争を解明するには、戦時中に人間たちが示した
 エネルギーを大胆に直視するべきだ。そして
 そのエネルギーが大量の人命と物を浪費したことに
 戦争の本質がある気がする、そう思い至ったのである。

うーーん。それで書いちゃいますか、こんな貴重な本。

あらすぢっつーか内容
内容(「BOOK」データベースより)
日本帝国海軍の夢と野望を賭けた不沈の戦艦
「武蔵」―厖大な人命と物資をただ浪費するために、
人間が狂気的なエネルギーを注いだ戦争の本質とは
何か?非論理的“愚行”に驀進した“人間”の
内部にひそむ奇怪さとはどういうものか?
本書は戦争の神話的象徴である「武蔵」の
極秘の建造から壮絶な終焉までを克明に綴り、
壮大な劇の全貌を明らかにした記録文学の
大作である。

************************

一般民には、戦艦なんてどこが造っても一緒
要は、軍隊の基地で造るんでしょ?で終わって
しまうかもしれませんが、造船といっても
いろいろな方法があるんです。
一番艦「戦艦大和」は確かに一番艦なんで
海軍が直接指揮を取り、海軍造船所(呉)で造ったけど
二番艦、武蔵はいわゆる民間に発注したんです。
民間といっても三菱重工くらいしか造れないけどね。
なわけで、文庫の半分以上は、長崎の三菱造船所での
民間造船技師の奮闘が淡々と記述されている。

造る以上は、やっぱ民間はダメだ、と軍人に
言われたくはないし、これまでにない秘密主義で
造らねばならない。なんたって、会社の中でも
ホンの数名しか、自分が造った艦の名前すら
知らない状態。
今見れば、笑い話だがいろんなエピソードが。

長崎は外国人が多い。軍は彼らを最初からスパイ扱い。
外国企業が、採算が合わず港の近くから撤退すれば
その土地を海軍のフロント企業がすかさず買い取ったり
機密保持のため、造船所の周りを囲うことになり、
漁師が使う網(シュロ)を日本中から買い占め、
当時の漁師が訝しがったなど。
厳重管理している武蔵の設計図面が紛失したときの
軍の厳しすぎる取調べと、そのオチとか・・。

いろいろあって海軍への引渡しが無事終了。
エンジニア達は基地を振り返り振り返りながら去る。
彼らは既に弐号艦(武蔵)とは何の関係もない
 イチ民間企業の人間に過ぎないのだ・・


そして後半は、武蔵の戦記。
あれだけ大騒ぎしながら、軍はそして時代は
大戦艦を使いこなせず、来る日も来る日も無駄足。
そしてやっと実戦と思えば、それが運命の
シブヤン海でありました。

「武蔵」はフィリピンのシブヤン海で、
栗田艦隊として僚艦大和と共に奮戦するが、
結局メリケンのヒコーキに沈められる。
(レイテ沖海戦)ほんとに大山鳴動ねずみ一匹。

武蔵艦長は砲学の権威と言われた「猪口少将」
外国からはキャノンイノクチと呼ばれたらしい。

彼は自分の手帳に「武蔵はフルボッコになったけど
被害担当艦として他の艦は助かったから
良かった良かった」と慰めるように書き残している。
他にも・・
・武蔵にかぎらず栗田艦隊全般について
 対空戦闘がヘボい。乱射がひどく、
 遠距離から射撃をはじめて後追い射撃ばっかり。
・機銃はもう少し大口径のものを。当ってんのに落ちない。
・せっかくの主砲だが真っ先に測距儀が壊れたのは悔しい。
などと反省点を冷静に述べ、

・我倒れるとも、何ら悔いはない。
 我が国は必ず永遠に栄えて行くべき国なり。 
 皆様が大いに奮闘してください。
・当艦を失うのは極大だが、これにより敵が少しでも
 消極的になったんじゃないかと思わなくもない・・。
とシメている。



折角だから・・書いとくけど
大和と姉妹艦なんで同型艦の武蔵。
武蔵のほうが後からできた事や、
民間で造られたこともあって、艦内設備とか
豪華で指揮設備なんかもしっかりしていたらしい。
それに武蔵の犠牲をフィードバックしたため
沖縄特攻に向った際、大和は対空武装を
ハリネズミ化することができた。
キャノンイノクチにはなんの慰めにもならんが。


じじむさいキャノンイノクチ氏が紹介されてます。

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2011年09月26日

「日本海軍の興亡 戦いに生きた男たちのドラマ」

日本海軍の興亡―戦いに生きた男たちのドラマ
(PHP文庫) 半藤 一利 著

<あらすぢっつーか内容>
内容(「BOOK」データベースより)
日本海軍とは、いかなる歴史をたどった組織
であったのか。勝海舟による創始から、
日清・日露戦争の勝利で日本を世界の第一線に
押し上げた“栄光の明治”。軍縮条約に揺れた
“苦悩の大正”。そして、太平洋戦争の敗北に
より組織解体に陥ってゆく“悲劇の昭和”に
いたるまで、波瀾に満ちた興亡史を、代表的
人物の言動を中心にしながらドラマチックに
描き上げる。

************************

別に「ドラマチック」ではない。
あの時代のことを書けば自ずとドラマ性が増すのは
当然でして。

“栄光の明治”
“苦悩の大正”
“悲劇の昭和”


上手いね。帝国海軍の歴史(それはそのまま
戦前の日本の歴史でもあります)とは
まさにそういうことだ。
旧海軍が好きだからこそ「この辺どうにか
ならなかったのかよオイ!」といった
著者、半藤氏の気持ちが伝わってくる。

確かに、日清・日露戦争の勝利で日本を世界の
第一線に押し上げたのは“栄光の明治”だけど・・
・地方の犠牲と引き換え、軽工業(絹製品)で
 コツコツ稼いだ金で、すべて外国産の艦船を
 揃え、やっと勝った(武器が日本産ではない)
・諸外国には景気のいい事を吹聴し借金で戦争
 やっと勝った。
・もう限界・・そんな時に政治(外交)がしっかりと
 機能し、第三国(この場合アメリカ)に
 仲介してもらい、やっと勝った。

当時の当事者(明治の政治家や軍人)は、日本が
神の国だから勝ったとか、そんなファンタジーではなく
とにかく「やっと勝った」に過ぎないことを
充分すぎるほど理解していた。
けど、そんなことを諸外国や国民に言えるわけがない。
更に明治の人間は沈黙を美とする。
結果、現実が下の世代に伝わらず、景気のよい
上っ面の言葉だけが「真実」になってゆく。
「やっと」勝ったのではなく「強い」から勝ったになる。

軍縮条約に揺れた“苦悩の大正”
・米国は行き詰った日露戦争を停戦仲介してくれたほどで
 それほど仲悪くなかった。
・海軍が米国を仮想敵国としたのは、米国にウラミが
 あったとかではない。どこでも「軍隊」ってヤツは、
 オモチャ(武器)を買ってもらうため、予算のために
 どこかしらを「潜在脅威」として吹聴せねばならぬ
 モノ。それを後進たちはカンチガイしてしまった。
 いつのまにか米国を「仮想敵国」ではなく
 ホントの「敵国」と認識してしまった。
・軍縮条約とは、自国の軍備も確かに制約を受けるけど、
 底なしの国力を持つ国(米国)も制約を設けるわけ
 だから、考え方を変えれば無限に強くなる国を
 自分の土俵に置いておけることになる。
 これは、建艦競争で財布がスッカラカンの
 日本にとって実は有利なことだった。

太平洋戦争の敗北により組織解体に陥ってゆく
“悲劇の昭和”

英米産の鉄クズ、油、技術をもって、英米と
戦うってんだから、いやはやナントモである。


誰かその矛盾を指摘できなかったのだろうか?

正確にいえば、見通せる人間も中には居たが
そういった人間は、非主流派か、社会的に権限がないか
もしくは、頭は廻らないのに血の気だけは無駄に多い連中に、
後から刺される危険をおそれもあり、黙っていた。
反戦争派とみなされた軍人のもとには、血判状が送り
つけられたり、暴漢がストーキングしてくる時代だ。

余計なことさえしなければ、軍人or政治屋は
世間では立派な人ってことで誉めそやされ
料亭飲み食いし放題、愛人作り放題。
そりゃあ黙っていた方がオトク。

個人的に戦争には反対だし、負けるのわかってるけど
 そんなことオレの立場から言えるかよ!

 それに世論がそれを許さない」
当時の偉い地位にいたひとは
熱意の大小はあれ、俺は反対だったんだが・・と
似たようなことを言い残している。

いつの時代にも、個人レベルでみるとベターな選択を
重ね続ける人は存在するのに、最終決断できる地位に
たまたまバカが居ただけで、すべてが水の泡になる例が
ウンザリするほど本から見て取れ。

当時のメディアは「ラジオ」と「新聞」
その2大メディアが、あやふやな「民意」「世論」を
作り上げて社会を更に煽る。その方が売れるから。
「世論」なるものには気をつけたほうがいい、と
海軍さんの生き残りも書き残している。



結果を知っているから、偉そうなこともかける。
あの時代に自分がいたら、ジブンもその「世論」
なるものに同調していたかもしれない。
また、あの時代を教訓としてもなお、
今の政治・社会状況を見る自分の目は
正しいのか?いまだ迷う自分がいる。
不惑の年なのだがねぇ。

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2011年09月25日

「凡将 山本五十六」生出 寿

「凡将 山本五十六 生出 寿」

凡将山本五十六 (徳間文庫)  生出 寿 (著)
生出 寿(おいでひさし)

ワリと古い文庫。
自分のように戦史を中途半端にカジるヤツほど
陸軍より海軍の方がクレバーで、現代風の思考回路を持ち
山本五十六といえば名将で英雄であり
海軍の聡明さを代表する存在・・なんて頭から
決め付けていたりしがちだけど、この本は、
そんな風潮をハナから否定している。
読んでいて、いっそ小気味いいくらい。

あらすぢっつーか内容
内容(「BOOK」データベースより)
真珠湾奇襲作戦の立案者であり、またミッドウェー
海戦に惨敗した提督・山本五十六。
三国同盟反対、日米開戦回避に尽力した山本が、
連合艦隊司令長官を拝命するや戦争に踏みきったのは
何故か!?敵機の爆撃によるブーゲンビル島上空での
壮烈な最期が意味するものは暗殺か、それとも
自殺だったのか!?膨大な資料、証言をもとに
人間山本五十六の劇的な生涯を浮彫りにする
衝撃評伝。

************************

確かに自分も様々な太平洋戦争本を読んでいて

1)確かに山本提督は真珠湾攻撃を成功させたけれど
  その後の指揮が名将と称されるワリに奮わない
 (活動が鈍い)
2)ハワイでも、ミッドウェーでも、
  なんで自分が前線に出なかったのか?
3)足が遅く、燃費も悪い艦隊(特に戦艦)を
  毎度毎度、内地(呉)に帰らせてどうする?

この3つは常々不思議に思っていた。

とにかくズバズバとぶったぎり、それが
いちいちスジが通っているので読んでいて気持ちよかった。

確かに祖国は負けちゃったけど、
なにかないか、一瞬でも輝く人が誰でもいいから
いなかったのだろうか?
自分達がやったことを完全に否定したくないから
歴史家は英雄を作り上げるのかもしれない。

英雄なんていなくっていいのかも。
ましてそんな英雄が老醜をさらけ出すことに
なったりでもしたら。
山本五十六提督が他の「英雄」と違ったのは
晩節を汚さなかったことかな。
実際、日露戦争の英雄「東郷」提督は
太平洋戦争直前まで生き残り、見えないところで
余計な口を挟み、海軍に悪影響を与えてしまっている。

山本提督も人の子。山本五十六という男は要は・・

・見栄坊でエエカッコしい。
・体を張って(暗殺や陸軍との内戦もありえる状態)
 対米戦阻止に動かなかったのは、やっぱ怖かったから?
・いいトコ取り。所詮は軍人なんで、自分が一番
 美味しい所に手の届く所にいる(連合艦隊司令長官!)
 なら、やっぱ味わいたいじゃないですか?
・山本提督が好き勝手のあげくさっさと死んでしまい
 以後の海軍の行動は、残された後輩達の後始末といった感。
・根っからのギャンブラーなんで合理より自分のカンを
 優先し、いい人だけど自分の意見を否定する人には
 頑迷な独善者になる・・この点、自分が読んでて
 浮かんだのは、山本提督って長嶋カントクみたいだって
 こと。
・意外に?人を見る目が無い。黒島亀人の登用など。
 
これは別に山本提督だけに限ったことではないのだが
海軍全般に言えることとして・・

・自分の職掌以外のことに口を挟むやつは
 カコワルイとされる。
・カッコつけ屋。
 だいたい、クレバーな人間は先が見えるので諦めが早い。
・ダメとかNoとか言えない。自分はなんでもできる
 エリートだから。
・自分が傷つくことをおそれるので、国の大事と
 自分(海軍)の名誉を秤にかけなければいけない場面
 では自分を優先する。

このような行動様式をとる人間集団が
陸軍のような声はデカくて手も早い、
シンプルマインドな集団相手に諸事意見を
戦わせたら、そらズルズルいっちゃうかもなあ。
実際、そんな風になっちゃったし。

どうせヤルなら徹底的にやるべきだった。
敵の寝込みを襲い、さっと斬りつけてトドメもささず
あとは脱兎の如く逃げ出す・・というやり方では
日本海軍はただ卑怯とみられ相手国を怒らせるだけ。

提督は、開戦と同時にアメリカ国民ががボーゼンと
するほどの痛撃を与え、戦意を喪失させる。
それを狙っていたようだが、自らは出撃せず他人任せ
意志の疎通も万全とは言いがたく、結果は中途半端。
こんなあたり、彼が凡将と言われても仕方ない。
その意見には賛成。

歴史に「もし」は無いと、古来より言われるが
ダレがどう動いたとしても、結局、日本の負けは
確定だったよ。うん。
戦争してしまったことが既に失敗。

ま、後知恵と言われても仕方ないけれど、要は

山本五十六は海軍次官として政治的に高い見識があり
海軍提督として立派であり、個人として優れた所も
多々あった。しかし対米戦の所信を国策の中枢に
告白できなかったこと、ミッドウェーに敗北して
致命傷を受けたことは、いかに他が優れていても
帳消しにしてしまう。軍人が戦場で敗北したのでは、
他のなにものをもってしても償うことはできない。
(佐藤賢了)



あと作者の生出さんは、山本提督が部下を死地に送る
ってときに、懇意にしていた芸者の二号さんに
恋文を送るのはいかがなものか?とかまで
記述していたけど、それくらいはまあいいんじゃない?

文庫: 286ページ
出版社: 徳間書店
発売日: 1986/08

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2011年07月07日

「艦長たちの太平洋戦争」佐藤和正

艦長たちの太平洋戦争
―34人の艦長が語った勇者の条件 (光人社NF文庫)
佐藤 和正 (著)

戦死したからといって無能でもなく
有能だから生き残ったというわけでもない。
すべては結果。

ただ生き残っただけの人もいれば
(無事是名馬ともいうので、それはそれで
 スバらしいこと)
獅子奮迅の功績を挙げた方もいる。

昭和55年〜57年頃にかけて
まだ存命中だった旧帝国海軍の艦長達に
著者が直接インタビューをこころみた作品。
まさにその現場にいた人だけが語ることのできる
「戦場」というものを、非常に丁寧に理路整然と
ドキュメント化されており、読み応えがある。

・・が、語るにあたり、生き残りの艦長達が
スマートをモットーとする、元海軍エリート
であり爺様になってもカクシャクとしていたから
ということばかりでもあるまい。
取材時年齢で78〜85歳の方々。
正直、モゴモゴ言ってるだけで、ようワカラン人も
いれば、理想と記憶がゴッチャになっている人の
果てることの無い自慢話。
いずれも悪気は無いんだろうけれど
ウンザリする老人の繰言にぶつかる、なんてことも
ままあったんだろうなあ、と想像する。

そんな証言を辛抱強く聞き続け、エッセンスだけを
抽出して文にする作業ってのは、よほど海と艦が
好きな人でなけばできるもんじゃない。

あらすぢというより内容
内容(「BOOK」データベースより)
最前線において危難に際会しながらも持てる
最大の能力を一瞬に発揮して、勝利と栄光をかちえた
“海の男たち”を描いた人間物語。
戦史の空白を埋め、また覆して、歴史の一ページに
新たな波紋を起こす衝撃のノンフィクション。
幾たびも死地から抜け出し、生き残るべくして
生き残った34人の艦長たちの肉声を伝える
太平洋戦争の貴重な証言。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
佐藤 和正
昭和7年、北海道に生まれる。満州国新京特別市
(現在の長春市)で終戦を迎える。日本大学芸術学部を
卒業、河出書房入社。昭和37年より文筆活動に入り、
ノンフィクションを中心に執筆。平成3年10月歿

************************

こういう書き方をして果たして適切なのかどうかは
この際おいて置いて、非常に面白かった。

航空母艦「瑞鶴」艦長の証言(野元少将)

甲板から艦橋最上部の防空指揮所にいる艦長(自分)を
悲壮な面持ちで仰ぎ見、長いこと敬礼をしている
攻撃隊長に対して
「はやく発進して欲しいなあ、挨拶はあとから
 ゆっくりでいいのに・・」なんて思ったらしい。
なんと身もフタもないw
艦長が冷たいとかではなくって、センチメンタルな
気持ちを差し挟む余地も無いくらい
艦長職は激務なんだろうとしておく。

航空戦艦「伊勢」艦長の証言(中瀬少将)

中瀬中将は、エンガノ岬沖(フィリピン)海戦で
すべての攻撃を回避して伊勢を無事帰還させた。

敵機が急降下爆撃する際、3千メートル上空から
ジェットコースターのように急降下ルートに入る。
そうなると飛行機のコースは変更が効かなくなるので、
タイミングを見計らって舵を切れば、そうそう
あたるモンではないらしい。

しかも爆弾攻撃をすべて「取り舵」で回避。
「取り舵」を取り続けた理由は特になく
「トーリカージ」だと言いやすかったから。

後に、攻撃してきた米海軍の猛将バルゼーが
「老練なる艦長の回避運動により
 ついに一発の命中弾を得ず」と悔しがったらしいが
この中瀬艦長。それまでは陸の人事部担当の
エリートで、直前にいきなり艦長に任じられたという
実戦は初の新人艦長!だったのである。

先輩にノウハウを教えてもらい
忠実に実行しただけだと謙遜する。

Ise1944.jpg
両艦とも生き残ったわけだから伊達ではないな。
しかし、相手が戦艦部隊だったら轟沈してたろう・・。

航空戦艦「日向」艦長の証言(野村少将)

ちなみに姉妹艦「日向」の方は「面舵」のみで
逃げ切った(魚雷が来たときは話が別)

潜水艦の話

真珠湾攻撃では、真珠湾から逃げ出した敵艦を沈めるべく
事前に潜水艦をハワイ周囲にばら撒いて待機させたんだが
結局、米空母には逃げらたままだし、いいトコまるでなし。
潜水艦群はそのまま帰港している。

マンガ、沈黙の艦隊を読んだ方ならご存知だが
海中には、深度によって温度差があり
潜水艦がソナー(探知音の変化で敵を見つける装置)で
敵艦を探査しているつもりであっても
音波がその温度差の壁によってあらぬ方向に行ったり
吸収されてしまったりと、海中の壁の存在を
知らないと、敵艦なんて探せっこないのだ。

事前演習では、何時から何時頃、このあたりの海域に、と
だいたいは敵の出現をヨソウできるけども
相手はだだっ広い太平洋。
いつも潜望鏡をあげてずっと見ているわけにもいかず
かといって浮上はできないから、沈んだまま。
んで、頼りのソナーも敵を見つけられない。
帝国海軍の潜水艦が沈んでいる上を
けっこう頻繁に敵艦は通過していたのである。

これは潜水艦部隊が怠慢だったとかいうよりも
当時の日本海軍は、潜水艦を造って動かすことはできても
太平洋戦争をはじめるまで、今でこそ常識の
戦争ノウハウを持っていなかった!のだ。

敵機からの爆弾回避術も
潜水艦の戦法も
実戦の中から艦長たちが習得したに過ぎず
戦前には研究も演習もなかったらしい。

もっている兵器は一見立派だが
ビックリするほどアナログで
手探りな戦争だったということ(これは日米問わず)

駆逐艦「秋月」艦長の証言(秋元大佐)

この艦長は、駆逐艦「霰」(あられ)
(霰(あられ)だの霞(かすみ)だの、個人的には
 なんか自分の船がそういう名前なのは嫌だなあ)
にも乗っていた。両方とも沈められてしまった。
霰のときは、船と共に沈んだが偶然命を拾った。

二度目のとき(秋月)
「私はね、船と運命を共にしようと
 艦橋に残ってましたよ。一応ね。儀式ですからね
 ・・けれど航海長も残るという、このままでは
 彼らも死なせてしまうことになる、で脱出
 したわけです。」
秋元大佐・・正直すぎ。好きですが。

駆逐艦「有明」艦長の証言(吉田大佐)

トイレのとき以外は、大抵、艦橋にいたという。
部下というものは上司がいないときには
やはりどこかで油断(無意識の手抜き)をするから
という吉田艦長の信念に基づく。
飛行機75機VS有明一隻とか
すんげーバトルも生き延びたが、そんな有明も
次の艦長になってから
あっさりと沈んでしまったらしい。

この他にも、状況のヤバさに応じて
いくさ準備(やることが複数ある)→総員配置
→戦闘用意→戦闘、と段階を踏むのが海軍の規則であったが
そんなんでは敵襲時に間に合わないと判断。
規則を無視して常に戦闘準備、即応体制をとらせ
生き残った艦長。



潜水艦「伊四十一」艦長の証言(板倉少佐)

「長官を殴った一少尉が潜水艦長として
 戻ってまいりました・・ウヰスキー角瓶の話」
いい話なんですこれが。
 軍記モノの小説で使えるねたです。

・・もう一度読みなおすことにします。

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海軍大学を卒業した正式な軍人さんが
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2011年01月14日

「直江兼続 戦国史上最強のナンバー2」外川 淳

直江兼続 戦国史上最強のナンバー2
(アスキー新書 87)
[新書] 外川 淳 (著)

職場の先輩に借りました。

<ないよう>
内容紹介
NHK大河ドラマ「天地人」の真相!
頭脳明敏、容姿端麗― 豊臣秀吉、徳川家康を
魅了した「愛義の宰相」の実像とは?
豊臣秀吉の死後、天下統一を狙う徳川家康に対し、
「直江状」を持って主君上杉景勝とともに
抵抗するも、関ヶ原の戦いに敗戦。会津120万石
から米沢30万石に減封されるという未曾有の
危機に際し、「上杉」と言うお家存続のため
兼続が打ち出した経済政策とは?米沢藩発展の礎を
築きながら、自身の死後、直江家断絶の道を
選んだ男の生き様を描きだす!!

************************

中身は非常に正統派の歴史本でした。
「信長の野望」や「花の慶次」あたりでで
戦国時代を知った自分のような輩が
直江兼続について知識を深めたければ
良い本だと思います。
文体も抑え目で、正統派の説だけが
淡々と書いてあります。

ただ、頭脳明敏、容姿端麗なんて
必要以上に持ち上げられてますと、
直江兼続ってそんなに凄い人だったんだろうか?
なんてギモンが沸々と。

いや、戦国時代に無茶苦茶な先代(上杉謙信)
から領土を受け継ぎ、曲りなりにも
守り抜いたということは、もちろん不肖PONに
できるはずもないんで、凄いひとなんですが
(戦国の世に名前が残っている人は
 それなりに凄いですよそりわ・・)

ま、それは棚上げいたしまして、ですねー。
ここでいう「凄い」人ってのは
信長の野望的ゲームレベルでの評価ってことです。



>「直江状」を持って主君上杉景勝とともに
>抵抗するも、関ヶ原の戦いに敗戦。会津120万石
>から米沢30万石に減封されるという未曾有の危機

仮にも120万石の宰相だったのなら
加賀前田藩の様に、逃げ切ることこそ
肝要だったように感じられて。
戦っても最終的な勝利は得られなかったし。

「義」に殉ずるとかいうけども
「義」とか「意地」とかって結局、高くつく。
お腹もふくれないし。

そういった眼から見れば「伊達政宗」
彼は凄いよ。うん。
Hey Guys! Ready Go!



兼続自身、そんなこと解っていたから
>自身の死後、直江家断絶の道を選んだ
のだろうな。

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2010年10月21日

『篤姫』と島津・徳川の五百年〜

『篤姫』と島津・徳川の五百年〜

「『篤姫』と島津・徳川の五百年〜
  日本でいちばん長く成功した二つの家の物語」
八幡 和郎・衣代(講談社文庫)

三色古本屋で100円だったんで
購入するも、即後悔した一品。

夫婦で書いたらしいヘンな本。
これはひどい本ですね。
あの当時の篤姫人気に便乗しただけ。

あらすぢ
内容(「BOOK」データベースより)
幕末に島津斉彬の養女として、将軍家定に
嫁した天璋院篤姫。徳川と島津の雪解けのように
言われる縁組だったが江戸期の徳川島津関係は
関ヶ原の遺恨による敵対関係では、
決してなかった!?両家の創始から現代まで、
著者ならではの斬新な論で
数多くのエピソードを鋭く紐解いてゆく。
歴史ノンフィクション。

************************

学研の歴史本とか、山岡宗八文庫とか、PHP文庫
とか、とにかくそのあたりの書籍から孫引きして
一冊の本に仕立てただけの本。
そんで当時の「大河」では「篤姫」をやってたんで
最後に付け加えてみた、やったYO時流に乗ったじゃん!
・・そんな本。

「『篤姫』と島津・徳川の五百年〜
  日本でいちばん長く成功した二つの家の物語」

『篤姫』なんて表題はあってもなくっても一緒
その姿勢にすべては現れている。駄作。

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著作者夫婦プロフィール
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2010年08月13日

「日韓がタブーにする半島の歴史」室谷克実

「日韓がタブーにする半島の歴史」

日韓がタブーにする半島の歴史(新潮新書)
室谷勝実 著

著者の室谷 克実氏は 元時事通信社記者。
ソウルで特派員の経験が長かったひと。

この本も「嫌韓本」のカテゴリに入ってしまうだろう。
読みたい人は率先して読むだろうし、そうでない人は、
「いかにもネトウヨが飛びつきそうな、半島に対して
 悪意に満ちた本で、こんなの読んでるってことは
 日本民族は歴史を捏造し、まだ反省していないんだ
 ああ恨めしい!!」
などと、あわれ華氏451の対象になりかねないそんな本。

それにしても哀しい民族だ。正直わからん。

あらすぢ・・というか内容
内容(「BOOK」データベースより)
古代日本は朝鮮半島から稲作などの先進文化を
学び、国を発展させてきた―という“定説”は
大嘘である。半島最古の正史『三国史記』には、
新羅の基礎を造ったのは倭人・倭種、中国の
『隋書』には、新羅も百済も倭国を文化大国
として敬仰していたと明記されているのだ。
日韓古代史の「常識」に異義を唱え、韓国の
偏狭な対日ナショナリズムと、日本のあまりに
自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識
を提示する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
「時事解説」「時事評論」「地域づくり」各編集長。
2009年定年退社(本データはこの書籍が刊行された
当時に掲載されていたものです)

************************

小説、銀英伝にも
「彼は報告書を信じたのではない。
 信じたかったのである」
なんて一説があるけれども、

読みたい人は探してでも読んで信じるだろうし
そうでない人は強制されたって読まない。

実際、自分にはこの本の内容が、正しいのか
間違っているのか判断できるだけの
知識も方法すら持っていない。
ネット全盛の情報化社会に生きている
ひとりとはいえ、つまりはその程度なのだ。

でも自分はこの本の内容を信じる。
文体を抑え、公平に記述するよう努めているように
感じられ、好感が持てるのもポイント高。
(本の後半は、それまで我慢した分が爆・・)

ひとまず、教育をなめてかかるとオソロシイ事
悪意を持って教育に従事すると、修正のキカナイ
酷い未来が待っている、それはよく解った。

1)かの国民は国策として「漢字」を教わらなくなった
→漢字で書いてある本が読めない世代が大多数に。
 国民を漢字から遠ざける政策。

2)ネット全盛とはいえ、サイトにアップしてある
  古文書も、大学が発行した原典とされる古文書
  既に悪意ある(もしくは国家に忠実な)学者の
  手によって改ざん、国民に見せたくないところは
  ページごと削除している有様
→改めて研究したくとも一次情報も信用できない

3)捏造の歴史教育をホンキで信じてしまっており、
  そんな世代が教職員、学者、政治家、報道者になって
  すでに韓国社会で活躍している
→悪意はなく、それが「ジョウシキ」になっている。
 日本人が徳川家康が関が原の戦いで大勝したことに
 なんら疑いを持たないように、竹島は独島なのである。
 彼らからすれば。

4)韓国には徴兵制度がある。軍隊内の教育
  誰もが自国に都合のいい「歴史」を学ばされる。
→軍なんで反論は許されない。洗脳に近い。
 これがすべての世代にわたって行われるのだ。

5)「右翼」勢力はもちろん半島にも存在するため
  まじめな学者が公平な研究により、たとえば
  半島に不利な結論を学説としてしまったら最後、
  彼の身に危険が迫る可能性が。
→ゆえに沈黙もしくは転向。主流になれない。

6)歴史認識の不幸は韓国だけの所為でもない。
  日本の戦後の歴史研究は「皇国史観」(戦前の
  軍事国家教育とか)を否定
する作業から始まる。
→戦前に威張っていた歴史研究者はナリを潜め
 中にはマルキシズムを信奉する学者なども出現
 右に偏りすぎた日本の歴史研究のハンドルを
 戻そうとして今度は左に傾いてしまった部分もある。
 (いわゆる自虐史観

7)半島や日本よりも古い歴史を持つ中国の
  歴史書
(当時の公式文書に相当)をひもとけば
  半島のキロクは韓国民族および為政者にとって
  都合の悪い、もしくは読んでいて情けなくなる
  キロクしか出てこない。しばらく経って、
  半島でも歴史文書「三国史記」が作られるように
  なった(その頃はまだ歴史の捏造が少ない)ので
  詳細に読み解いても、やっぱり悲しい事しか
  書いていない。
→ただでさえプライドが高く僻みっぽいお国柄。
 そんな民族をまとめるには歴史を捏造するしかない。 
 国威発揚のためにも。かの国の政治家(当時は軍人)
 がそう考えてもフシギじゃない。
「現代韓国的儒教精神」からみてもそんな歴史は
 受け入れがたい。

************************

まあ、自分もこの本に影響を受け
実際に自分が調査したわけでもないのに
この本を読んで「なるほど」と思い
この著者と内容を信じようと思ったわけで。

ベクトルが違うだけで、韓国の民衆が
日本は間違った歴史認識に動かされ
しかるに日本海は東海である竹島は独島なのである
日本、それが何故わからん!!うきーッと
騒ぐのと根は一緒。

それだとこの本を読んで溜飲を下げ、
各地で受け売りウンチク披露をし、
これだからあの国は・・とバカにする。
かの国のネチズンwがやっていることと
たいして変わらない・・と思うのである。

「自分は正しい。間違っているのはアイツだッ」
凝り固まってしまっている輩には
何を言っても悪意にしか取ってもらえない。
ふう。



とりあえず、この本からは
歴史を捻じ曲げた「崔南善」なる韓国の文学者と
オインク(OINK〜Only in Korea の略で、
大韓民国でしか起こりえない出来事という言葉)
を覚えておくとよいかと。

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忘備録として書いておきます・・
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2009年08月22日

「最後の伊賀者」 司馬遼太郎

「最後の伊賀者」
司馬遼太郎 講談社文庫

この本なんかオフィスビルのゴミ捨て場で拾った。
どこかの会社の内勤のおじさんが捨てたモノ
なのかもしれない。読むにはかまわないが
外装は既にボロボロ。三色本屋もさすがに
買い取ってくれないだろうなァ。

忍者モノ短編コレクションかと思いきや
別に忍者だけでなく司馬遼太郎短編集でした。
短編は長編とは別の意味で作家の力量が
問われる分野ですね。

なかには、司馬氏が何でこの人をセレクト&
このエピソードを切り取ったのだろう?
ってのもあるけれども、
月並みな言い方をすれば、司馬先生の案内で
安全無害なタイムマシンの窓から、歴史人物
(あるいはそんな人もいたであろう)の人生を
のぞき、無責任に楽しむ・・そんな感じです。

・下請忍者
・伊賀者
・最後の伊賀者
・外法仏(げぼとけ)
・天明の絵師
・蘆雪を殺す
・けろりの道頓(どうとん)

あらすぢ
内容(「BOOK」データベースより)
驚異的技能と凄じい職業意識を持つ怪人たち、伊賀忍者
はいかにしてつくられどのように生きたか。城取り、
後方攪乱、探索密偵等、戦国の武器として使いちらされた
危険な傭兵、詐略と非情の上に成り立つ苛酷な働きが、
歴史の動きに影響を与えた不思義な人間たちを、自在に
描く短編等、魅力溢れる7編を収録。

・下請忍者
「もともと刀術などは別に神秘的な術でもなんでもない。
 反射能力というという素質の上に腕力があればいい。
 あとは練習によって敵よりも早く刀を使えればいい」

 忍者には「上忍」と「下忍」という階級があり、各地で
 大名の雇われ情報工作員で金を稼いできたのは下忍で、
 上忍(と老いた下忍)はその上前をはねて生きていた。
 一度下忍になってしまったら、一生下請で終わる。
 そういう「しきたり」を嫌がり「抜け忍」になるものもいる。

 「抜け忍」には壮絶な制裁が待っていると、現代人でも
 知っているが、多分にイメージ先行なようである。

 確かにそういう一面もあるけれど、実際に、制裁する
 方もされる方も、本気になって制裁を実行したら
 下手をすると共倒れ。メリットは一つもない。
 それに腕のいい忍者は、そうそう仕立てることも
 できないし、上忍にとっては飯の食い上げだからだ。

 忍者だけでなく戦国の庶民はそれでなくても「したたか」
 表向き、裏切りは「死」、となっていたとしても
 その実、いくらでも逃げ道は存在するモンなのである。

・伊賀者
「みずから魔性であらねばならぬ伊賀者が
 神仏を祈るようになれば、ついに間忍(しのび)の術は、
 伊賀から地をはらって亡びるときがくるだろう」

「城館で、女をさがす。それと盗みだけが、この精神の
 奇畸児どもの楽しみであった・・江戸時代には淫と盗を
 自戒したとあるが、真実の戦国忍者にはそういう後世の
 儒教趣味はない」

 忍者という異能の集団の里、「伊賀」。
 忍びの術そのものが、人間性と常識を捨て去った上で
 はじめて手に入れるものであり、彼らが信じられるモノは
 忍者業界独特のオキテと、それに裏打ちされた「金」のみ。
 であるから、忍者業界そのものがひとつの宗教であり
 そんな業界に、外部の邪教が浸透したとしたら・・
 ダブルスタンダードによる業界の崩壊に繋がりかねない。
 主人公の下忍が、次々と降りかかる火の粉を払ううちに
 行き着いたコトの真相と、彼の運命を描く。

・最後の伊賀者
「伊賀の叛骨(はんこつ)」という。叛骨といえば
 ていはいい。幼児から人を猜疑する機能のみを育てられ、
 妻子も持たず、あるじに仕えた伝統も経験ももたない
 彼らは人の畸形であったろう・・」

 忍者とは精神的に畸形の集団であり、ひとりずつが
 独立した自営業者ともいえる。戦国の世の終焉により
 江戸幕府が彼らをサラリーマン化しようとしたことに
 対する最後の伊賀者の抵抗とは・・。
 という話。
 頭悪いね、というか精神的に畸形(社会的に適応できない)
 に育てられてしまった忍者の社会に吸収される様が描かれる。

・外法仏(げぼとけ)
 なんか結構大変・・だね。祈祷合戦。

・天明の絵師
「今でこそ与謝蕪村は近世の画聖と言われるが、当時は
 俳人蕪村の手なぐさみ程度にしか思われていなかった。
 「首くくる縄切れもなし年の暮」
 という俳句をつくって年末に門口に張り、ようやく
 債鬼を追っ払うような生活をしていたのである」

「戯作者め・・」
 呉春も上田秋成を軽蔑していた。
「物を書く男などは、自分の独断(ドグマ)にあてはめて
 世間や人事を見ている。呉春は秋成の「雨月物語」を
 読み、その想像力には感心していたが、現実の秋成の
 想像力とは、なんと陳腐でありきたりで通俗的なの
 だろう・・」
 
 何でもそれなりにこなすが、やることすべてに心が
 こもっていない、器用貧乏の見本のような若者、呉春が
 絵で飯が食えるなら・・と気のいい与謝蕪村に弟子入り
 する。 

 いろいろあって途中から、やはり器用な呉春は応挙派に
 乗り換える。その円山応挙の話が面白かった。彼は写実
 主義を世に広め、上手い絵=リアルに写しとることと
 思っている素人には圧倒的な人気を誇っていたが、絵は
 精神であるとする文人画の連中からは、俗中の俗とバカ
 にされていたらしい。

 応挙が、野馬が草を食う図を描いた。ひとりの農夫が
 それをみて・・「まるで生きているようだが、ただ一つ
 本当の馬とちがっている。馬は草を食うとき、草の
 尖(さき)で 目を傷つけぬようにかならず目をとじて
 いるものだがこの馬は目をあいている」
 応挙は感心して農夫に謝し、さっそく目をとじた図に
 書き直した。それが円山派の本質である。

 農民と馬鹿にすることなかれ。現場の風景は現場の人間が
 一番良く知っているといういい例。

・蘆雪を殺す
 やはり円山応挙の弟子であった蘆雪の話。
 エキセントリックな小心者である蘆雪の一代記?

・けろりの道頓(どうとん)
 道頓っていうから、忍者の「伊賀崎道順」の話かと
 思ったが違ってた。先日23年ぶりに発見された
「ヘドロカーネルサンダース像」が沈んでいた、
 あの「道頓堀」を切り拓いたヒトの話である。

 不思議な余韻を残す作品。読み終わったあとに
 道頓堀の濁った水を眺めてみるのも一興か。

面白かった。さすが司馬遼太郎作品(→何様w)



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2009年08月19日

「帝都東京 隠された地下網の秘密」秋庭 俊

「帝都東京 隠された地下網の秘密」

秋庭俊 新潮文庫

「政府というのはウソをつくのも商売のうちらしく
 政治家も官僚もよく
 「寝た子(=国民)を起こす必要はない」という。
 これからなにかをするは、必要な手順を踏むしかない
 が、何も知らないことまで教える必要はない。
 黙っていることはウソをつくことにはならないのだ・・」

首都高や地下鉄が、たとえ一部、堀の端っことはいえ
皇居の敷地内を通過していることが、昔から不思議
だった。戦後、民主化がなされたとはいっても
今以上にまだまだ「皇室」やそれに類する崇敬の念を
持つ人達も多かったはずで、政府中枢ほど、そういった
人間は多かったのだと思う。なのにそのルートを選定
し、許可がでて、実行に移した・・。

首都高や地下鉄といった土木工事は、東京オリンピック
のために開発が集中し、政府中枢も国威高揚とその
イケイケ気分の中で、つい許可をだしてしまったのかな?
と、PON自身は適当に考えていたのだが、違ってた。

地下道は戦前からあったのである。
おそらく最初の目的は、VIPの移動・避難方法確保
のために。

************************

あらすぢ
我々は、果たして東京の真実の姿を知っているのか?
眼に見えぬ地下網の実態は、「帝都」時代から厚いベールに
包まれたままではないのか?限られた資料を細大漏らさず収集、
そして取材、分析することによって、地図には記載されない
地下鉄の存在が炙り出され、あるはずのない大地下網の存在が
明らかになってゆく。我々に残された最後にして最大の謎に
挑む、ノンフィクションの傑作。
内容(「BOOK」データベースより)

************************

作者が疑問に思ったものに、新規開通したとされる
地下鉄の駅構内には、昨日今日作られたとは思えない
年季の入った壁が露出していたり、ある日、安っぽい壁が
取っ払われ、その奥に地下施設が「完成」という名の下
それこそ唐突に現れた、なんて経験からだという。

戦前の地下鉄(都心の地下施設)といえば「銀座線」
くらいなもので、それまで東京の地下には何もなかった
というのが、政府、営団地下鉄(現東京メトロ)、
土木業界および日本の歴史の常識だけれども、
作者が持った、ホンのちょっとした疑問から調べて
ゆくうち、東京の地下は、トンネルだらけであった
ことが明らかになった(と作者は書いている)

第一次世界大戦で、飛行機が武器となりえる事が
明らかになり、世界最強海軍で守られているはずの
世界の中心、ロンドンでさえ、ドイツ飛行機による
空襲にあった(といっても、当時の性能では爆弾
数キロだが)これは、当時の為政者にかなりの衝撃
をあたえ、帝都の宮遇にそんなことがあっては
ならない・・てんで、関東大震災による帝都復興
という題目の元、ガンガン、トンネルを掘りまくった
らしい。それも市民には内緒で。

大正デモクラシーとかいわれても、データや議事録
の改ざんは当たり前。今よりも一層、市民には
お上のやっている情報が得られず、また「首都を守る」
という大義から、当時の政治家と官僚、実業家は結託。
議会の目をくぐりぬけ、時に「地下鉄工事」というのは
「下水道工事」という別の言葉で言い換えられることも。

お役所だけが勝手に使用している言葉がある。
「街路」もしくは「道路」。その言葉から
我々一般市民が想像するモノといえば
片側3車線くらいで街路樹が並ぶキレイな
大通りである。それは間違っていないのだが
お役所の概念でいえばコレだけではない。
「街路」もしくは「道路」には、道路、歩道
地下道、街路樹まで含まれるのである。

だから戦前の役所資料に「(仮)5号街路計画」なんて
計画があったとすると、市民を立ち退かせて環八道路
みたいのを造って土建屋を儲けさせているんだな・・
と思いがちであるが、しっかりと予算も取り、実際に
工事したらしいのに地上にはまったくその道路がない。
何十年間も計画中とされる道路(街路)なんてのが
実際に、たくさんあるのだそうだ。

戦前といえど、さすがに金のことなればシビアなので
まっとうなルートで道路予算審議にて了承されるわけだが、
了承されさえすれば、その後、計画が実現しようと
しなかろうと、何とでも説明できるのである。
作者の研究による当時の議事録では、政治家などは
巧妙に「街路」という言葉でたくみに説明してたりする。
竹下元首相ではないけれど「言語明瞭意味不明」って
奴である。
少なくとも嘘はついていない。
その代わり本当のことも言っていないが。

中にはワザとかどうかは判らないが「街路」という
言葉で「地上の話」と「地下道」を混同して、よく
判らないままにしてしまう人や組織もあったとか。

今も昔も、混同してしまうのはマスコミであり、
すべてを知った上で巧みに使い分けるのが政治屋。
役人や軍隊は、すべては国のためと口を閉じ
時の気骨ある「設計者」だけが、真実(東京の
地下は昔からトンネルだらけなんだよ!)という
メッセージを、業界紙や「東京市制史」とか
「東京の建築100年」とか、そういった、だれも
読まないような本に織り込んできた、という歴史。

そんな裏ワザを駆使して政府だけの秘密のトンネル、
緊急脱出路、地下道路もしくは政府高官や官僚のシェルター
としてガンガン掘られたとされる。
軍が力を持ち始めた昭和初期には、いよいよ加速
軍事独裁だからほぼ好き勝手。戦争中ともなると
ますます加速する。
戦後の軍消滅により、地下は迷宮と化してしまった。

そんな「地下道」の有効利用、それが民間の地下鉄
なのである。時々思いついたときの、政府専用地下室
もしくは地下鉄の開放。それが1998年の丸の内線
唐突な西新宿駅開業のようなコトにつながったりする。

あんまり金はかからない。既に完成しているからだ。
その代わり鉄道としては、結構無理がある。
鉄道建設は既に空いている地下室と地下室をトンネルで
結ぶ工事であるから、鉄道としては不自然なルートや
無理なカーブが続く。東京の地下鉄がやたらと線路を
きしませて走っているのもこの辺に原因がある。

かの大江戸線が開通するときも、地下鉄関係OB
だかが「昭和の宿題でしたから・・」と口を滑らした
こともあったらしい。

古来より、陸軍の仕事の半分は「トンネル掘り」
揶揄されるくらい、土木工事が大好きな団体。
大本営移転計画のあった松代や、硫黄島などの
大トンネルのような例が、実際にあるのに、帝都に
何もないのはおかしくないか?ってこと。

作者は、戦前の政府ならイザ知らず、戦後の政府も
その負の遺産を引継ぎながら、しかも市民に内緒で
コトを行っているのがどうにも許せないようだ。
(政府が専用地下鉄を持つことについては
 反対していないが、市民に隠し続けるという
 その姿勢は、民主主義の敵ではないかと)

この作者は、かつてどこかの記者だったようだが、
残念ながら今一歩のところで、司馬遼太郎にはなれない。
このヒトの「文」は非常に読みにくいのだ。

司馬遼太郎氏ならば、歴史小説を書く前に、学者も
舌を巻くほどの文献調査を行う。それは秋葉氏も
同様なのだが、司馬氏であれば、その歴史に
縁の深い著名人の人生も組み込み、その人生を語る
中から、日本の歴史を読み応えある小説にしてゆく。

それでも折につけ、土木設計者の友人やら地下業OB氏
などとの会話部分もあるのだが、これがまた何の説明も
なく、唐突に挿入されているため、作者が手に入れた
資料を解説をしているのか、推量しているのか、はたまた
単に回想なのか、いまいち判然としないのである。
アタマのよい読者ならば、ここまで書けばお解かりに
なるはず・・って、

わからんよ!

読者おいてきぼりで、この二人が地下網のなぞを
またひとつ暴いた!と勝手に大盛あがりなところは
今は亡き「マガジン」のキバヤシとその一族の会話
みたいで微笑ましくすらなった。



面白いが、とにかく文が読みにくい
(読者にわかってもらおう、とする意図にかけてる)
のが最大の難点。



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2009年05月12日

「羆嵐(くまあらし)」吉村昭

「羆嵐(くまあらし)」吉村昭 (新潮文庫)

PONのひとりクマブームに影響を受けた
職場の先輩が早速購入、貸してくれました。

羆(ヒグマ)が嫌いになりましたよ。
北海道なんて行きたくないよう。
行く機会ないけど。

あらすぢ
北海道北西部の天塩山麓、苫前(とままえ)郡
苫前村三毛別(さんけべつ)。惨劇は、この村に
属するが山間部に孤立する集落、六線沢(ろくせんざわ)
で起きる。わずか二日間で6人の命を奪ったのは
巨大な雄のヒグマだった。最初に喰ったのが女性
だったがゆえに女ばかりを求めるこのヒグマを
倒すべく村民たちは警察へ救援を求める・・が

************************

さすがはノンフィクション作家「吉村昭」さん。
PONに持ち上げられるまでもなく、戦史小説、
歴史小説記録文学界の雄。自分達のように、ネット風聞や
二次・三次資料からではなく、自身がネタを現場で
集めることで小説にする作家さん。こういう硬骨な
小説家も減りました。
最後の生き証人とか言う存在が存命中に、聞き取りを
行っていただけたその姿勢こそ敬服いたしますです。

kumaarasi.jpg

モデルとなった三毛別事件は「大正時代」のこと
1915年12月9日〜12月14日(大正4年)。
モデルと書きましたが小説はほぼ「ノンフィクション」の
ようです。

山狩りするにあたって、日露戦争で従軍したことのある
人物が民間人にもちらほらまじり、こんな緊急事態には
その存在が結構心強かったり、と非常に時代が感じられます。
東京は「大正デモクラシー」っっつーか
「はいからさんが通る」時代でありますが
北海道の開拓地は、まだまだ貧しく、家といっても
いうなればバラック小屋。ヒグマにしてみれば一撃。

官警や軍隊や政治家が威張り散らし、庶民は貧しい中にも
日々の喜びを見出し、少しでもいい生活を目指して、地道に
頑張っている時代。少し目端の利く農民が、小儲けして
家を木の板で囲っただけで、羨望のまなざしで見られる
そんな時代のお話なのです。

DCF_1565.JPG

最終的にヒグマと一騎打ちになるのは、普段は大酒のみ
の、暴力を振るい、社会のダニ扱いされている孤独な
猟師・銀四郎。
これが頼りになるんだ。小説は出来事だけを淡々と
描写しているが、銀四郎が登場しているシーンだけ
小説がザワっとする!

これがあの乱暴者の銀四郎かというくらい、ヒグマを
前にした彼は物静かで行動も理性的。
彼がなぜ熊撃ちになったのか、そして平素は「酒」に
逃げ、人々にメチャクチャ当り散らすのか、
小説を読むうちに少しずつ理解できるようになります。

銀四郎は、戦場を体験してきた軍人だけが知っている
ような、ギリギリ命のやり取り(彼の場合はヒグマ
との対決)の中でしか、生きている実感が持てないの
でしょう。

本当は人喰いヒグマを殺したくないのかも。
殺したら、自分もまた不要になるから。
また、銀四郎は荒ぶる人喰いヒグマの中に自分を
見ていたのだと思う。ヒグマも銀四郎も同じ存在だから。
単に山に生まれたか里に生まれたかの違い。
自分は変わらずいつもそこに存在しているのに、
人々は状況によって持ち上げられたり不要扱いしたり。

銀四郎は、ヒグマを射殺するごとに自分も
殺しているんですよ。
だけに、すべてが終わった後の銀四郎の行動に
寂寥感、人々への絶望感がヒシと伝わります。

もっとも、そんな感傷など一瞬で粉砕するほどに
このヒグマのパワーと引き起こす惨劇は
なんといってもほぼ実話です。くまこわい。

生き残った村人の子供の中から、熊撃ちに
なった男がいて、彼は犠牲者の追悼の為に
殺された村民*10頭のヒグマを狩ることを決意
それを達成したそうですよ。

ヒグマによる人身事件の概要一覧(1970年〜2000年12月)



それにしても「くまだまさし」って芸人。
あれこそ熊害。俺は好きじゃないな。

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2008年12月08日

「連合艦隊の最後〜太平洋海戦史」伊藤正徳

本日は太平洋戦争開戦記念日。
マスライです。

************************

太平洋戦争中の日本海軍連合艦隊
幾多の海戦を時系列順に解説した本。

とりわけ間抜けで謎とされる戦い。
レイテ沖海戦」について。

栗田艦隊、謎の大反転。

レイテ湾殴りこみ作戦
ヤクザじゃないんだから・・と思うかもしれないけれど
これは戦争も末期に、エリートの集団だったはずの
旧日本帝国海軍が立てた作戦。
ホントまっとうじゃない。

簡単に言うと、たくさんの島で成り立つ
フィリピンのレイテ湾に米陸軍の輸送船団が
集まっているという情報をキャッチした日本軍。
もうその頃には、古くて足が遅くて
あんまり役に立たなかった故に
生き残っていた戦艦だけで
高倉健さんばりに殴りこみをかけようというもの。

当然、アメリカ海軍自慢の高速空母艦隊が
待ち受けているに違いない。
空母戦闘機の援護のない戦艦なんか
殺られるのを待つだけ。

だから、艦隊を二つに分けて
「おとり」艦隊と「殴りこみ」艦隊とする。
トラの子の「空母」をたーくさん
「おとり」艦隊に入れれば
米軍はそっちを追っかけるに違いない・・

おとり艦隊はボコボコになるだろうが
その間に、戦艦群で殴りこみ、デイリじゃぁぁ!
あとは野となれ山となれヨイヨイ。

トラの子の「空母」をおとりにしていいの?
という至極まっとうな疑問をお持ちの方。
いいんです。
その頃はもう発進できる飛行機もパイロットも
なかったので。

そしてようやく
栗田艦隊、謎の大反転」の件。

栗田艦隊ってのは栗田健男提督が率いる
「殴りこみ戦艦部隊」のこと。
「おとり」艦隊が、作戦通りボコボコになって
時間を稼いでいる間、レイテ湾近くまで
なんと進入できちゃいました!

ケンカのため出払って留守の
敵側ヤクザの奥座敷にまんまと入り込んだようなもの。
あとは非戦闘員(輸送船とかタンカーとか)の
虐殺をすればよい。
このときレイテ湾の敵輸送船団をボコボコに
しておけば、米軍のフィリピンの攻略が
3ヶ月は遅れた、と後に言われている。
(それでもたったの3ヶ月でしかない・・)

戦艦大和を旗艦とする栗田艦隊は、
そこで小さな空母(護衛空母)を持った
アメリカの船団護衛艦隊を見つけ攻撃。
空母は大和の主砲でほぼ瞬殺。
まさに牛刀で鶏を割くようなもの。

・・にもかかわらず
何を思ったか、栗田司令官は
ここで全艦隊にUターンを命じ、
帰ってしまいました。
目の前に輸送船団がいたのに。
これが「栗田艦隊謎の反転」って奴です。
奥座敷の入り口で、命がけのピンポンダッシュ。

このとき、栗田提督が何を考えて反転命令を
行ったのか、戦後も生き残った提督は結局
何も言わないまま逝去されたので、謎とされている。

後からなら結果論として色んなことが言えます。
この謎の反転は、後の歴史家や光栄マニアw
からさんざん批判されることになりますが・・
いったい、栗田中将は何を考えていたのでしょう?

1)本当に戦争が下手な人だった?
 暗闇の中、さらに目隠しされて
 どこに穴ぼこがあるか分からない場所を
 宝物を抱えて進むことになったとき、
 あなたはどうします?

2)栗田提督が馬鹿な作戦に反対
  最後の抵抗を試みたから?
  この頃にはさすがの日本軍も、大和1隻より
  空母(飛行機多数)の方が強いこと。
  空母なしで戦艦が行くのは物が落ちてくるところを
  裸で歩くようなものと認識してました。

  戦艦艦隊が輸送船団ならびにフィリピン上陸中の
  米軍を叩くことはできるが、おとり艦隊を攻撃している
  米主力艦隊(含む空母)が戻ってきたら
  全滅は間違いのないところ。
  それがいつ戻ってくるかなんて解りません。
  まさに神経衰弱戦。そんななか
  部下を1人でも多く生きて帰そうと考えた?

3)「疲れてどうかしてたんだ・・

  と親しい記者にだけ、こぼしたことがあるそう。
  (後にそんな発言していないと言ったそうですが)
  案外、これが本音だったのかも。

自分も、なんで湾に突撃して一隻でも
多く沈めないんだ!と、無責任に思った時も
あったけれど、考えてみれば、死ぬほうとしては
たまらん話。
彼が馬鹿な作戦に反対して、あえて汚名をかぶり
艦隊を反転させた、というの考え方も有りでしょう。

責任を一身に背負って逝ってしまった栗田中将。
死ぬことも責任のとり方かもしれないが
生きながらにして黙して一生を終えるのも
また責任のとり方。

一方、勝算度外視の突撃といえば
日本一の武士、真田幸村

雑兵(庶民)にとって武士階級ほど
滑稽で、迷惑で、益にならない存在もない。
死ぬなら1人で死んでくれってのが
雑兵の本音だろう。
実際、名が残ったのは幸村だけだし。

勝新太郎の映画「雑兵物語
戦国時代のしたたかな農民兵(雑兵)の話。

コレに、ヤギのユキちゃんみたいな
アゴ髭の老「騎馬武者」がでてくる。

「貴公(勝新)はさっきから勇敢に闘ってる様子。
 よし真の武士道を見せてやる!共に死のうぞ!」と
老体に鞭打ちながらフガフガ戦っていたけれども、
エライ奴に目をつけられた・・勝手に死ねば?と
勝新が呆れるシーンの記憶がある。

その横で雑兵たちは、なるほどなるほど
それはぜひご教授ください、と言いつつ
テキトーに受け流し、
雑兵には敵にも味方にも死人が出ない。
まじめに死ぬのは武士ばかり。

「真田幸村」も、この老騎馬武者のようなもの
だったのかも。
そして栗田中将も、そうなる可能性が充分あったが、
自分の名誉を捨て、本来なら死んでいたかもしれない
何百人かの部下の命を未然に救い、 自分は
黙っていたのかもしれない。そう思っておこう。

あれ?本の紹介がまだですが・・まあいいや。
そういう本です。

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2008年10月06日

「陸軍下士官、兵よもやま物語」富沢 繁

「陸軍下士官、兵よもやま物語」
富沢 繁 著 (光人社)

光人社の○○よもやま物語シリーズ。
近所の公立図書館の「リサイクル本」その3。

あらすぢ
カネの茶碗にタケの箸―。盛り切り飯に生死を賭けて、
国家の“干城”となった“つわもの”共がくりひろげる
珍談、奇談、とっておきの話に託して綴る、下士官、兵の
哀歓!軽妙酒脱、嫌な話もさらりと彼岸へ、語りつぐ
イラスト・エッセイ。

この陸軍の話も面白くなかった。
2年兵、3年兵の理不尽なイジメが
もうただムカつくだけ。

今だって「日本人」といってもピンきりであるように、
あの頃だって、いかな帝国臣民といえど、民度は
ピンきりだったんだと思います。
要するに、組織を引っ張っていける甲斐性をもつ奴が
2等兵かと思えば、今で言えば、右翼や珍走団でも
引き取ってくれないような人材が3年兵とかで
ハバを利かしていたりするわけです。

戦場はヒトを狂気にさせるうえ、人間的に立派な軍人は
職務に忠実に、真っ先に戦死してゆくとしたら、
国内には質の低い人間が残るのは道理で。

むやみに暴力を求める時代が、社会不適合者に
「軍隊」という素敵な居場所を提供してくれた・・
なんて例、たくさん在ったはず。

そういう奴が、軍という暴力機構から権力の一端を
分けてもらい、ヘボい自分を少しでもよく見せるため
威張りまくるなんて、気の毒で迷惑なヤローも
大勢いたんだろうな。

自分が、こういった当時の戦争話で
ぜひ聞いてみたいのは、
当時、無意味に威張っていた連中からの話。
特高警察とか、軍の馬鹿参謀とか、もっと下だと、
田舎で威張り散らしていた在郷軍人とか、村長とか、
そういったどうしようもない連中の告白話なんだが
(単なる自慢話や自己弁護話はいりません)
そんな連中に限って、黙したまま死んじゃってるし。



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2008年10月04日

「自衛隊よもやま物語」比留間 弘

「自衛隊よもやま物語」
比留間 弘 著 (光人社)

光人社の○○よもやま物語シリーズ。
近所の公立図書館の「リサイクル本」。その2。
タダで入手するも、図書館のハンコが押してあったり
BOOKOFFに転売できないのが残念。

あらすぢ
自衛隊の前身、警察予備隊に入って21年、中隊長から
はじまった私の自衛隊生活は、事故に始まって事故に
終わった。それは隊員ばかりではなく、御大御自身も、
身をもって範をたれた。おかげで事故中隊という称号
をいただいたくらいだ。本書は、とっておきの隊内
生活を洗いざらいにぶちまける自衛隊物語。

大戦を生き残り、自衛隊創成期から工兵隊一筋、
昭和42年に中佐で退役した自衛官の職場の思い出話。
資料性は、ほぼゼロ。読み物としてもあんまり
面白くなかった。残念。(当然ながら、作者の任期中
に戦いとかまったくないからね)

旧軍が大暴走の挙句消滅してしまい、その後始末に
生き残った一部の軍人が食うために再結集。
時代とともに警察予備隊→防衛隊→自衛隊へと
変化していくが、そんな自衛隊創成期に自衛官
だったヒトの話。

軍人としてのプライドはアメリカにズタボロにされ
物資もなく軍としてのやり方や武器はすべて米軍の
お下がり。正直、何もすることはないのだけれど、
とりいそぎ軍人らしく振舞わざるを得ず、ひたすら
訓練(らしきもの)の日々。

本来は消耗品であるはずの「武器弾薬車両」も、
一度無くしたら次に手に入れられるのはいつか分からん
てんで、とにかく大事に使う。そんなお役人的体質が
自衛隊内で育ってゆく過程が分かる。

自衛隊の皆さんのご苦労とともに、日本の社会が
いろんな意味でそんなもんだったんだ・・というな
空気が感じられる点は評価できる。

製本もフォントも古く、また作者直筆の加藤芳郎氏の
ような古臭いイラストも、時代を感じさせるのに
ヒトヤク買っている。

平時でも、結構、ヒト(自衛隊員)って死んでいるのな。
ちょっとびっくり。
作者は工兵隊の人間なので、道なき道を進むことが多く
(なぜならその「道」を作るのが彼らの仕事だから)
雪で隠れた道を踏み外しジープが落ちて同僚が死亡、
同じく仮設陸橋から転落して、ブルドーザーのキャタピラに
巻き込まれて・・等々。戦争はないけれど皆一種の戦死
である。

そうだ、面白かったエピソードがひとつだけあった。
戦車(当時は特車と呼んだ)は重いので、工兵が
橋を架設して渡河するのがそれまでの軍事常識だったが
冷戦真っ只中のヨーロッパではそんな悠長なこと
していられない!ってなわけで、最前線の戦車は
走りながら直接「河に乗り込む」らしいって話が伝わってきた。
当時の自衛隊のお偉方も、無視できなくなったらしく
まず実験してみよ、という命令が工兵隊に下る。

とりあえず、浮力を計算してみて、戦車を浮かすことの
できそうな空のドラム缶を戦車の周囲にくくりつけた。
それを演習場の池にクレーンで、投入するという荒業。
紆余曲折を経て、とりあえず浮くには浮くという報告書を
上層部に提出したところ、その後まったくその件に
ついては何も言ってこなかったって話。



なんたるアバウト。素人がまず思いつくことを
そのまま実行してしまった。大掛かりな子供の遊び。
体系的な軍事的学問がまったくなく、ノウハウもないの
だからやむを得ないとしても。

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2008年10月03日

「潜水艦気質(かたぎ)よもやま物語」槙 幸

「潜水艦気質(かたぎ)よもやま物語」
槇 幸著 (光人社)

知る人ぞ知る、光人社の○○よもやま物語
シリーズです。正直なところ、小貫健太郎氏の
イラストが古臭く(スミマセン)また「よもやま」
って言葉を使う感性が、なんかその、決して
戦前・戦中派を馬鹿にしているわけではないのですが
あうあう・・ま、ようするに食わず嫌いで
敬遠していたんですね。

今回、近所の公立図書館の「リサイクル本」。
要は、いらなくなった本をタダでもってけと
置いたあった中の一冊でして。(よもやまシリーズ
は全部で三冊、のこりはいずれ・・)タダならばと
GETしたものの、最近、ちょっと読む本に変化が
欲しいと、手を出してみたというのが真相。

あらすぢ
太平洋戦争中、馬車馬のように酷使された
潜水艦部隊。その中でもっとも量産数が多く
巡潜乙型潜水艦の一隻として建造された
伊二十五に、聴測員として乗り込んだ作者の
戦記というか日記。

戦場は誤解と錯誤の連続
まずびっくりしたのは、ローレライ
(あれは架空だけど)などのいわゆる
潜水艦モノでは、艦長が優秀で、
神の視点を持ち、読者も驚く方法で
窮地を切り抜けたりするけれど、あれは
本当に作家が作った「物語」なんだなとわかる。

誤解をおそれずに書くならば、実戦場では、敵も
味方も「マヌケ」な行動の応酬。
それでも、作者が乗っていた潜水艦、伊二十五が
ひとまず無事に日本に戻ってこれたのは、
このエッセイの中に何度も書かれていたけども、
不断の努力をしてしまえば、ジタバタしても
どうにもならん。死ぬときは死ぬってこと。
敵も味方も、明日生きているかどうかなんてのは
不思議な運のめぐりあわせ。
どんなに悪いことが重なっても不思議と命を拾うときは
あるし、あっさりと死んでしまうこともある。
そういうことなんだろう。

「もちろん努力は欠くことのできない重要な要素では
 あるが、やはり「人事を尽くして天命を待つ」である」

まず無事に帰ってくることが最優先目標。
んで、あわよくば戦果をあげよう・・・
そういう行動パターンの艦長こそが
本当に優秀な艦長のようだ。

同じ釜の飯を食った仲
規律厳しいとされる海軍のなかで、潜水艦は
例外だったらしい。無論、軍隊としての厳しさは
むしろ他よりも辛いかったようだけども
お偉いさんも下っ端も、おなじ海面下。
敬礼などの儀礼や、奇麗な軍服など、潜水艦乗りに
求めようにも、そもそも艦が狭くて汚くて・・
そんな余裕がなかったようなのです。
余計なところに気を使う余裕があったら、少しでも
生き残る確率を求めろ、という、きらびやかさとは
無縁の現実主義だったそうで。

アメリカ本土を爆撃した唯一の例
この潜水艦「伊二十五」は、潜水艦でありながら
飛行機を一機搭載しているのです。
第二次世界大戦中の潜水艦なのに!
まさに海底空母。日本人って好きなんだな。
母艦に子機を載せるってパターンが。

下駄履きといいまして、水上を離着水できる
「フロート」付の偵察機なんですがね。
潜水艦の艦橋の後ろに巨大な土管みたいのを
背負ってましてその中に分解されて入ってます。
潜水艦浮上→飛行機組み立て→発射
だいたい20分ほど。ぷかっと浮いているだけの
潜水艦ほど無力なものはありませんので、
みんな大急ぎ。

その偵察機に爆弾を一個だけぶら下げて
オレゴンからの愛、のオレゴン州森林地帯に
爆弾を投下してきたのです。
これが日本軍の唯一のアメリカ本土爆撃。

アメリカなんかねー、B29使って首都爆撃で
10万人、最後は原爆まで落としましたからね。
爆弾一発の森林火災程度では、てんで比較に
なりませんが。

陸軍が造った潜水艦
題の通り、陸軍の兵隊が南の孤島に取り残され、
補給を行いたくっても、肝心の海軍も自分の身を
守るだけになってしまった戦争後期。
もう、海軍なんかアテにならん!と陸軍は
自分で潜水艦を作ることにしました(マジ)
その結果が「陸軍潜水艦中尉」という珍妙な兵種を
作り上げることになったようですがw

作者も、書いています。
「陸軍と海軍というこの二大勢力は、国内に他に
 抑えることのできる勢力がないため、人的資源および
 物資、特に限りある貴重な資材を無駄にしたものが
 多く、戦争遂行上の大きな障害となった」と

潜水艦の話で、PONがいつも切なくなるところは
どんなに活躍しても、皆が頑張っても、負けた
時に、死ぬ所(沈没)を味方に見てもらえないことだ。
寄港予定日にまったく電信が戻ってこない
ああ、どうやら彼らは死んじゃったんだな・・
しばらくして、沈没「認定」となるのである。

「潜航中の潜水艦の死は、じっと耐えながら、
 手出しのできないままの死であって、 
 つまり受容の死である―本心は飛行機乗りのように
 空中に散る壮烈な死をうらやましく思っていた」



伊二十五は、作者が潜水艦の教官として艦を下りてから
何回目かの作戦航海にて、ついに戻ってきませんでした。

よもやまシリーズは3冊ゲットしたが、
この本が一番面白かった。

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2008年08月15日

「出口のない海」 横山秀夫

出口のない海.jpg

<あらすぢ>
甲子園の優勝投手は、なぜ、
自ら「人間兵器」となることを
選んだのか。
 人間魚雷「回天」海の特攻兵器。
脱出装置なし。甲子園の優勝投手
並木浩二は大学入学後、ヒジを故障。
新しい変化球の完成に復活を
かけていたが、日米開戦を機に
並木の夢は時代にのみ込まれていく。
死ぬための訓練。出撃。回天搭乗。
・・しかし彼は「魔球」を諦めなかった。

先に書くけど、話そのものはフィクション。
けれども当時、似たような青春を
過ごされた方の代表として描かれている。
海の「きけ わだつみのこえ」ですね。

PONスコープは上の下
(面白いとかそういう観点では読まなかった)
読みやすさも上々。
淡々と物語は進みます。

戦場にいると、生き死になんてのは紙一重。
どうして自分が生きていて、アイツが死ぬのか。
理由なんかない。そういう経験を繰り返していると
人間、謙虚になってゆくものらしい。
戦国武将も歴戦のツワモノほど
日常ではこの人が人を殺せるの?っつーくらい
温和だったんだとか。

勇ましいことを言うのはいつも未経験者か
後方で事情がわからない人々のみ。

人間魚雷「回天」。
海に潜っているという点で
一般に知られる飛行機の「カミカゼ」よりも
成功率は高そうに思える。
けれどもそれは大きな間違い。
実際のところ、波の高い太平洋で
敵艦を探しつつ5000メートル以上を、
むつかしい操縦をこなしながら、
進むのはほぼ絶望的。成功率の低さは
故障の多さも拍車をかける。

主人公の周り(人生)を
丁寧に描写を積み重つつ
世界は彼の壮絶な死にむかって
集約してゆく。それなのに結局彼が英雄的な
死に方をするのかと思いきやさにあらず。
まさに無駄死に。
戦争って心底そんなものなんだろう。

フィクションとして潜水艦モノの
「ローレライ」も大好きなのだが
「戦争にカッコいいことなんてない」と
戒めの意味でこういう作品も読んでおこう。
バランス取れるよ。

死に方は無駄だったのかもしれないが
それは結果であって
主人公のような死のうえに
今の日本の生活がある。
感謝しようと思った。素直に。



外見は単なる(失礼)頑固ジジイでも
実は壮絶な過去を背負っていたりして
それでも見た目は、老いた爺さんにしか見えない。
そんな爺さんは現代社会に混じって
淡々と生きている。

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英霊を冒涜してるなんて思わないで欲しい・・
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2007年06月29日

「陸奥爆沈」吉村昭

陸奥爆沈

「陸奥」とは太平洋戦争に至るまで
国民的戦艦として親しまれていた
「長門(ながと)」の姉妹艦。
昭和18年、日本の基地内にてナゾの
大爆沈を遂げてしまった不運な戦艦。

PONも以前、船の科学館にて
引き揚げられた「陸奥」の大砲身(一本だけ)を
触ってみた経験がありまして。
妙に気になったんで読んでみました。

<あらすぢ>
吉村昭氏が得意とする「記録文学」の名作。
名前の通り、「戦艦陸奥」の爆沈の原因までを
探っていくドキュメンタリー。

PONも爆沈したことは知っていたけど
ここまでは知らなかった。

おそらくこの小説のことは
かなり真実を突いているものと思われる。
興味深かったのは精強を誇り、
諸事、スマートを旨としていた
旧帝国海軍にもかくも多くの不祥事が
あったということ。
(陸奥以前にも軍艦なのに、戦う前に
 勝手に沈没してしまった軍艦が結構
 あるらしい)

「いくら精強を誇る組織とはいえ
 あれだけの人数がいれば
 そりゃあ多少おかしい奴もいるさ」


作中で、ある証言者がこぼしていたセリフが
心に残ります。

著者が最初は乗り気で無かったところが意外。
それと言うのも、これまで吉村氏が
好奇心の赴くままに書き上げていった
いくつかの記録文学だが、どうしても
世代的なものもあって戦争の話が多い。

それらが、戦後から今も続く「軍国バンザイ」風潮に
甚だ不本意ながら、荷担しているように
思えてならないからなのだそう。

作家稼業もいろいろ大変だ。

作者が最後にたどりついた「事実」は
「真実」だったのかどうか。

最後に・・(ネタバレ)
爆沈原因は「おばけのQ太郎」



※「吉村昭」氏は
2006年(平成18年)7月31日に
お亡くなりになったそうです。
ご冥福をお祈りします。

※この記事を書いたのはかなり前だったんですが
 自分で書いたくせに
 「爆沈原因は「おばけのQ太郎」」の意図が
 さっぱり判りません。何を書いたつもりなんだろうか?
 当時の自分??
 誰かご存知ないですかね。

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しかし・・
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